2008年4月11日から13日までの巨人対ヤクルト戦は「川上哲治/金田正一シリーズ」(永久欠番シリーズ)として開催された。この日付は1965年4月10日、「巨人の金田」としての初勝利を挙げていることにちなんでいる。
2000年代でも、金田の球歴を知る選手・OB・関係者にとっては畏れ多い存在であった。2008年に金本知憲の2000本安打達成記念の名球会ブレザーを進呈するために阪神甲子園球場を訪問したが、阪神側のベンチに座った際も選手は近寄れない様子だった。一方、2006年2月に巨人のキャンプを訪問した際には原辰徳監督が内海哲也に「あの方を知ってるか」と聞いたところ、「カネムラさん」と呼び間違えた上(勝利数を問われて)「300何勝でしたっけ?」と発言し、同行した広岡達朗が激怒したことがあった[42](金田本人は笑って許したという[43])。
2009年、金田が会長を務めていた名球会に対し、金田のワンマン運営であるという批判が上がった結果、金田は名球会の代表取締役を退任。名球会事務局も金田の個人マネジメントを行う「カネダ企画」から移転した。2010年に名球会は一般社団法人となったが、この改組に反対した金田は名球会から退会状態になっている事が報じられた[44]。
2012年11月14日、『徹子の部屋』(テレビ朝日)に36年ぶりに出演した[45]。
2015年6月25日には『アウト×デラックス』(フジテレビ)に出演し、「自分のことやから言うけど36歳で(現役を)終えてるの。皆40歳近くまでやってるでしょ。それが凄いんです」と発言。さっそく自らを絶賛し、山里亮太から「ダルビッシュとどっちが凄いんですか?」と訊かれると、「それは無礼だよ」と言い、矢部浩之から「現役時代180キロは出ていたと発言」といった金田の伝説が紹介されると、「その頃は測る機械もないじゃない。出たと思えばいい」と答えた[46]。歯に衣着せぬキャラクターでロッテ監督退団後も引き続きタレントとして活動していた。
2019年7月、自宅で倒れ、心筋梗塞と診断される。11日間の入院生活を送るが、無事退院し、週刊誌の取材にも応えていた[47][48]。
2019年10月6日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症のため東京都内の病院で死去[1][49]。86歳没。通夜・告別式は近親者のみで営んだ[50]。最晩年のテレビ出演は2018年10月28日放送の『サンデーモーニング』(TBSテレビ)と、11月3日放送の『関口宏の人生の詩U』(BS-TBS)だった。長男の賢一によると「あの世へ行っても仏様の弟子にはとてもなれない」との考えから、戒名は付けなかったという[51]。
翌2020年1月21日、帝国ホテルにて「お別れの会」が開催され、約500名が参列した[52]。この会合に参列した野村克也は、その21日後に死去した[53]。 20年の現役生活において、用いた球種は速球と縦に鋭く割れるカーブ、タイミングを外すスローカーブのみであった。 特に速球については「手元から離れても最後まで速度が落ちない快速球」[54] と言われるほど、凄まじい球威を持っていたとされ、数々の逸話を残している。 投球術については、国鉄-巨人の現役時代を通じて捕手からのサインの指示を受けず、自らの判断のみで投球内容を決定する「ノーサイン」を貫き通した。 金田の投球フォームは、弓のような強靭でやわらかい長身細身の全身を(引退後もテレビなどで難なく股割りを披露している)流れるように使ったオーバースローである。前足を踏み出すと同時に、軸足のひざを曲げて重心の下げとためをつくり、弓を引くように左肩を後方に大きく引きつけて、テイクバックした左腕を停止させずに振り子のように回しながら、一気に上半身を大きく前方に倒れこませるようにしてリリースする。金田自身は「投手にとって最も大事な要素は下半身」という持論を持っており、自身の鍛錬や村田兆治ら後進への指導の際には走り込みを最も重視しており[55]、監督時代には「足で投げろ!」と檄を飛ばすほど下半身主導の投球の大切さを説いていた[56]。金田のオーバースローは、左手の掌はテイクバックの際に上を向くアーム式[57] で、踏み出し幅は小さく、前足の膝はリリース後のフォロースルーまで真っ直ぐに突っ張ったまま[58] という、今日では古典的とされるフォームでありながらも、リリースの寸前まで後方に引き付けられた左肩の大きな可動域と、全身に負担が分散される体のやわからかさと使い方のうまさ、上半身主導の強い遠心力を支え切る強靭な足腰が、20年に渡る現役生活で肘以外に大きな故障を起こすこと無く大記録を達成する原動力となった。 なお金田は自身の投球フォームを確立するに当たり、高校時代より藤本英雄の深く沈み込むフォームの写真を参考にしたという。球は速いが制球が悪すぎてチームメイトからすら「(危険過ぎるため)もう金田を投げさせないでくれ」と監督に懇願されるほどであった自身の欠点を克服する為、毎晩銭湯の鏡の前で藤本のフォームの写真を見ながらシャドーピッチングを行った。この時身に付いた「重心の低いフォーム」が、後年8種類とも自称した多彩なカーブの切れ味に貢献したという[59]。 高校時代、金田の投球を捕球出来る捕手がおらず、苦肉の策として投球練習する際、捕手をマウンドの上に座らせ自身がホームベース上に立って投球練習を行ったという。
プレースタイル
投球
球速