金瓶梅
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特徴

『金瓶梅』は『西遊記』『水滸伝』『三国志演義』とならんで四大奇書と呼ばれるものではあるが、他の三書が街で多数の演者により語られてきた、講談を基に編集された書であるのとは異なり、一人の人物が緻密に構成して書き上げたという点で、中国の白話小説でも画期的なものである[6]。『金瓶梅』は中国文学史上、それまでの『水滸伝』や『三国志演義』などの波乱万丈のストーリーを特徴とする小説からの転換点にあたり、その後の『儒林外史』や『紅楼夢』などの小説に大きな影響を与えた。中国文学者中野美代子は、著書『中国人の思考様式-小説の世界から-』(講談社現代新書、1974年)で、作者と読者(聴衆ではなく)の一対一の関係の設立した中国での最初の小説として、魯迅以降の近代小説の先駆的存在と述べている[7]。複数の作者がいるという説もあるが、第一回から西門慶が死んで財産が散り散りになってしまうことが予告され、それに向かってそれぞれの登場人物の結末に周到に伏線が張られていることから、複数の作者がいたとは考えにくい[8]

『金瓶梅』は『水滸伝』のプロットを利用しているほかにも、一回ものの講談を基にした話本[注 13] 、これを模した白話短編小説の擬話本、事件や裁判を描いた公案小説、元曲などの引用や影響も多くみられる[9]。当時の他の小説も、他の本からの引用やパロディが使われていたが、それが分かったからと言って作者の創作方法や創作意図が明らかになるわけではない[10] 。しかし『金瓶梅』の場合、なぜ作者がその素材を選び、それをどのように使用しているのかということは『金瓶梅』を理解する上での重要なテーマで[10]、パトリック・ハナンが1963年に初めてこのテーマを扱った網羅的な論文を発表した(Source of the Chin P'ing Mei Asia Major N.S. vol X Part I, 1963)。

具体的な素材としては、例えば話本の『清平山堂話本』『警世通言』などが挙げられる[11] 。あるいは好色短編小説の『如意君伝』も素材に取られている[注 14]。この『如意君伝』では、講談やそれを基にした口語文学の写実的な表現方法とは違い、色情描写が詩や駢語[注 15] などの方法で比喩やほのめかしで表される。そして『金瓶梅』でもそのスタイルが取り入れられており、文言小説[注 16]の手法が口語小説に取り入れられているという点で注目すべき点になっている[14] 。李開先の書いた戯曲である『宝剣記』も『金瓶梅』に取り入れられているが、このような戯曲や曲は、作者が実際に見たり聴いたりしたものを自分でも唄い、記憶を基に書いている形跡がある[15]第四十二回
元宵節(陰暦正月十五日)の出し物の燈籠。この回では元宵節の宴会や燈籠、花火の様子が描かれている。(崇禎本の挿絵))

『金瓶梅』では、先行する『水滸伝』の世界ではほぼ省かれていた女性、愛欲、金銭、仔細な日常描写といった要素が全面的に展開されている。その描写は非常に詳しく、食べ物、飲み物について具体的に列挙し、人物の容姿、着ているものやアクセサリー、その柄やデザイン、色の合わせ方、化粧の様子なども詳細に描写されている。次の部分は李瓶児についての描写である。

(李瓶児は)上には、緋色の地に、五色をあしらった薄絹の長袖の長上着、下には、緑色の地に、金で枝と葉をあしらった百合模様の紗の裙子といういでたち、腰には碧玉の女帯を結び、腕には金の袖どめをはめ、胸には首飾りや瓔珞を垂らし、腰には佩玉を帯び、頭には真珠や翡翠の髪飾りを盛りあげ、鬢にはかんざしを挿し、耳には金台の紫水晶の耳輪、それから珠をくわえた鳳凰の形のかんざしを二本鬢に指しております。白い顔に翡翠の飾りがよく似合い、もすその下から紅おしどりが顔をのぞかせ、さながら嫦娥月殿を離れ、神女?前に至るといったありさま。—第二十回(『金瓶梅 第3巻』小野忍千田九一訳、岩波文庫、1973年、p.288)

このような表現が衣食住のそれぞれについてあちこちに認められる。あまりに詳細であり、その個所も大変に多いので、「読んでいてうっとうしく思う」という感想さえ持たれるほどである[注 17]

会話や金銭の受け渡しなど、人々の振る舞いが活写されていることも特徴である。中国文学者の日下翠は第二十一回のエピソードを例にとって、描写のリアルさを説明している[16]。 この回では潘金蓮と孟玉楼が他の3人の奥様方からも金を集め、呉月娘を招いてみんなで雪見の宴会をしようと計画を立てるのである。ここでは、例えば、銀の地金またはその加工品を秤で測って取引をする様子が描かれている。もちろん当時は、実際そうやって取引をしていたのである。また、使用人が預かった金をごまかすことが黙認されている様子がわかり、そのことを前提とした上で、苦労して金を集めてきた孟玉楼が使用人に買い物を頼むときに、あまり上前をはねないでね、と釘を刺している。奥様方それぞれの人物の性格に応じて、金の出し方が違う様子も目に浮かぶかのようにうまく描写されている。

作者は男性であるとされているが、女性同士の会話や日常生活の様子が生き生きと描かれている。例えば、女性同士で靴を作る場面がいくつか出て来るが、何色の糸を使ったほうがよいか、どんな模様にするか、など男性なら大して興味もない話をしながら靴を作っている。また、これもやはり男性なら興味のない場面であろうが、髪を結っている様子が描かれている場面もある。作者はおそらく、女性たちの様子を普段からじっと観察しており、そういうことが好きだったのだろうと推察できる[17]

性的な娯楽小説としての特徴であるが、現在の同ジャンルの読み物で頻出するテーマの一つであるレイプの場面は『金瓶梅』にはない。レイプやSMの場面が少ないのは中国の性文学に共通の特徴で、それは作者や読者の属する君子階級では女性は征服すべき対象とはみなされなかったからであろう[18] 。また、西門慶の相手のほとんどは"素人"の女性である。西門慶との場面が描かれている主要な登場人物の中でまがりなりにも性を売り物にするプロと言っていいのは妓女の李桂姐だけだが、パトロンだからしかたなくといった感じであり、描写もおざなりである。おそらく作者は「その気になった女と遊んだ方が楽しい」と知っていたのであろう[19]
作者第六十回
西門慶が呉服屋を開店した場面。作者もこの種の商売をしていたのかもしれない。(崇禎本の挿絵)

現存する最古のテクストである『金瓶梅詞話』の序に書いてあることから、作者は蘭陵の笑笑生とされるが、詳細はいまだわからない部分が多い。「蘭陵」は山東省の地名で、文章にも山東省の方言語彙も見られることから、一般的には山東省の人と考えられている。その一方で、当時の大文人の王世貞が、当時権勢を振るっていた厳嵩・厳世蕃親子を弾劾するために書いたとも言われる[注 18]が、王世貞は江蘇省の人である。また、現在の上海語に近い呉語と共通する方言語彙も多く現れる[21] ことから呉語地域の出身者という見方もある。なお、蘭陵は名酒を産することで有名なことから、「蘭陵の笑笑生」とは「酒を飲みながら、笑って書いた」くらいの意味のペンネームであり、必ずしも蘭陵の人とは限らないのではないかと日下翠は述べている[22]

具体的な作者名としては他にも李開先[注 19]や屠隆[注 20]も挙げられるが、その主な根拠は李開先のものと分かっている文章が使われていたり、屠隆のものとみられる文章が使われているからである。ただ、『金瓶梅』は当時の俗文学がそうであるように、様々な文章からの引用やそのパロディが非常に多く使われており、李開先や屠隆の文章もそうした素材に過ぎないかもしれない[24]

何かを素材にしたことが分かっている駢語や詩歌の多さから、俗文学の類の大量の書籍を容易に手にすることができた人物ではあるだろう[24]。また、文章のみならず他の素材からプロットを借りてきている部分も多くみられる。もともと『水滸伝』のエピソードを敷衍した話なので、『水滸伝』のエピソードを借りているのは自然なことと言えるかもしれないが、他のさまざまな小説からの借用も多い。作者の構想力、多くの女性の性格を鮮やかに描き分ける描写力などについては並でない文才は認められるものの、詩歌やプロットを創造する類の一流の文人と考えるのは難しい[24]

ただし、単に人の文章を借りて無造作に放り込んだというのではなく、引用元の素材を読者に認識させ、それがどのように『金瓶梅』に生かされているかというように重層的に楽しむことができるように注意を払っていることが認められる[25] 。また、『金瓶梅』の詳しすぎるほどの状況の描写は、賦と呼ばれる文学形式、つまり対象を多くの言葉を費やして舗陳しつくそうする特徴をもつ伝統的な文学形式のパロディであるかもしれず、つまり読者として想定しているのは普段から多くの書物を読み親しみ、さらに言えば西門慶のごとく多くの物や女性に囲まれて暮らしているというような人たちだったのであろう[26] 。そして、作者もやはりそのような階層の一員であったと考えられる[26]。身分の低い講釈師が金持ちの生活を想像して書いたものとは考えられず、作中の告発文の様子から考えても作者はかなりの才能、学識を有していたと考えられる[27]

西門慶は作中で質屋、呉服屋、糸屋などの商売を始めているが、薬屋以外の商売については描写が詳しい。このことから、作者はこれらのビジネスについて幅広く詳しく知っていたものと推定できる。実際に作者自身がこのようなビジネスを手掛けていたのかもしれない[28]。ただし、薬屋の商売については具体的なことはほとんど描写されていない。薬屋については『水滸伝』での設定でもあるし、武大を毒殺する薬を入手する先を必要とするから、仮に作者が薬屋を描写できるほど詳しくなくてもこれは外せないのである。
評価

写本で出回っていたころから、すでに好意的な評価から否定的な評価まで様々であった。当時の著名な文人の一人である袁宏道は「枚乗の“七発”より優れている」[注 21]と絶賛している。枚乗とは賦を得意とした文人である。おそらく袁宏道は衣食住の様子をこまごまと並べ立てて詳細に述べる部分に面白みを見出したのであろう[30] 。また、明の時代は美食、好貨、好色は人として当然の性質として肯定的にとらえる風潮があり、衰宏道もそのような考えを提唱していた[31]

一方で倫理的側面からこの小説を否定したり、そもそも単なる滑稽譚として切り捨てる見方もあった[32] 。例えば李日華は「概ね市井の滑稽譚のきわめて野卑なもので、鋭さは『水滸伝』に遠く及ばない。


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