ぎんが ばんじょう
銀河 万丈
プロフィール
本名田中 崇(たなか たかし、旧芸名)[1][2]
性別男性
出身地 日本・山梨県甲府市[3][4]
生年月日 (1948-11-12) 1948年11月12日(75歳)
血液型B型[5]
職業声優、俳優、ナレーター[6]
事務所青二プロダクション[7]
配偶者高島雅羅(声優)[8]
公式サイト銀河 万丈|株式会社青二プロダクション
銀河 万丈(ぎんが ばんじょう、1948年[10]11月12日[5] - )は、日本の声優、俳優、ナレーター[6]である。山梨県甲府市出身[3][4]。青二プロダクション所属[7]。本名・旧芸名は田中 崇(たなか たかし)[1][2]。妻は同じく声優の高島雅羅[8]。 山梨県立甲府南高等学校[3]、成蹊大学文学部文化学科卒業[4]。以前はテアトル・エコーに所属。 エンジニアだった叔父の影響で同じ道を志しており、機械操作、ラジオに興味を持ち、朝礼にも参加しなくてよかったことから放送部に所属し、ラジオドラマの魅力に取り付かれる[3][11]。中学高校時代は放送部と美術部に所属していた[12]。絵を描くのが好きであり、油絵をしていた[11]。学生時代に迷ったのは美術関係だったが、専門学校に通っていたわけではなかったため、踏み出せなかったという[11]。 大学時代は放送研究会に所属し、ラジオドラマ作りに夢中になっていた[13]。将来はラジオドラマに関わりたいとは思っていたが、ラジオドラマは職業として成立するものでもないと考え、ラジオドラマを作れる場所が分からなかった。それに近いことをやっていたのは劇団くらいしかなかったため、テアトル・エコーの養成所に入所する。その後退所し、仲間と劇団を作っては潰すということを繰り返しながら、フリーで舞台活動をしていた[14]。 舞台活動を通じて「やっぱり音の仕事がやりたい」という気持ちがはっきりし、その分野の仕事をするために青二プロダクションへ自分の声のサンプルテープを持ち込む。そのことが声の仕事をするきっかけになり、28歳で声優デビューする。青二プロでの同期は井上和彦、水島裕、三ツ矢雄二[14]。他の同期声優に、玄田哲章、若本規夫がいる[15]。 新人の頃は、経験不足で自分ができないことに対する悔しさと歯がゆさが随分あり、歳下の同期に対して焦燥感を覚えることもあった。セリフを受けられず、相手役の先輩から台本を投げられたこともあったという。富田耕生などの厳しい先輩には色々と教えてもらっていた。ある時プロデューサーから「将来何になりたいのか知らないけど、君にはギャラを払いたくない」と言われて、「認めていただくまでは、絶対に辞める訳にはいかない」という気持ちになったこともあった[14]。
来歴