最後まで、多くの小さな町や都市が鉄道時間を課すことに反対意見を表明した。例えば、インディアナポリスでは、1883年11月17日の日刊紙センチネルの記事によれば、人々が「鉄道時間によって食事し、睡眠し、労働し、結婚する」ことを余儀なくされるとして抗議した[17]。しかし、ほぼ全ての鉄道会社、ほとんどの都市、そしてエールやハーバードなどの影響力のある天文台の支持を受けて、1883年11月18日正午から鉄道時間が導入された。この同意は1918年に、連邦政府の法律に組み込まれた[16][18][19]。 フランスは1891年に国内標準時としてパリ平均時を採用した。また、乗客が遅れても列車に間に合うようにするため、鉄道駅内の時計と列車の時刻表を 5 分遅らせることも要求した。しかし、駅の外壁の時計はパリ平均時を表示していた。1911年、フランスはパリ平均時を9分21秒遅らせた。これはグリニッジ平均時に合わせたのであるが、グリニッジという言葉には言及しなかった。合わせて、駅の時計を5分遅らせる規定も撤廃した[20][21]。 ドイツでは、1870年代に時間の標準化が議論され始めた。1874年、北ドイツの鉄道は既にベルリン時間に統一されていた。全国的な導入は、1893年4月1日にドイツ帝国で制定された「一様な時間の計算の導入について」という法律によってであった。この法律により、全ての鉄道が統一された鉄道時間によって運行し、社会、産業および市民活動のあらゆる側面で時刻が厳密に規定されることとなった[22]。 イタリアは1866年12月12日に新たな統一国家となったが、その冬の初めから、トリノ、ヴェローナ、フィレンツェ、ローマ、ナポリ、パレルモを中心とする鉄道の時刻がローマ時間に同期された。ローマは1870年まで実質的にフランス軍の支配下にあったが、いまだにイタリアの中心とみなされていた。単一の鉄道時間の採用に加え、民生及び商用目的の時刻の漸進的な標準化があった。ミラノはすぐに採用し、1867年1月1日にトリノとボローニャ、1880年5月1日にヴェネツィア、1886年にカリャリが採用した[20]。 当時の政治感情を反映して、アイルランドとフランスはグリニッジ平均時を正式には採用しなかった。ダブリン平均時はロンドン時間より25分遅く設定されていたが、1916年10月の夏時間終了時に国際標準時間に移行した。すなわち、アイルランドのほとんどの鉄道時計は、この日に1時間ではなく35分の調整をしたのである。また、ベルファストやバンゴーなどのアルスターの駅では、鉄道用のダブリン平均時のほか、グリニッジより23分39秒遅いベルファスト平均時も時計盤に表示されていた[23]。 オランダの鉄道の時刻はGMTに基づいていたが、1909年に国内の標準時間としてGMTより19分進んだアムステルダム時間が採用され、鉄道もそれに従った。1940年にオランダがナチスに占領され、ドイツ時間への移行が要求された。これが現在に至るまで標準となっている[24]。 スウェーデンでは、私鉄による鉄道はいくつか建設されたが、公営鉄道の建設は他のヨーロッパ諸国よりも遅かった。それは、建設コストへの懸念と商船会社からの強い抵抗があったためである。1862年に開業したストックホルムとヨーテボリの間の幹線鉄道路線で鉄道時間が導入された。時刻表は、路線の最西端のヨーテボリでの地方時に基づいていた。その結果、乗客がその地域での地方時の時間通りに駅についても、列車が到着する前ということになる。多くの私鉄は、地方時かその会社独自の鉄道時間に従って運行していた。1879年1月1日、スウェーデン全土に全国標準時が導入されたが、これはグリニッジ平均時より1時間早いものだった[25]。 ロシアでは2017年まで、標準時とは別の鉄道時間を使用しており、ロシア鉄道の時刻表や切符に記載される時刻は現地時間ではなくモスクワ時間に基づいていた[26]。しかし、2018年8月1日にこれを廃止し、その地域の標準時を使用するようになった[27]。 インドの鉄道でもイギリスと同様、ボンベイ(現在のムンバイ)、カルカッタ(現在のコルカタ)、ラホール、マドラス(現在のチェンナイ)から急速に延伸する鉄道に沿って異なる時間を使っており、その問題に取り組む必要が出てきた。1860年代の終わりごろになると、それぞれの鉄道が接続されるようになり、さらに混乱するようになった。1870年、問題の解決のために、マドラス時間 しかし、鉄道時間が全国的に急速に採用され、それが後に標準時に発展していったイギリスとは異なり、インドでは、国土が遥かに広いことと、ボンベイとカルカッタで自治を享受したことにより、どちらの首長も20世紀に入っても地方時を維持している。19世紀の残りの期間を通して、マドラス時間は全ての鉄道によって使用され続けた[29]。 1884年以降、少なくとも1つの子午線を基準とするインドの標準時が何度か提案されたが、合意に達することはできなかった。1906年にようやく、イラーハーバードの子午線を基準とする標準時が導入され、鉄道はこれに従った。それにもかかわらず、カルカッタは1948年まで地方時を公式に使用し、ボンベイでも1955年まで非公式に地方時を使用し続けた[30]。 1904年、京釜鉄道は、朝鮮の伝統的な時間(UTC+08:28)ではなく日本の中央標準時(UTC+9)を導入した[31]。1908年、京釜鉄道は韓国標準時(UTC+08:30)を採用した。 鉄道時間の導入には論争がなかったわけではない。当時の芸術家によりその様子が記録されている。
フランス
ドイツ
イタリア
アイルランド
オランダ
スウェーデン
ロシア
インド詳細は「en:Madras Time」を参照
朝鮮
鉄道時間と社会
ウィリアム・ワーズワースは1844年のケンダル・アンド・ウィンダミア鉄道
チャールズ・ディケンズは懸念を何度も表明しており、例えば『ドンビー父子
トーマス・ハーディは『青い眼
2002年、イギリスの劇作家アラン・プラター
脚注^ Smithsonian's NMAH - Anniversary Exhibition Press Release 1999 ⇒"Standard Time in America" - Retrieved March 4, 2008.
^ Kosambi, Meera “Bombay Time in Intersections: Socio-cultural Trends in Maharashtra p161 .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-81-250-1878-0 Orient Longman (2000)”- Retrieved March 4, 2008.