鈴置洋孝
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しかし同年8月6日の朝に容態が急変し、死去[6][12]。56歳没。妻との間に子供はいなかった。
活動内容

声種ローバリトンからハイバリトン[14]。方言は名古屋弁[8]

低音質を生かした理知的な役を多く演じており[15]、ニヒルな二枚目役が多かった[10]

声優活動のみならず、舞台活動も盛んに行なっていた。また、1984年からは声優バンド「スラップスティック」に、三ツ矢雄二の後釜として加入[16][17][18]。解散するまで音楽活動も行なっていた[16][17][18]

1997年には演劇ユニットの「鈴置洋孝プロデュース」を旗揚げし[9]、自身でも演劇のプロデュースを開始し、オリジナル作品を中心に発表している。いくつかの戯曲作品は書籍化されている。なかでも『煙が目にしみる』[注 1]斎場の待合室が舞台の、荼毘に付される直前の二人の霊魂が主人公という異色の人気作で、各地の数々のプロ+アマチュア劇団が取り上げ、演目としてスタンダードとなりつつあり公演されている[19]
人物像

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声優・俳優として
薔薇座時代

薔薇座に入った頃は、指導の厳しさから「劇団なのか収容所なのかよくわからない凄いところだった」、「(野沢那智の名前にかけて)ナチ収容所」と語っており、当時は野沢本人に「あまりにも厳しすぎる」と直接発言していたという。しかし同時に「あそこを経験していたから自分は本当に精神的に鍛えられた。その後現場で辛いと思ったこともなかった」とも語っている[13]

23、4歳の頃に演劇のかたわら『ゴレンジャー』ショーのアルバイトをしており、当時は体重が50kgに満たないほど痩せていたのでモモレンジャー(女性)のスーツアクターを担当していた。また喫茶店でもアルバイトとして働いていたが、「同期の連中が就職する中、肩身が狭かった」と語っている[13]
演技・アフレコ

アフレコのリハーサル中には、メモを取ったりマーカーでチェックすることもせず、台本はいつも真っ白だったという。これについて林原めぐみは、「手ぶらでディレクターの指示を聞いているのを見かねてペンを貸そうとしたところ、『一度聞けば覚えるだろう』と言って断られた。しかも、そのあとの本番ではまったくNGがなかった」と語っている。一方で不可解なNGを出すこともあり、古谷徹によるとOVA聖闘士星矢 冥王ハーデス十二宮編』では「白羊宮」と上手く言うことができず、「白洋舍なら言えるのに」と真剣に悩んでいたという。

生前、アニメや洋画の吹替えに多数出演した一方で特撮作品の出演は少なかったが、1997年には『電磁戦隊メガレンジャー』にユガンデ役でレギュラー出演していた。同作の共演者たちは「アフレコに不慣れで大変だった際、鈴置さんが親切に色々教えてくれた」と語っている。

『聖闘士星矢』の冥王ハーデス十二宮編OVAシリーズは、テレビアニメから長期間経過していたこともあってオリジナルキャストの面々は声質が変化しており、原作者の車田正美は星矢役の古谷徹以外のキャスト総入れ替えを要求した。鈴置はこれに憤慨していたが、劇場版・ゲームの新録に際して古谷が「もう一度みんなで星矢を」と呼びかけたところ、「正直、あの役はもう降りるつもりだったが、お前のためならプライドを捨ててやってやる」と潔く応じたという。古谷は「このときは感動した」と語っている。

トム・クルーズ吹き替え[注 1]は1989年の『7月4日に生まれて』のVHS収録用の日本語吹き替え版におけるクルーズの吹替声優を決めるオーディションを受けた際に鈴置のデモテープを聴いたクルーズ本人の推薦で決まった事が始まりのきっかけとされている[20][21]

ブライト・ノア(『機動戦士ガンダム』)では、19歳の若さでリーダーシップを取らなくてはならなかったブライト・ノアと、劇団時代の自分の境遇を重ねて演じることがあったという[13]

ボーイズラブ(BL)CDの収録前には、相手役の声優に必ず「今日はたっぷり可愛がってやる」と話し、役作りをしてから演じたという。
声優業の待遇

インタビュー記事の中で『ダイターン3』の頃を振り返り、「スタジオでの収録が終わったらすぐに移動してキャバレーの呼び込みのアルバイトをしていたが、そっちの方が収入がよかった」と語ったことがある。

声優業だけで食べていけるようになったのは『機動戦士ガンダム』でブライト役を演じた頃からだったと語っている。しかしながら、その『ガンダム』出演時も、収録後に飲みに行く際、出演料の高い永井一郎池田秀一がタクシーで移動する一方、鈴置だけが自転車で必死に追いかけていたという。

『ガンダム』のヒットによる劇場版製作に当たっては、永井らとともに声優陣の中心となって一致団結してギャランティの値上げを交渉、その結果当時としては破格の出演料が支払われた。「それだけの仕事をしたと思うし、それに値する作品だと自負もあったから」と鈴置は語っている。また同時に、鈴置を中心としたメインキャストが一丸となって、「主演の古谷徹を断固としてトップクレジットに掲載する」ようにも交渉したという[13][注 2]
人柄
交友関係

仲の良い声優の中に古谷徹と池田秀一がいた。とくに池田とは呑み仲間で、共演する機会がなくとも酒の付き合いは長く続くほど、個人での付き合いが深く、池田からは「鈴置ちゃん」と呼ばれていた。麻生美代子とは仕事でもプライベートでも仲が良く、一緒に旅行に行くこともあったという。天津飯役として『ドラゴンボール』に出演が決まった際に、原作を読んでいた共演者の古谷に役柄についてレクチャーしてもらったと話している[22]

同じく二枚目を演じることの多かった塩沢兼人とも飲み友達で仲が良かった。ともに「フッ」と鼻で笑う役柄が多かったが、鈴置は「俺の『フッ』は正統派な二枚目だけど、あいつは怪しい変態チックな『フッ』」だと語っている。また日常生活では恥ずかしくて「フッ」とは笑えなかったという[10]

1990年には新幹線の中で急病で倒れ、『ドラゴンボールZ』の天津飯役および『ショウビズトゥデイ』のナレーションを山寺宏一、『らんま1/2 熱闘編』の九能帯刀役を辻谷耕史、『THE八犬伝』の網干左母二郎役を池田秀一、『アルスラーン戦記』カセットブック版のダリューン役を田中秀幸が一時的に代演となったこともある。入院した際、『ドラゴンボールZ』で共演していた堀川亮(現:堀川りょう)と古谷徹が心配してそれぞれ見舞いに来た。

タイムボカンシリーズ」の音楽担当であり声優としての出演もしていた山本正之は、自身の役を振り返って「これで鈴置くんぐらいの二枚目にはなれただろう」と語っている。なお、山本は鈴置の死を悼み『逆転イッパツマン』の主題歌の三番を新たに作詞、『逆転イッパツマン!3C』を作曲している。間奏に鈴置と富山敬の当時の台詞が挿入されている。

艶福家であり、薔薇座時代のメンバーによる印象は、「とにかくもてる奴」で一致している。『らんま1/2』で帯刀の妹・九能小太刀役として共演した島津冴子も鈴置のことが好きだったと語っている[要出典]。


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