鈴鹿8時間耐久ロードレース
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(ホンダ・RVF/RC45)331868:02'03"722
1998 伊藤真一
宇川徹ラッキーストライク・ホンダ
(ホンダ・RVF/RC45)332128:01'54"740
1999 岡田忠之
アレックス・バロスラッキーストライク・ホンダ
(ホンダ・RVF/RC45)42138:01'59"918
2000 宇川徹
加藤大治郎チーム・キャビン・ホンダ
ホンダ・VTR1000SPW)42158:00'31"775
2001 バレンティーノ・ロッシ
コーリン・エドワーズ
鎌田学チーム・キャビン・ホンダ
(ホンダ・VTR1000SPW)112178:01'30"173
2002 加藤大治郎
コーリン・エドワーズチーム・キャビン・ホンダ
(ホンダ・VTR1000SPW)112198:02'04"992
2003 生見友希雄
鎌田学チーム・桜井ホンダ
(ホンダ・VTR1000SPW)712128:00'38"909
2004 宇川徹
井筒仁康セブンスター・ホンダ
ホンダ・CBR1000RRW)72108:01'35"115
2005 清成龍一
宇川徹セブンスター・ホンダ

ホンダ・CBR1000RRW)72048:01'22"351
2006 辻村猛
伊藤真一F.C.C. TSR ZIP-FM Racing Team
(ホンダ・CBR1000RR)7782148:02'07"624
2007 加賀山就臣
秋吉耕佑ヨシムラ・スズキ with JOMO
スズキ・GSX-R1000)342168:01'35"077
2008 清成龍一
カルロス・チェカDream Honda Racing Team 11
(ホンダ・CBR1000RRW)112148:00'20"726
2009 酒井大作
徳留和樹
青木宣篤ヨシムラ・スズキ with JOMO
(スズキ・GSX-R1000)121838:01'59"916
2010 清成龍一
中上貴晶
高橋巧MuSASHi RT HARC-PRO.
ホンダ・CBR1000RR)6342158:01'13.428
2011 秋吉耕佑
伊藤真一
清成龍一F.C.C. TSR Honda

(ホンダ・CBR1000RR)112178:00'50.922
2012 秋吉耕佑
ジョナサン・レイ
岡田忠之F.C.C. TSR Honda

(ホンダ・CBR1000RR)112158:01'35.450
2013 高橋巧
レオン・ハスラム
マイケル・ファン・デル・マークMuSASHi RT HARC-PRO.
(ホンダ・CBR1000RR)6342148:00'01.280
2014 高橋巧
レオン・ハスラム
マイケル・ファン・デル・マークMuSASHi RT HARC-PRO.
(ホンダ・CBR1000RR)6341726:56'13.056
2015 中須賀克行
ポル・エスパルガロ
ブラッドリー・スミスYAMAHA FACTORY RACING TEAM
ヤマハ・YZF-R1)212048:00'29.708
2016 中須賀克行
ポル・エスパルガロ
アレックス・ロウズYAMAHA FACTORY RACING TEAM
(ヤマハ・YZF-R1)212188:00'40.124
2017 中須賀克行
アレックス・ロウズ
マイケル・ファン・デル・マークYAMAHA FACTORY RACING TEAM
(ヤマハ・YZF-R1)212168:00'32.959
2018 中須賀克行
アレックス・ロウズ
マイケル・ファン・デル・マークYAMAHA FACTORY RACING TEAM
(ヤマハ・YZF-R1)211998:00'01.728
2019 ジョナサン・レイ
レオン・ハスラム
トプラク・ラズガットリオーグルKawasaki Racing Team Suzuka 8H
カワサキ・ニンジャZX-10R)102167:55'36.613
2020新型コロナウイルス感染症の影響で中止
2021
2022 高橋巧
長島哲太
イケル・レクオナTeam HRC
(ホンダ・CBR1000RR-R SP)332148:02'09.131
2023 長島哲太
高橋巧
シャビ・ビエルヘTeam HRC with 日本郵便
(ホンダ・CBR1000RR-R SP)332168:00'09.785

優勝回数の記録

5回 -
宇川徹(1997,1998,2000,2004,2005)、高橋巧(2010,2013,2014,2022,2023)

4回 - ワイン・ガードナー(1985,1986,1991,1992)、伊藤真一(1997,1998,2006,2011)、清成龍一(2005,2008,2010,2011)、マイケル・ファン・デル・マーク(2013,2014,2017,2018)、中須賀克行(2015 - 2018)

3回 - マイク・ボールドウィン(1978,1981,1984)、アーロン・スライト(1993 - 1995)、コーリン・エドワーズ(1996,2001,2002)、秋吉耕佑(2007,2011,2012)、岡田忠之(1995,1999,2012)、アレックス・ロウズ(2016,2017,2018)、レオン・ハスラム(2013,2014,2019)

2回 - ウェス・クーリー(1978,1980)、ドミニク・サロン(1986,1989)、ケビン・マギー(1987,1988)、加藤大治郎(2000,2002)、鎌田学(2001,2003)、ポル・エスパルガロ(2015,2016)、ジョナサン・レイ(2012,2019)、長島哲太(2022,2023)

1回 - トニー・ハントン(1979)、マイク・コール(1979)、グレーム・クロスビー(1980)、デビッド・アルダナ(1981)、飯嶋茂男(1982)、萩原紳治(1982)、エルブ・モアノー(1983)、リカルド・ユービン(1983)、フレッド・マーケル(1984)、徳野政樹(1985)、マーチン・ウィマー(1987)、ウェイン・レイニー(1988)、アレックス・ビエラ(1989)、平忠彦(1990)、エディ・ローソン(1990)、マイケル・ドゥーハン(1991)、ダリル・ビーティー(1992)、スコット・ラッセル(1993)、ダグ・ポーレン(1994)、芳賀紀行(1996)、アレックス・バロス(1999)、バレンティーノ・ロッシ(2001)、生見友希雄(2003)、井筒仁康(2004)、辻村猛(2006)、加賀山就臣(2007)、カルロス・チェカ(2008)、酒井大作(2009)、徳留和樹(2009)、青木宣篤(2009)、中上貴晶(2010)、ブラッドリー・スミス(2015)、トプラク・ラズガットリオーグル(2019)、イケル・レクオナ(2022)、シャビ・ビエルヘ(2023)

ポールポジションの記録

7回 - 伊藤真一(1998,1999,2003 - 2006,2008)

5回 - ワイン・ガードナー(1981,1984,1986,1987,1989)

4回 - 中須賀克行(2012, 2013, 2017, 2019)

3回 - グレーム・クロスビー(79, 80, 83)、マイケル・ドゥーハン(90, 91, 93)

2回 -
ポル・エスパルガロ(2015, 2016)、長島哲太(2022, 2023)

1回 - デビット・エムデ(1978)、ピエール・E・サミン(1982)、ケニー・ロバーツ(1985)、ウェイン・レイニー(1988)、武石伸也(1992)、スコット・ラッセル(1994)、アンソニー・ゴバード(1995)、アーロン・スライト(1996)、加藤大治郎(1997)、芳賀紀行(2000)、梁明(2001)、アレックス・バロス(2002)、カルロス・チェカ(2007)、秋吉耕佑(2009)、酒井大作(2010)、加賀山就臣(2011)、津田拓也(2014)、ジョナサン・レイ(2018)

レギュレーションの変遷

1980年 - 1983年 TT-F1(
4ストローク1,000cc以下)

1984年 - 1993年 TT-F1(4ストローク750cc以下、2ストローク 500cc以下)

1994年 - 1997年 スーパーバイク(4ストローク4気筒750cc以下、3気筒900cc以下、2気筒1,000cc以下)

1997年 - 2001年 スーパーバイク(4ストローク4気筒750cc以下、3気筒900cc以下、2気筒1,000cc以下)、Xフォーミュラ、S-NK

2002年 スーパーバイク(4ストローク4気筒750cc以下、3気筒900cc以下、2気筒1,000cc以下)、Xフォーミュラ、S-NK、プロトタイプ(4ストローク排気量1000cc以下、排気音量120db以下)

2003年 スーパーバイク(4ストローク1,000cc以下)、XXフォーミュラDiv1・Div2 、JSB1000

2004年 - 2006年 スーパーバイク(2006年はワークスのみJSB・4ストローク1,000cc以下)、スーパープロダクション、スーパーストック、XXフォーミュラDiv1・Div2

2007年 スーパーバイク・JSB1000(8耐のみ参戦の国内チームのみJSB・4ストローク1,000cc以下)、スーパープロダクション、スーパーストック

2008 - 2022年 Formula EWC(4ストローク 4気筒1,000cc以下 2気筒1,200cc以下)およびスーパーストック

2023年 Formula EWC(4ストローク 4気筒1,000cc以下 2気筒1,200cc以下)およびナショナルストック(スーパーストック、およびBoP適応済み車としてアプリリア・RSV4 1100 Factoryのみ)

主な出来事

1982年 台風の接近でレースを6時間に短縮して開催。6時間後に振られたのは、
チェッカーフラッグではなく赤旗であった。

1989年 126周目周回遅れのマシンを抜き損なったマイケル・ドゥーハンが周回遅れと接触し転倒。ドゥーハンは左手薬指と小指を切断するケガをしてリタイアとなる。

1989年 8時間経過後、全車に対してチェッカーフラッグが振られる前に観客がコースへ乱入し、赤旗が提示されてしまった。このためレース結果は1ラップ前でのコントロールライン通過順位となり、3位と4位の順位が入れ替わってしまい、最終ラップにヤマハのピーター・ゴダード/加藤信悟組を抜いたはずのカワサキの塚本昭一/前田忠士組が涙を呑む。また、優勝のサロン/ビエラ組も203周回しながらも記録は202周回となった。その後、「全てのライダーにチェッカーを」を合言葉にマナーアップキャンペーンが始まった。

1993年 トップを快走していたエディ・ローソンがオイルにのってコースアウト転倒、かわりにトップに立ったドゥーハン/ビーティ組のドゥーハンも独走中にオイルにのって転倒。いずれもオイル旗の処理がなかった。

1994年 スタートから30分後に周回遅れの1台のマシンがオイルを吹き転倒して炎上。そこへトップグループが差しかかり、オイルに乗って数台が転倒し炎上する炎の中に突っ込んだ。このため赤旗中断となり、史上初の2ヒートレースとなる。優勝候補の一角、辻本聡/加藤大治郎組は不運にもマシンが炎上し、さらにスペアマシンがなかったためリタイヤを余儀なくされた。また、岡田忠之/宇川徹組は転倒した宇川が負傷したため第3ライダーの匹田禎智で再スタートした。中断によりレース進行が遅れたため、観客の帰りの交通手段の確保を優先し、19時30分に赤旗が振られレース終了となった。

1995年 この年のレーススタートから当時のレース実況アナウンサーのみし奈昌俊が観客に呼びかけて10秒前からの全員でのカウントダウンが始まった。それ以前からもアナウンサーがカウントダウンをしたり観客が自発的に手拍子を取ることはあったが、サーキット観客が一体となって行われたのはこの年が最初であった。このカウントダウンはライダーのフライング防止にも一定の効果があった。また同時に8時間の経過の10秒前からのカウントダウンもこの年から行われ、カウント0とともにアーロン・スライトが前人未到となる鈴鹿8耐3連覇のチェッカーフラッグを受け、10秒前カウントダウンは鈴鹿8耐の定番として定着していった。

1997年 この年は台風9号がレースウィーク中に直撃し、スペシャルステージが中止。そのため、金曜日に行われた計時予選の記録でグリッドが決定された。また、併催の4時間耐久レースは3時間に短縮して開催された。


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