鉄道国有法
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北海道鉄道159.0哩 (255.9km)11,4522744265
京都鉄道1907年8月1日22.2 哩 (35.7 km)3,341560100
阪鶴鉄道70.3哩 (113.1km)7,0101744260
北越鉄道85.8哩 (138.1km)7,7771874298
総武鉄道1907年9月1日73.2 哩 (117.8 km)12,87124121274
房総鉄道39.4哩 (63.4km)2,15793295
七尾鉄道34.4哩 (55.4km)1,49141977
徳島鉄道21.5哩 (34.6km)1,34152546
関西鉄道1907年10月1日275.2 哩 (442.9 km)36,1301215711,273
参宮鉄道26.1哩 (42.0km)5,729108874

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その後の動き

1906年(明治39年)5月、私鉄買収の準備を行なう臨時鉄道国有準備局が、逓信大臣の管下に設置された。同局は、買収完了後もしばらくの間存続し、廃止されたのは鉄道院発足後の1909年(明治42年)7月末である。

私鉄の買収により、官設鉄道の現業部門である鉄道作業局の規模は一気に膨れあがった。私鉄から引き継がれた鉄道路線の延長は4,550km、未開業線292km、機関車1,118両、客車3,101両、貨車20,850両で、それまで官設鉄道が保有していた路線延長2,525km、機関車769両、客車1,832両、貨車10,821両を大きく上回っている。それらの受入れのため、1907年4月1日に鉄道作業局を帝国鉄道庁に改編した。

帝国鉄道庁では、各私鉄から引き継いだ膨大な人員を糾合したため、ポストの重複などによって余剰人員を抱えることとなったが、その一方で、私鉄の監督、許認可を行なっていた逓信省鉄道局においても、業務が激減する事態が生じた。そのため、両者を統合再編して体制の簡素化を図ることとなり、1908年(明治41年)12月5日鉄道院が発足した。この際、鉄道院は逓信大臣の管轄から離れて、新たに総裁を置き、内閣の直轄となった。

各私鉄から引き継がれた雑多な車両は、国有化後もしばらくの間、私鉄時代の形式番号のまま使用された。旧鉄道作業局の車両を含めて、新たな形式番号体系が制定されるのは、買収開始から実に3年後の1909年(客車・貨車は1911年)のことである。蒸気機関車だけに限定しても、タンク機関車103形式、テンダー機関車84形式、あわせて187形式に及び、客車、貨車を含めると、実に膨大な作業であったことがわかる。この時制定された蒸気機関車の形式番号体系は、1928年(昭和3年)に新たな体系が制定された後も併存し、現在に至るまで踏襲されている。

鉄道院発足直後の1910年(明治43年)は、1両の機関車も製造されていない。これは一気に膨れあがった雑多な形式を抱え、それらの今後の処遇や、輸送計画を練るのに手一杯で、機関車の新製にまで手が回らなかった結果ではないかと想像されている。その後は、各車種にわたって標準型車両が制定され、雑多な少数形式の淘汰が推進されていった。

また、鉄道国有法公布後、今度は新たな私鉄の出願がほとんど無くなるという事態になった。これは、私鉄を監督する法律である私設鉄道法の条件が厳しいという背景もあったが、地域開発の観点から見ると問題があった。そのため、1910年(明治43年)に鉄道開業に関する条文を相当簡略化した軽便鉄道法を制定した。その後、私設鉄道法に基づく私鉄の出願が全く無くなったため、1919年(大正8年)には軽便鉄道法と私設鉄道法を廃止し、新たに地方鉄道法を制定、私鉄の監督はこの法に基づいて行われるようになった。

またこれとは別に、路面電車と同じ軌道法に準拠した郊外鉄道の敷設を目論む者も現れた。米国で当時流行していたインターアーバンを真似たもので、1905年(明治38年)の阪神電気鉄道開業以後、全国に広まっていった。その中には、阪鶴鉄道の幹部が設立した箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)のように、鉄道国有法によって会社を手放した資本家が出資を行ったものもあった。

1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化により、国有化された鉄道は結局80年ほどして民営に戻ることとなった。
脚注[脚注の使い方]^ 鉄道国有調査会「鉄道国有ノ趣旨概要」日本国有鉄道編『日本国有鉄道百年史』第3巻
^ 原田勝正 北東アジアの鉄道史における1906年 p.134.
^ 「鉄道国有建議案」1899年2月8日国民新聞『新聞集成明治編年史. 第十卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道国有建議案下院を通過」1899年2月15日中外商業『新聞集成明治編年史. 第十卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道国有問題哀れ握り潰し」1900年2月22日国民新聞『新聞集成明治編年史. 第十一卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 3月3日に外相辞任「加藤外相独り国有に反対」1906年3月2日東京朝日新聞、「加藤外相去る」1906年3月3日東京朝日新聞『新聞集成明治編年史. 第十三卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 第22回帝国議会衆議院議事速記録第23号
^ 青木 栄一『鉄道の地理学』p.94 2008年 WAVE出版 ISBN 978-4-87290-376-8

関連項目

鉄道記念物 - 西園寺公望自筆の鉄道国有法案説明草稿 - 所蔵:鉄道博物館 - 1962年指定

日本の国有鉄道に編入された鉄道の一覧

戦時買収私鉄

北海道官設鉄道

鉄道院 - 鉄道国有化に伴い、逓信省鉄道作業局(鉄道事業体)と逓信省鉄道局(監督官庁)を統合して発足

日本国有鉄道

国鉄 - 同時期に各国で進んだ鉄道の国営・国有化やその経営形態について

国鉄分割民営化

客車略図

外部リンク

ウィキソースには、鉄道国有法の原文があります。

鉄道国有法公布時の閣議書(公文書による日本の歩み)(追加15私鉄に抹消線が引かれているのがわかる)










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