鉄道の電化
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車両側で変圧するには向かないので、電動機の電圧に合わせることが求められるため、高電圧/小電流にはできず、低電圧/大電流では送電ロスが大きくなる[注釈 1]。また、送電ロスを減らすために鉄道変電所を多く設ける必要がある。

大電力を供給できないので、高速鉄道や重貨物列車を走らせる路線には不向き。

直流に変換する鉄道変電所は機器が割高になる。

交流饋電

長所


変圧器を用いて、主電動機に加える電圧を容易にロスなく制御できる。

高電圧/小電流にできるので送電ロスが少なく、大電力が供給でき変電所も少なくてすむ。

短所


直接饋電方式という単純な交流饋電では、電線からの電磁波によって周囲の通信線へ障害を及ぼす「通信誘導障害」と呼ばれる現象が起きやすい。BT饋電AT饋電等の工夫が行われる[1]

車両に搭載する機器コストが高額となりやすい。既に直流電化が普及している地域では、交直接続等の維持コストも必要となり、高額となる。そのため直流電化が普及した地域での部分的な交流電化は、全て直流化した時よりも総コストは大きくなる傾向にある。

歴史

元々鉄道は人力若しくは馬力を使ったトロッコのようなものから始まり、その後蒸気機関車開発等もあったが、電気鉄道は1879年にドイツジーメンスがベルリン博覧会で軌間490mm・総距離300mほどの小さな線路(なお、集電はこの間にある第3軌条から行った)に外部集電で電気を取る機関車を走らせたのが始まりとされる[2](これ以前にも電気鉄道を考案した人はいたが、いずれも「電気動力車に電池を搭載する」という形式で電池容量に乏しく重量もかさむため実現の日の目を見なかった[3])。こうした見世物的ではない電車営業運転は、1881年のドイツのベルリンにおける路面電車が最初であったといわれる[4]

1879年:ドイツシーメンス社がベルリン工業博覧会において試作した電気機関車を披露した[注釈 2]

1881年:ドイツのベルリン郊外で世界初の電車の営業運転が開始された。なお、この頃は振動する電車の車輪にモーターの歯車が外れないように動力を伝達できず、ベルトで回転を伝えていた[3]

1882年8月[5]:イギリスの電気技師マグナス・フォルク(英語版)(「ヴォルク」とも[5])によって(路面電車ではない)世界初の電気鉄道フォルクズ電気鉄道ヴォルク電気鉄道[5])がイギリスの保養地であるブライトンの森で開通した。軌間2ft(約610mm)で路線も短く、全長約400mであった[6]。なお、電圧は160V2線式で電車はベルト駆動。その後1884年4月に825mmに改軌され、路線も1820mにまで延長された[5]

1883年10月:オーストリアウィーンで世界初の架線集電によるModling and Hinterbruhl路面電車が運行を開始した。

1888年:米国フランク・スプレイグがこれ以前に考案した架線から集電できるトロリーポール(1880年)と電動機を床下に備え歯車でずれずに伝達できる吊掛駆動方式(1885年)を使った路面電車をリッチモンドで走らせた[4]

1890年:上野公園で開かれた第3回内国勧業博覧会で日本初の電車運転が披露された。同年シティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道(イギリス)で世界初の地下鉄電化が行われるが当時は機関車牽引だった[7]

1895年:京都で日本初の電車による営業運転が開始された。同年[注釈 3]、アメリカのボルチモア・アンド・オハイオ鉄道で電気機関車[注釈 4]が3両作成され、ハワードストリートの1マイル以上ある急勾配トンネルに使用された[8]、なおこれが幹線の蒸気鉄道初の電化に成るが、電化区間はこのトンネルの部分のみでここを蒸気機関車ごと牽引した[9]

1897年:イタリアで蓄厚器・650V第三軌条・3000V15Hz三相交流という送電システムを比較し、3000V15Hz三相交流が安全性等から一番優れているとされた。後に1906年にシンプロントンネル(ブリーク?イゼル区間)でこの方式を採用[8]

1899年:スイスのブルグドルフ?トゥーン鉄道の山岳線で世界初の交流電化(三相750V)の営業が開始[10]

1905年:スイスのエーリコン社で単相交流が開発[11]

1911年:日本で碓氷峠が電化された。

1913年:スイスでベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道(BLS)が単相交流で1万5千ボルトの高圧による電化に成功[12](なお、周波数は16と2/3Hzと、一般的な商用周波数50Hzの1/3だった[13]。)。

1915年:アメリカのシカゴ・ミルウォーキー鉄道において直流3000V電化が開始され、1927年までこの方式で区間を広げ当時世界一長大な電化区間となる[14]

1922年:イタリアが直流3000Vを標準方式に置換、三相交流方式の新規電化を停止(三相交流既存区間は続けて使用しており二次大戦後も残存)[14]

1923年:ハンガリーブダペスト西駅 - ブダケスィ・アラグ駅間で16kV50Hzの商用周波数による単相交流を使う「相変換式交流電気機関車[注釈 5]」の試験運行が開始[15]

1932年:1923年からの実験後ハンガリーのブダペスト- コマロン駅間で16kV50Hzによる「営業運転」が開始[15][13]

1935年:ドイツ南部ヘレンタール線の一部でそれぞれ交流整流子電動機と水銀整流器+直流電動機を使った電気機関車を比較し、交流2万V50Hzの研究を開始、商用単相交流饋電方式の基盤構築。第二次世界大戦後、フランスがこれらの機関車と設備を接収して国内の交流電化を進める。交流電化ではBT饋電方式からAT饋電方式が主流になる[13]

各国の事例

電化は当初どこでも大都市の交通としての路面電車や地下鉄に採用されており、電気方式は600V直流を送電して軌道上に架線を設ける(路面電車)か軌道の片側に第3レールを設ける(地下鉄)のが一般的だった。このように輸送機関に対する電気の応用は良い成績を示したので次に汽車の電化[注釈 6]が問題となるに至った[16]

20世紀初頭になるとそれまで路面電車に使用されていた500-600Vよりはるかに高圧の交流電流が商用に供給されるようになったが、こうした交流送電における一般の電力の50?60Hzは(当時の)機関車の電動機に使いにくかったので、路面電車などで行われた「電流を変換し直流で使用する」か、3000V15Hzという「比較的電動機に使いやすい低周波数の三相交流を使う」案が生まれたものの、三相交流による交差点の架線複雑化や三相交流電動機が使いにくい[注釈 7]が懸念され、ここから交流送電は後にイタリアで見られる「それでも三相交流低周波数を使う[注釈 8]」かスイスで新しく見られた「はるかに高電圧(1万5千V)の単相交流を使う」という2案に分かれ、高電圧単相交流はその後ドイツやオーストリアにも普及した[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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