鈴木亜美
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3月25日発売のファーストアルバム『SA』は、オリコン集計で初のミリオンセラーとなり、約250万枚の大ヒットを記録。同年7月に発売された7thシングル『BE TOGETHER』は、当時ライバル関係と騒がれたブレイク中の浜崎あゆみの「Boys & Girls」を抑え、初の1位を獲得・シングルでは自身最大の87万枚のセールスとなった。続く9月発売の『OUR DAYS』でもオリコン週間ランキング1位を獲得。年末の第50回NHK紅白歌合戦に『BE TOGETHER』で初出場を果たした[8] 。また、同年3月17日発売の6th「Don't leave me behind」と 12月22日発売の9th「HAPPY NEW MILLENNIUM」は共作ながらも本人による初作詞であり、作詞家としてもデビュー。当時、小室ファミリーが解体する中で小室哲哉プロデュースでヒットを連発した最後のアイドルであった。

2000年2月発売のアルバム『infinity eighteen vol.1』もミリオンセラーを記録。3月にライブツアーの合間を縫って高校を卒業した。4月に発売したシングル『THANK YOU 4 EVERY DAY EVERY BODY』もオリコンで1位となり、連続リリースのアルバム『INFINITY EIGHTEEN Vol.2』は2位となった。夏に全国アリーナツアーを果たし、NHK総合テレビのドラマ『ドラマDモード深く潜れ?八犬伝2001?』でテレビドラマに初主演するなど活動の幅を広げた。
2001年 - 2002年:活動休止

1999年7月、エージーコミュニケーション(以下、エージー)の社長が経営コンサルタント会社ネオギルドから他の芸能事務所と共に法人税脱税指南を受けたとして、同社に対して東京国税局国税専門官査察が行われる。これを受け、エージーの社長は脱税が公になった時の所属タレントの風評被害を躱す意図から専属契約部分を系列会社のミュージック・トライブへ名目上移籍させ、1999年10月から専属契約を締結した(後の訴訟での陳述で公にされた)。2000年2月に脱税指南をした経営コンサルタントが逮捕され、東京国税局は2000年3月にエージー社長らを東京地方検察庁へ告発。同年7月にエージーの社長らが法人税法違反(法人所得の過少申告により約2億5千万円脱税)容疑で逮捕される事件となった(2001年に執行猶予付有罪判決が確定)。これにより芸能活動で多忙を極めた鈴木側と芸能事務所の間に大きな溝が生まれ、2000年10月26日に鈴木の父は専属契約を更新しない旨通告した。

2000年12月には脱税事件により信頼関係が崩壊したとして、所属事務所でマネジメント契約を結んだエージーコミュニケーションおよび専属契約を結んだミュージックトライブに対して「契約終了の確認」とレコード会社や広告代理店などから事務所に支払われた大もとの「契約出演料明細の交付」を求め、鈴木本人と親権者である両親が東京地裁に民事訴訟を提起した(委任契約終了確認等請求事件。当時鈴木は18歳で未成年であった為)。

訴訟提起後もデジタルドリームライブ第51回NHK紅白歌合戦鈴木あみのアイドルダウンロードショーなどの出演はこなしたものの、主演が内定していた2001年4月からのテレビドラマ『新・星の金貨』は降板し、出演者変更のため2話分短縮(放送開始繰り下げ)される事態が発生した(訴訟で『新・星の金貨』は事務所がレコード会社と勝手にオファーを受けたなどと代理人が陳述)。小室はエージー社長と懇意にしていたこともあり、小室が紆余曲折を経てエイベックスに所属するまでは音楽上の関わりあいが断たれることになった。マスメディアからは独立騒動(お家騒動)と受け止められていたが、2001年3月8日の日刊スポーツは一面で鈴木の引退危機に追い込まれていた事を報じていた。CMなどの出演契約が満了した2001年4月以降は出演契約の締結・更新など芸能活動が不可能となり、実質引退状態に追い込まれることとなった[9]。この時点では所属契約は解除されていないため、CD・ビデオや書籍は廃盤絶版扱いにはならず、従来通り商品の入手が可能であった。

この事態を受けて、2001年3月末にファンはインターネット上でデビュー曲である『love the island』を大量に購入し、オリコンにランクインさせるという行動を呼びかけた。オリコンチャートトップ10にこそランクインしなかったものの、その活動を受けてTRUE KiSS DiSC(SMEJ)は2001年5月末に急遽ベスト・アルバム『FUN for FAN』を発売。オリコンアルバムチャート1位を記録した。また、同時にファンサイト内で鈴木の復帰を求める署名活動も実施。国内だけでなく、台湾からも多くの署名が集められた。

しかしながら、SMEJとの専属実演家契約はプロミュージシャンでは慣例となっている芸能プロダクション(エージーコミュニケーション・ミュージックトライブ)を交えた三面契約で締結していた(CDのギャランティーは芸能プロダクションに支払われ、経費を差し引いてアーティストに渡される)ことから、『FUN for FAN』発売後の同年6月にSMEJに対しても所属事務所と同様の「契約終了の確認」および「実演家印税の支払い・明細の交付」を求めて新たに東京地裁へ民事訴訟を提起した(専属実演家契約終了確認等請求事件)。この訴訟では『FUN for FAN』発売はレコード会社によって勝手に行われ、売上に対する印税を受け取っていないと鈴木側は主張している(SMEJは所属事務所に支払っていると主張)。

2001年7月18日、委任契約終了確認等請求事件の判決で、東京地裁(金井康雄裁判長)はエージーコミュニケーション、ミュージックトライブとの「契約終了」については鈴木側の主張を認め、「明細の開示」については認めないとした。上告しなかったことから所属事務所との契約終了については確定。法的上、歌手以外の活動は事務所から独立してフリーランスになった。しかしSMEJとの訴訟は係争中のままであり、受け入れる新たな事務所も無く、芸能活動は停止したままとなった。なお、一連の訴訟には鈴木本人は姿を見せなかった。

2002年1月6日、女性週刊誌・スポーツ紙の記事で小室哲哉繋がりで吉本興業に所属し、春を目処にR and C JapanからCD発売と報じられた。2月には林裕章吉本興業社長が契約交渉を詰めている事を認めたが、4月15日の吉本新喜劇の記者会見後の取材で鈴木側の弁護士と話がつかないとして静観していると発言し、自然消滅となった[10]
2002年 - 2004年:個人事務所 「AMITY」 発足

2002年7月18日発売の週刊文春7月25日号のグラビアコーナー「原色美女図鑑」に前触れなく突如として登場し、記事上で写真集を発売することを急遽発表。事前告知はされなかったためスポーツ紙での後追い取材のみとなったが、グラビアから抜粋した顔写真が掲載された。そして7月25日に写真集『亜美'02夏』が発売される。発売イベントは一切行われず、週刊誌以外のマスコミ媒体には一切姿を出さなかった。11月14日、家族・親戚との共同制作で公式サイト"ami-suzuki.com"を開設(2005年にavexに移行)。開設からの2日間で約20万を超えるアクセスが集中したと、公式サイトを通じて亜美本人のコメントも出された。突如として出現した公式サイトに、当時復活を待ち望んでいたファンは歓喜した。開設日は亜美の実兄の誕生日であり、その日をあえて"記念するサイト開設日"にあてたと亜美本人の談話も発表された。12月24日発売の週刊朝日でのインタビューで、本名の「鈴木亜美」名義で活動すると宣言した。

2003年3月28日、専属実演家契約終了確認等請求事件の判決で東京地裁(菅野博之裁判長)は、“マネジメント契約の失効により三面契約も当然に失効する”として、SMEJおよびソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズTRUE KiSS DiSCを2001年10月のSMEJ分社化により承継した)との契約終了を認め、一方で印税などの請求については棄却とした。しかしSMEJ・SMARは不服として上告する。

9月12日に公式サイト上にAIIのプラットフォームを用いた有料のファンサイト「AMI SAFARI」を開設。本人がDJを務めるインターネットラジオなどが定期的に制作され、近況を窺い知れるようになった。9月25日文藝春秋からDVD付き写真集『ami book』を発売。実に2年半ぶりに「動く」鈴木亜美がDVD映像を通じてメディアに流れることとなったが、イベントやテレビに直接出ることはなかった。

同11月4日、SMEJおよびSMARとの訴訟が和解により終結。和解内容は非公表であるが、関係者筋によればSMEJ・SMARとの契約は継続していることを双方が確認する内容であったと報道されている。このため、TRUE KiSS DiSC(発売元:SMAR)のタイトルは廃盤にされなかった。以後、本格的に歌手活動再開に向け動き出すこととなった。

2004年4月22日、文藝春秋から新曲シングルと写真集『強いキズナ』をセットで発売。出版社から書籍扱いでの発売となったのはレコード会社と未契約のためである。このシングル・写真集は、トーハンの2004年4月27日付ベストセラーランキング・単行本ノンフィクション部門で1位になり、最終的に15万部以上を売り上げた。5月11日HMV渋谷店でインストアライブを開催し、3年1ヶ月ぶりに歌手として公の場に姿を見せることになった。

8月11日にシングル『FOREVER LOVE』をインディーズレーベル「AMITY」から発売(インディーズとしてCDセールスチャート対象となる)。HMV渋谷にて再びインストアライブを敢行。神宮外苑花火大会よりライブ活動を再開する。その後、学園祭ツアーの全国巡回、12月4日から出身地の神奈川県座間市よりライブツアー『AMI's LOVE FOR YOU-LIVE』を行う。


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