20世紀に入り鉄道国有化が行われると、駅は改良期を迎え、吹き抜けを有する入口広間から待合室を経てホームに出る様式が多く採用された[6]。20世紀初頭の駅建築には、新たに建設された東京駅の他、2代目駅舎として建築された日光駅、門司港駅、原宿駅、奈良駅等がある[6]。
鉄道利用者は次第に増加したが、1923年に関東大震災が起きると駅の不燃建築化が進められ、これを契機に駅待合室や通路の設計基準が策定された[7]。また、3大都市圏にある主要駅は高架化が進められ、特に三宮駅、神戸駅、名古屋駅等では線路で市街を分断しないように駅構内での連絡も考慮されるようになった[7]。
第二次世界大戦では日本にある鉄道施設の全面積の約20%が焼失[7]。復旧のための工事費は不足し、それを補うため民間資本の店舗と合築する民衆駅方式や国鉄債権地元引受方式による駅改良が進められた[7]。 日本では主要駅でも頭端式は少ない[8]。日本の中規模程度の旅客駅舎では典型的には、切符売り場、改札口、駅員がいる事務室、旅客が列車を待つ間椅子に座っていられる待合室等を備える。比較的大規模の駅の場合は、コンコース、売店、観光案内所等、様々な施設・設備を備えていることが多い。さらに、駅に本来の鉄道以外の機能をふんだんに足すために駅舎の建物を大きなビルとしたものを駅ビル(Station Building[注 5])と呼ぶ。駅ビルには、テナントとして商業施設、企業のオフィス、ホテル等が入っていることが多い。[注 6] 明治時代に日本に鉄道が導入された際、英語の station の日本語訳が確定せず、 などと呼ばれた[注 8]。明治10年代頃から「停車場」が用いられ、正式な訳語となった[13]。一方で利用者は、街道(駅路)の宿場(宿駅、駅家)を意味する「驛」(新字体「駅」)を用いた[13]。鉄道発達に伴って、明治中頃までに街道の「駅」はその地位を失い、鉄道の「駅」に人々が集うようになったため、宿場を指して「駅」と呼ばれなくなっていった[13]。鉄道関係者も station を時に「駅」、時に「停車場」と用語を混用したため、鉄道省は、1936年(昭和11年)に職制を改正し、「駅」と「停車場」との呼び分けを明確にした。 駅には固有の名称である駅名が付けられている。駅名は主に所在地の地名など伝統的な呼称、施設名などから採られることが多く、直接的に人名に由来するものは稀である。重複や混同を避けるため旧国名や鉄道会社名が冠されているものも多い。漢字の駅名が圧倒的に多いが、平仮名や片仮名表記のものも散見される。 1926年(大正15年)頃、井上匡四郎鉄相時代に全国的に駅名表示が発音通りとするよう見直しが行われた(例:「まなづる」から「まなずる」へ変更)が、1929年(昭和4年)、小川平吉鉄相が旧仮名遣いに戻すよう厳命。大半が旧仮名遣い等の元の名称に戻ることとなった(但し「王子」を「わうじ」、「甲府」を「かふふ」と表記するような厳密さは無かった)。なお小川鉄相時代には駅名を左書きから右書きに改正することも行われている[19]。 鉄道駅は位置によって、終端駅、中間駅、分岐駅、接続駅、交差駅等に分類される[3]。 貨物駅とは貨物列車に貨物を積降ろしすることを目的とした鉄道駅である。
日本の駅の特徴
主要旅客駅の特徴
名称
鉄道舘[9][10][11][12]
ステイション[9]
ステーション[13][注 7]
ステイーシヨヲン[14]
ステンション[15]
ステンショ[16][17]
ステエシヨン[18]
種類・分類
位置による分類
終端駅
終端駅(terminal station
中間駅
中間駅は路線の中間に位置する鉄道駅[3]
分岐駅
分岐駅はその駅から別の線が分岐する鉄道駅[3]
接続駅
路線が近接しており乗客が乗換可能な位置にある鉄道駅[3]
交差駅
2つの路線が交差する位置にある鉄道駅[3]
輸送対象による分類ロシア・ミチュリンスクの貨物駅
貨物駅
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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