鈴置洋孝
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薔薇座入団のきっかけは、大学在学中に通っていた同アナウンスアカデミーの講師に紹介されたこと[2]、その恋人が入団オーディションを受ける際、「思い切って飛び込んでみよう」という気持ちでオーディションを受けたことによる[13]。その時恋人と一緒に暮らしていたが、履歴書で恋人と住所が一緒だったことから分かり、「この鈴置って奴だけ落としたらかわいそうだ」ということで、結果的に「おまけ」で合格になったという[9][13]

劇団薔薇座に入団した年が、ミュージカル路線に切り替わり、それまで所属していた劇団員達が大量に退団しており、正規の劇団員は4、5人くらい少なくなっており、あとは鈴置ら研究生だった[9][13]

公演は打てないことから毎日朝10時から夕方6時まで演劇史、日本舞踊、発声、週3回ジャズダンス、2回はクラシックバレエ、週3回声楽と毎日レッスンに明け暮れていた[9][13]。それでけでは生活はできないため、夜終わってから2人でアルバイトして自宅に帰ったらバタンキュー!という生活が2年続いていた[9][13]

研究生2年の時に親に同棲が発覚して、結婚したという[13]。妻は女優、声優の秋野真理子で、同じく劇団薔薇座に所属していた[2][7]

公演がない時はレストランのウェイター、スナックで弾き語りのアルバイトをしていた[5]。初舞台は1976年ジャン・コクトー作の『円卓の騎士』[5]

声優としての仕事を始めたのは、劇団時代にさまざまなアルバイトをこなしているときに「同じバイトなら声の仕事をしてみては?」と誘われたのがきっかけだという[10]。その時、偶々研究生しており、東北新社から劇団に、「事務所から研究生がほしいから」ということで、「鈴置行け」ということで[11]、同年、東北新社でアテレコの研修会に参加していたのがきっかけで声優としての活動を始めたという[2][5][9]。声優デビューは『熱狂のレーサー』[2][9]で、その時はテレビの洋画吹き替えの「男1」などのその他大勢[13][10]。また番組レギュラー、ガヤや脇役として初めて出演したアニメは『超電磁マシーンボルテスV』のその他大勢である[13]1978年に『無敵鋼人ダイターン3』の主人公・破嵐万丈役で初主演を果たし、1979年に後番組の『機動戦士ガンダム』のブライト・ノア役をオーディションなしでもらう[13][9]。その後1981年4月から東京俳優生活協同組合[5][8]1998年からは賢プロダクション[8]に所属[10]。その期間にも、海外のテレビアニメトランスフォーマースタースクリーム役やトム・クルーズジョン・トラボルタらの吹き替えなどで幅広く活動した。
死去

2006年7月初旬に体調を崩し検査を受けた結果、肺癌と診断され東京都内の病院に入院・療養に当たっていた。しかし同年8月6日の朝に容態が急変し、死去[6][12]。56歳没。妻との間に子供はいなかった。
活動内容

声種ローバリトンからハイバリトン[14]。方言は名古屋弁[8]

低音質を生かした理知的な役を多く演じており[15]、ニヒルな二枚目役が多かった[10]

声優活動のみならず、舞台活動も盛んに行なっていた。また、1984年からは声優バンド「スラップスティック」に、三ツ矢雄二の後釜として加入[16][17][18]。解散するまで音楽活動も行なっていた[16][17][18]

1997年には演劇ユニットの「鈴置洋孝プロデュース」を旗揚げし[9]、自身でも演劇のプロデュースを開始し、オリジナル作品を中心に発表している。いくつかの戯曲作品は書籍化されている。なかでも『煙が目にしみる』[注 1]斎場の待合室が舞台の、荼毘に付される直前の二人の霊魂が主人公という異色の人気作で、各地の数々のプロ+アマチュア劇団が取り上げ、演目としてスタンダードとなりつつあり公演されている[19]
人物像

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信頼性について検証が求められています。確認のための情報源が必要です。(2008年3月)


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声優・俳優として
薔薇座時代

薔薇座に入った頃は、指導の厳しさから「劇団なのか収容所なのかよくわからない凄いところだった」、「(野沢那智の名前にかけて)ナチ収容所」と語っており、当時は野沢本人に「あまりにも厳しすぎる」と直接発言していたという。しかし同時に「あそこを経験していたから自分は本当に精神的に鍛えられた。その後現場で辛いと思ったこともなかった」とも語っている[13]

23、4歳の頃に演劇のかたわら『ゴレンジャー』ショーのアルバイトをしており、当時は体重が50kgに満たないほど痩せていたのでモモレンジャー(女性)のスーツアクターを担当していた。また喫茶店でもアルバイトとして働いていたが、「同期の連中が就職する中、肩身が狭かった」と語っている[13]
演技・アフレコ

アフレコのリハーサル中には、メモを取ったりマーカーでチェックすることもせず、台本はいつも真っ白だったという。これについて林原めぐみは、「手ぶらでディレクターの指示を聞いているのを見かねてペンを貸そうとしたところ、『一度聞けば覚えるだろう』と言って断られた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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