鉄道の電化
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^ ミルウォーキー鉄道の710q電化区間の旅客列車は電化後の1921年時点でも1日につき片道2本ずつだけだった。((朝倉1979-5)p.116
^ スイスとイタリアは、両方とも石炭非産出国で輸入に頼らねばならなかったが、水力による発電量は相当得られる国であったため、第二次世界大戦前は電気機関車(及びそのための電化)に関しては先頭を行っていた。なお、他欧州諸国でも少しづつは電化は進んでおり、ドイツでは1930年代にあちこちで電化区間が生まれ、フランスではパリ-オルレアン鉄道(PO)が1926年に電化を始めた。((フランコ2014)p.167
^ 電気機関車の被害だけでも、1945年時点で動かせたものは戦前(880両)の1/4程度だった。((ロス2007)p.420
^ 実際にはイギリスはサードレール区間が多く600V付近の路線の方が多かった。
^ 当時の「電気事業取締規則及び電気鉄道電機取締規則」で電気鉄道は直流電圧600 V以下と言う制限があり、これ以上の高電圧が使えなかった。
^ 「東海道線全線を大正17年までに電化する」というような計画が出され閣議決定、東京 - 国府津の東海道本線と、国府津 - 熱海熱海線がまず電化されることになっていた。((福原2007)p.62
^ なお、電気機関車無しでも電気動力運行を始めるつもりだった証拠として、既に国産技術が確立した電車で100 q近い長距離に対応出来るようにしたデハ43200形が計画だけではなく実際に製造されている。ただし、デハ43200形は関東大震災による被災復旧に回され、実際にこの目的には使用されないまま終わっている。
(福原2007)p.62-63「1-13 木製電車の最後を飾った伝説の名車」)。
^ 東海道全線即時電化論者の内田信也は鉄道大臣時代に東海道本線電化を目論み、東久邇宮稔彦王に陸軍を押さえるよう頼んだが、押さえることは出来なかった。『喜安健次郎を語る』1959年、34-36頁
^ なお、戦前日本で最長の距離を走る電車列車は1912年(昭和12年)より豊川鉄道・鳳来寺鉄道・三信鉄道・伊那電気鉄道をまたがって運行された豊橋-辰野間の196 q。
(ただし、伊那電気鉄道の架線電圧は他社と異なる1,200 Vとなっていたため、戦後の1955年(昭和30年)に昇圧を行って電動車も直通可能になるまでは付随車だけ直通して、電動車は天竜峡駅で増解結を行っていた。詳しくは伊那電気鉄道の電車を参照。)
同区間は戦中の1943年(昭和18年)に国有化されて飯田線になっているので、国鉄でも戦後80系電車に更新されるまではここが最長の「電車列車の運行区間」であった。
(福原2007)p.108「戦前期の最長距離電車運転」
^ 『交通年鑑』昭和25年版161 - 163ページによると、昭和22年時点の石炭の質は戦争の影響がほぼ無い昭和11年と比較して熱量が「6,450 kcal/kgから5,350 kcal/kg」、完全燃焼前にボイラーから出て熱量損失になる粉炭率が「37 - 38 %から70 %」に悪化。そしてここまで低質になったにもかかわらず価格はハイパーインフレもあり282倍に高騰した。
^ 電化順に近江鉄道富山地方鉄道淡路交通福井鉄道栃尾鉄道大和鉄道弘南鉄道三重交通土佐電気鉄道下津井鉄道大井川鉄道北陸鉄道流山鉄道小坂製錬小坂線秋田中央交通遠州鉄道住友別子鉱山鉄道伊予鉄道東濃鉄道栗原鉄道相模鉄道十和田鉄道松尾鉱業鉄道長岡鉄道。 なお、相模鉄道が大手私鉄扱いになったのは1990年からで当時は含まれない。
^ どちらも水力発電所が盛んな地域の鉄道である。
^ ドッジライン自体は昭和24年から開始だが上記のデータは電化工事完了日時なのでずれがある。(『交通年鑑』昭和27年度版、交通新聞社、p.350・351)
^ なお、茨城県ではそれとは別に石岡市柿岡にある気象庁地磁気観測所での地磁気観測への影響回避のため直流電化が出来ないから非電化が多く残っている。
^ なお、これに関わった朝倉希一によると、この時には「蒸機・電機共に機関車を新造する」と言う前提で計算したため、厳密には現状の機関車を使用できる蒸気運転はもう少し低コストに見積もるべきで、1921年(大正10年)にミルウォーキー鉄道に調査に行った際「電化で不要になった蒸気機関車を全部下取りに出すから電気機関車購入のコスト(同鉄道では全電化費の半分)は実質半分ですむ」と言うそこまで中古機関車が高く売れるのか怪しい情報を聞かされたのを思い出した他、電化進展が速くなると蒸気機関車の他地域の転用ができなくなるのでそこまで楽観視するべきかどうかと指摘した所、部外の委員がこの調査で良いと言われて承認することにしたと言う。((朝倉1979-5)p.118
^ なお、既存直流区間も「(地上設備を減らせる)3000Vに昇圧させるべきではないか」と言う案が1975年頃から出たが、我が国で多い電車方式では(イタリアに3000Vで電車使用例があるので不可能では無いものの)高電圧の絶縁が厳しくなること、改造する車両数と電力設備が莫大なことから見送られた。((持永2012)p.32
^ その後旭川運転所移転に伴う回送電車走行目的で2003年(平成15年)3月に一部区間のみ電化された。
^ JR東海武豊線では同社の電車と遜色ない性能のキハ75が投入されたため一旦は電化をせず近代化が図られたが、後に運用効率を重視して直流電化された。なお同線は国鉄時代に電化計画があった。
^ 播但線加古川線小浜線土讃線の一部など。
^ 但し、自社では営業を行っていないものの、城北線はJR東海が第一種鉄道事業者として施設を保有しており、子会社東海交通事業が運営している。また、関西本線武豊線貨物列車ディーゼル機関車牽引で運行されているため、大府駅構内にある武豊線との貨物用連絡線・関西本線の一部駅にある中線等は非電化のままとなっている。県外のJR非電化区間へ直通する気動車による特急・快速列車は定期的に運行されている。
^ 後藤総合車両所後藤地区までの回送と、試運転で走行するのみで、旅客列車の電車運行は無い。
^ かつて阿波電気軌道と言う事業者が存在したが、電化は計画のみで実施されないままとなった。
^ 例外として三好市にある奥祖谷観光周遊モノレールが徳島県内にある唯一の電気で動く車輛になるが、法的には鉄道では無く遊戯施設扱いになる
^ 函館本線列車入出庫向けとして、宗谷本線 旭川 - 旭川運転所 間が電化されているが、宗谷本線営業列車は石北本線営業列車(旭川 - 新旭川)含め全て気動車で運転されているため、この一覧からは割愛する。
^ ただし、東室蘭 - 苫小牧の電車運転は、2023年5月19日まではすずらんのみ。
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