また特定非営利活動法人ゆうばり観光協会、ゆうばり再生市民会議、ゆうばり子ども文化の会「かぜちゃる」にも参加した。2008年には、夕張メロンの果汁を使用した「夕張メロンポップコーン」を考案し、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭でも販売した[23]。
2009年7月、夕張市財政再生計画に市民の声を反映させるため、夕張再生市民アンケート実行委員会を設立する[24]。母校・法政大学及び夕張市で調査実績のある北海学園大学の学生ボランティアに参加を呼びかけ、2人1組で戸別訪問する聞き取り調査やアンケート調査を行い、夕張市の全世帯数の26%に相当する1661世帯から回答を得る。
2009年10月、市民の声を政府へ伝えるため、夕張市を視察に訪れていた渡辺周総務副大臣(当時)が乗車するバスに同乗し、およそ20分にわたり渡辺副大臣に夕張市の状況を説明した。同年11月、総務省で渡辺副大臣に報告書を提出し、夕張市の実情に見合った配慮を求めた。2010年4月からスタートした夕張市の財政再生計画には、調査報告書を基に要望した「除雪体制の見直し」「老朽化した市立診療所の改築」等が盛り込まれた。[要出典]
2010年3月、夕張市への派遣期間が終了し、最終日には多くの夕張市民が市役所前に集まり、幸福の黄色いハンカチを振って見送った。[要出典]同年4月からは東京都より内閣府地域主権戦略室に出向したが、猪瀬副知事、藤倉肇夕張市長の意向により夕張市行政参与に就任した。 市長時代はマスメディアから「日本一給料の安い地方自治体首長」として紹介されていた[25][26]。財政再建団体のため、月額給与は70%カット[25][26](2016年7月現在で、25万9000円[26])、退職金と交際費は100%カットしていた[25]。2017年の年収は市長としての給与が約251万円、その他の所得(講演、テレビ出演、執筆など)は約470万円だった[25]。 2011年7月、公約実現のための市長特命チーム「まちづくり企画室」を設置した。 2011年10月24日、日本商工会議所の岡村正会頭のもとを訪れ、財政赤字の解消に尽力している状況を説明し、工業団地への企業誘致を進め雇用の創出を図るとともに、遊休温泉施設の活用事業者やサッカー場などを兼ね備えたスポーツ施設のネーミングライツスポンサーの募集など民間の力を活かした取り組みを語った[27]。 2012年1月6日から9日まで、「カタール国 教育・福祉復興支援事業 北海道夕張 親子で雪ん子リフレッシュ・キャンプ」を開催した。被災3県(岩手県、宮城県、福島県)の子ども達と家族700名を、カタール国の支援により受け入れた。前年夏に、福島市の主催事業で福島の小学生らを受け入れた際に知り合った石原洋三郎衆院議員が役員を務める日本・カタール友好議員連盟を通じて義援金の活用をカタールに要請し、駐日カタール大使から約7000万円の支援があり実現したものである。この時点では国内最大規模の受け入れとなった。野田佳彦(当時内閣総理大臣)らと鈴木(左から3人目)(2012年1月20日、首相官邸にて) 2012年1月20日、内閣総理大臣の野田佳彦(野田第1次改造内閣)に面会する。カタール国国務外務大臣ハリド・アル・アティーヤ
夕張市長夕張市長在任中の鈴木(2011年7月4日撮影)
活動
2013年7月30日、夕張メロンを世界に通じるブランドにするべく、カタールへ渡った。鈴木自身が手荷物で約50玉のメロンを運び、アティーヤ外相に贈呈、現地王族にもふるまい、好評を得る。0泊3日の強行日程、渡航費用など30万円は私費、メロンは夕張市農協からの無償提供であった。翌年には、夕張メロンのアジア初輸出が決まる。
2016年6月、「夕張市の高齢化率は約49%。高齢化の先進地域です。」と夕張が抱える高齢化問題に触れ、「どういう医療・介護サービスを展開できるか。とりわけ財政的に厳しい制約がある中、どうやって最高の効果を生み出すか。夕張の取り組みは今後、他の自治体にとってヒントになると思います。」と述べた[28]。
2016年8月8日、北海道旅客鉄道(JR北海道)本社で島田修社長と会談し、赤字が大きく同社単独での維持が困難な線区として、秋にも公表すると見られていた、石勝線の新夕張駅―夕張駅間(夕張支線16.1キロメートル)の廃止を市長側から提案した。