金環食
[Wikipedia|▼Menu]
予報の歴史

日食や月食の予報は、まだ地動説はおろか地球が丸い事さえ知られていなかった時代に既に行われていた。長期にわたる記録を整理して、食の発生に周期性があるのを発見したためである。

古代において、日食は重大な関心を持たれていた。中国の日食予報として著名な逸話に、紀元前2000年頃のの時代に、羲氏和氏という2名の司天官[注釈 8]が酒に酔って日食の予報を怠ったため処刑された、と『書経』に記されている、いわゆる「仲康日食」がある[注釈 9]。事実であれば当時既に日食の予報が行われていた事になって、世界最古の日食予報になる。唐代以降、東西の多くの天文学者がこの日食の比定を試みたが、この記事に完全に符合するものは見つかっていない[注釈 10]

中国においては1994年に存在が確認された「上博楚簡」と呼ばれる竹簡の中に『競建内之』と称される物があり、桓公が皆既日食を恐れて鮑叔の諫言を聞いたという故事が載せられている[注釈 11]。『史記』においては専横を敷いていた前漢の最高権力者呂后が日食を目の当たりにし「悪行を行ったせいだ」と恐れ、『晋書』天文志では太陽を君主の象徴として日食時に国家行事が行われれば君主の尊厳が傷つけられて、やがては臣下によって国が滅ぼされる前兆となると解説しており予め日食を予測してこれに備える必要性が説かれている。中国の日食予報は戦国時代から行われていたが、三国時代に編纂された景初暦において高度な予報が可能となった。

このため、日本朝廷でも持統天皇の時代以後に暦博士が日食の予定日を計算し天文博士がこれを観測して密奏を行う規則が成立した。養老律令の儀制令・延喜式陰陽寮式には暦博士が毎年1月1日に陰陽寮に今年の日食の予想日を報告し、陰陽寮は予想日の8日前までに中務省に報告して当日は国家行事や一般政務を中止したとされている。六国史には多くの日食記事が掲載されているが、実際には起こらなかった日食も多い。ただしこれは日食が国政に重大な影響を与えるとする当時の為政者の考えから予め多めに予想したものがそのまま記事化されたためと考えられ、実際に日本の畿内(現在の近畿地方)で観測可能な日食(食分0.1以上)については比較的正確な暦が使われていた奈良時代平安時代前期の日食予報とほぼ正確に合致している。

1183年治承・寿永の乱水島の戦いでは戦闘中に金環日食が発生し、源氏の兵が混乱して平氏が勝ったと源平盛衰記などの史料に記されている[注釈 12]。当時、平氏は公家として暦を作成する仕事を行なっていたことから平氏は日食が起こることを予測しており、それを戦闘に利用したとの説がある[11]

江戸時代1839年天保10年)には、金環食が発生した。幕府の役人は従来の中国式の予測時刻と伝来したばかりの西洋式の金環食の予測時刻、2種類の計算を行い、築地の海岸で観測を行った。西洋の方法での予測が的中し見える位置、時刻ともに正確であった。以降、西洋の天文学が日本で急速に広まっていった[12]

西洋においては、トルコから西アジアにかけて領土があったメディア王国とリディア王国が長期にわたり戦争を続けていた紀元前6世紀始め頃、ギリシャの哲学者タレスが予言していた日食が実際に起き、両国は和を結んだという話が、ギリシャの歴史学者ヘロドトスの『歴史(ヒストリア)』に書かれている(日食の戦い)。これも多くの天文学者の興味をそそり、その日食を特定する試みが為され、紀元前585年5月28日の皆既日食と推定された。この日食は南アメリカ北端から北大西洋を通り、ヨーロッパを経てトルコ北部からカスピ海の南に達したものであるが、異説もある。タレスは、古代バビロニアで考案された予報術を用いたとヘロドトスは記し、これは次に述べるサロスであるとの説もあるが、サロスは当時のギリシャでは知られていなかったというのが天文学史の主導的見解であり、タレスは、それまでに伝えられていた大雑把な法則に基づいて日食発生の年を予言したが、月日までは言及できなかったと考えられる(タレスの日食)。

最も古くから知られていたのは前述の「サロス」と呼ばれるもので、紀元前6世紀頃にバビロニアで発見されていたとされ、またギリシャでは紀元前443年に数学者のメトンにより「メトン周期」が発見された[2][注釈 13]
サロス詳細は「サロス周期」を参照

既に記したとおり、1朔望月は29.5306日であり、223朔望月は6585.3212日となる[注釈 14]。月が交点を出て再び戻って来る(交点から始まる軌道を一周する)交点月は27.2122日であり、242交点月は6585.3575日で、前者にきわめて近い。また月が地球をめぐる公転軌道のうちで近地点に来た時を近点月と言うが、239近点月は6585.5375日で、やはり非常に近い。さらに1食年346.6201日を19倍する、すなわち19食年は6585.782日で、これも大差がない。そのため、223朔望月に当る18年と11日(閏年の配置によっては10日)と8時間ほどの周期でよく似た状況の日食(継続時間、食の種類等)が繰り返される。これがサロスと呼ばれる周期である。

ただ、余分の8時間が曲者で、次回の日食は経度でおよそ120度西にずれた所で起こる。その次はおよそ240度西方に動き、3回目で元の位置に戻る。そのため、実用上は3サロス、すなわち54年と約1ヶ月を用いるのがよい[注釈 15]。下の表にサロスの実例を示す。3サロス毎にほぼ同じところで日食が起こっている事や、サロスは近点月や食年の倍数とよく一致しているので、毎回起こる食の状況も似ていることがわかる。

年月日(世界時)食の種類食の起こる地域
1958年4月19日金環食アラビア海、インドシナ、沖縄諸島、日本南沖、北太平洋中部
1976年4月29日中部大西洋、北西アフリカ、地中海、ユーラシア南部
1994年5月10日北太平洋東部、北アメリカ、北大西洋、北アフリカ西端
2012年5月20日華南、日本、アリューシャン列島、北アメリカ
2030年6月1日北アフリカ、地中海、中央アジア、沿海州、北海道

年月日(世界時)食の種類食の起こる地域と食の概要
1937年6月8日皆既食南太平洋東部、南アメリカ西岸。皆既継続時間7分4秒。20世紀第2位の長さの皆既日食
1955年6月20日インド洋西部、東南アジア、南太平洋。皆既継続時間7分8秒。20世紀最長
1973年6月30日南アメリカ北部、北アフリカ、インド洋。皆既継続時間7分3秒。20世紀第3位
1991年7月11日中部太平洋、中央・南アメリカ。皆既継続時間6分53秒
2009年7月22日インド、華中、奄美群島、中部太平洋。皆既継続時間6分39秒。21世紀最長の皆既日食

年月日(世界時)食の種類食の起こる地域と食の概要
1995年10月24日皆既食西アジア、インド、東南アジア、西太平洋。最大継続時間2分10秒
2013年11月3日金環皆既食北アメリカ東沖、中部大西洋、アフリカ中央。皆既継続時間1分40秒
2031年11月14日北西太平洋、中部太平洋、パナマ。皆既継続時間1分8秒
2049年11月25日紅海、アラビア海、インドネシア、西太平洋。皆既継続時間38秒
2067年12月6日金環食中央アメリカ、南アメリカ北岸、大西洋、アフリカ中部。皆既継続時間8秒

表を見ると、食により3サロスの間に経路が少し北上又は南下した事が分かる。サロスは不変ではなく、1000年程度の期間で、極地方の部分食から始まって少しずつ北上(あるいは南下)して赤道を越え、最後は反対側の極地方の部分食となって終わるという経過をたどる。また、サロス周期は約18年であるが、日食は毎年起こる。これは、複数のサロスが存在するためで、実際に18年間に40個ほどのサロスが食を繰り返しており、オランダの天文学者ゲオルグ・ファン・デン・ベルグがサロスに付けた通し番号が一般に使用されている。
メトン(章法)詳細は「メトン周期」を参照

1年は365.2422日であり、19年は6939.6018日となる。一方、235朔望月は6939.6675日で、非常に近い。さらに20食年(346.6201日×20=6932.402日)とも近似する。したがって、ある日食からちょうど19年後には再び日食が起こる。これをメトン周期と呼び、中国では「章」又は「章法」と言った。

ただし、19年及び235朔望月に対し20食年との差が7日余り出るのが問題で、回を重ねるごとにこれが大きくなるので、予報としては5 - 6回くらいで使えなくなる。下の表にメトンの例を示す。

年月日(世界時)食の種類食の起こる地域
1993年5月21日部分食北アメリカ、北極、ユーラシア北西部
2012年5月20日金環食華南、日本、アリューシャン列島、北アメリカ
2031年5月21日アフリカ大陸、インド南端、インドネシア
2050年5月20日ニュージーランド南東沖、南太平洋
2069年5月20日部分食ドレーク海峡付近(南アメリカと南極の間)

他にも日食の周期性を用いた予報の種類は多い。
日食の経過
影の移動に基づく日食の経過1999年8月11日の皆既日食の経過日食の進行による地上の明るさ
日食が進めば進むほど暗くなることが分かる

月の半影錐が地球を横切り始めると部分食が始まる。

月の本影錐が地球を横切り始めると皆既食または金環食が始まる。本影によって起こるこの2つの食を合わせて中心食と呼ぶ。

月の本影錐の軸が地球表面上を移動した軌跡を中心食線と呼び、この線上では太陽と月が同心円となる。

地球表面上での本影の面積が最大になる時点を食の最大または食甚と呼ぶ。

月の本影錐の軸が地球表面を横切り終わった所で中心食線は終わる。

月の本影錐が地球を横切り終わると皆既食または金環食が終わる。

月の半影錐が地球を横切り終わると部分食が終わる。

月と太陽の位置関係に基づく日食の経過

月が太陽を隠し始めた瞬間を第1接触と呼ぶ。古い用語では初虧(しょき)と言う。

月縁が太陽の輪郭の内部に完全に含まれた瞬間(金環食の場合)、または月によって太陽が完全に隠された瞬間(皆既食の場合)を第2接触と呼ぶ。同じく食既(しょっき)と言う。

日月の中心が最も接近した時を食の最大又は食甚(しょくじん)と呼ぶ。

月が太陽の輪郭の外に出始めた瞬間(金環食の場合)、または太陽が月の背後から再び現れた瞬間(皆既食の場合)を第3接触と呼ぶ。同じく生光(せいこう)。

月縁が太陽から完全に離れた瞬間を第4接触と呼ぶ。同じく復円(ふくえん)。

食の経過及び状況を示すために「食分」という数値が用いられる。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:78 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef