金田一 春彦
きんだいち はるひこ
人物情報
生誕 (1913-04-03) 1913年4月3日
東京府東京市本郷区森川町
死没2004年5月19日(2004-05-19)(91歳)
山梨県甲府市
出身校東京帝国大学
学問
研究分野国語学
学位文学博士
主要な作品明解國語辭典(1943年)
三省堂国語辞典(1960年)
平曲考(1997年)
学会国語学会
日本言語学会
主な受賞歴芸術選奨大臣賞(第33回)
紫綬褒章
文化功労者
瑞宝重光章
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金田一 春彦(きんだいち はるひこ、1913年〈大正2年〉4月3日[1] - 2004年〈平成16年〉5月19日[2])は、日本の言語学者[3]、国語学者、邦楽研究家[4]。日本語の音韻学が専門。国語辞典などの編纂、日本語の方言におけるアクセント研究で知られる[5]。邦楽にも造詣が深く、平曲研究の第一人者。著書に『日本語の特質』(1980年)、『日本語(新版)』(1988年)、『平曲考』(1997年)など。文学博士[6]。栄典は勲三等旭日中綬章[7]、紫綬褒章[8]、瑞宝重光章。
その他の表彰歴として文化功労者[9]、東京都名誉都民[10]など。
父の京助も文学博士で日本学士院会員。長男の真澄も文学博士で慶應義塾大学名誉教授、次男の秀穂は言語学者で杏林大学外国語学部教授、長女の美奈子はフリーライター[11]。従伯父に実業家の勝定がいる。 1913年4月3日、東京府東京市本郷区森川町1番地(現在の東京都文京区本郷六丁目10番)[12]にて誕生する[13]。金田一京助と静江(旧姓・林)の間の長男かつ一人子[13]。父からは学問への情熱を、母からは世俗性を受け継いだ。春彦の出生当時、京助は三省堂百科事典の校正係の職を失って無収入であり、一家は経済的にどん底の状態にあった。しかも京助と同郷で懇意にしていた石川啄木(啄木は岩手県南岩手郡日戸村、京助は同郡仁王村の出身[14])が、新婚時代の金田一家に押しかけて、静江が婚嫁の際に持参した着物などを、勝手に質に入れては流してしまった[15]。そのことを静江から繰り返し聞かされて育った春彦は、後年「石川五右衛門は石川啄木の兄貴か何かであるように思った」と回想した[15]。 1921年4月、最寄の東京市立誠之小学校は、駒込西片町の教養ある家庭の子弟が多く進学校として評判の高い学校だったが、父の京助が住民票を移し忘れた関係で[16]、菊坂町の庶民的な商家の子供が多数を占める東京市立真砂小学校(現在の文京区立本郷小学校)に入学する[17]。翌年、学区内の真砂町23番地(現在の本郷四丁目11番6号)に越す[12]。この学校では国語よりも算術や地理や唱歌に興味を示し、誠之小学校で本居長世から歌唱の指導を受け、頭を撫でてもらったことから、本居の人柄を慕うようになった。4年生のときには、本郷区全体の小学校の唱歌会に真砂小の代表者として出場して独唱する。 この頃、夕食の席で言語学者・佐久間鼎の『国語の発音とアクセント』が話題になっていた時、自らの発音に基づいて佐久間の学説を批判し、京助から喜ばれる。
人物・来歴
生い立ち