村上のなぜ責任ある立場の者に直接持っていかせなかったのかという追及に対して藤森は職員が持っていくと出国の手続きに時間が取られること、またこの直前に明仁天皇からフランスのミッテラン大統領への贈り物が「機長託送」でパリに贈られていたことから「機長託送」なら安全に早く送れると担当者が考えたようであると答弁している。また村上のなぜ中身が勲章であることを告げなかったのかという追及に対して藤森は「勲章は天皇陛下の直接の御所有物であり、また機長に託したことから」と答弁している。
答弁の中で官房長官・五十嵐広三は「このたびの問題につきましては、天皇陛下、スペイン政府に大変御迷惑をおかけいたしましたことをまことに遺憾に思っている次第であります。この後、もちろん二度とこのような問題が起こらないように万全の措置をとるよう関係者に厳しく指示をしてまいりたいと、このように思う次第であります。」と謝罪した。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 一説に、ブルゴーニュの豊かさの源である毛織物交易の暗喩として金羊毛が用いられたとするものがある[7]。
^ 母フィリパがランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの娘。百年戦争で善良公と共闘した、ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスターとは、祖父ジョン・オブ・ゴーントを同じくする従兄妹同士となる。
^ イングランドでは、1455年5月に薔薇戦争が勃発。ランカスター家とヨーク家の抗争の中、1461年にヨーク公エドワードが推戴されて国王エドワード4世となっており、ブルゴーニュ公国の支援を背景にヨーク側の勢力を維持しようとしていた。
^ a b c ナポレオン戦争後の1814年に主要国の要人をロンドンで歓待した際に、ジョージ摂政王太子は各国の最高勲章を受章した(オーストリアからは皇帝の代理としてメッテルニヒ宰相が訪英)。英国摂政王太子としての期間が長く、すでに主要国の君主より年長だったことと、ナポレオン戦争で英国が重要な役割を果たしたことから、異例の受章となった。(君塚 2014 p.70-75)
^ 頸飾はエストニアのテッラ・マリアナ十字勲章を佩用
出典^ a b c 河原 2006, p.148
^ a b 君塚 2014 p.35
^ a b c “【世界勲章物語】金羊毛勲章 「欧州最高の格式」の数奇な運命 関東学院大教授・君塚直隆”. 産経ニュース. (2016年7月21日). https://www.sankei.com/article/20160721-TSTLTGOVINKB5DKYZGBWZI277E/ 2017年10月20日閲覧。
^ a b c d 黒木 2006 p.238
^ 河原 2006, p.147
^ カルメット (2023), pp. 459?460.
^ a b c d スレイター (2019), p. 149.
^ 近藤 2000 p.104
^ a b 掘越 1996, p.186
^ 掘越 1996, p.186-187
^ a b c d 黒木 2006 p.239
^ a b 黒木 2006 p.256-257
^ a b c d スレイター (2019), p. 148.
^ a b 近藤 1996 p.130
^ 掘越 1996, p.198
^ 君塚 2014 p.37
^ 君塚 2014 p.36
^ 君塚 2014 p.38
^ a b カルメット (2023), p. 297.