金正恩
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済州島に出自を持つ大阪出身の在日朝鮮人の母親を持ち、幼少期から日本人の専属料理人藤本健二が作った寿司を好んで食べ、当人自身も東京タワーに興味を持つなど日本文化に囲まれた状況で育った[15]。撮影時期は不明であるが、少年時代の写真が玄哲海の生涯を収めた記録映画にて見ることができる[16]

上記の事から、日本の文化を好んでおり、幼少期には日本生まれの母と共に、日本に不法入国して旅行を楽しむなど、政治上の厳しいコメントとは裏腹に日本に対して好印象を抱いているとも言われている[17]

1996年9月よりスイス留学し、ベルンインターナショナル・スクールで「パク・ウン」という偽名を使用しながら教育を受けた[1][18][19][20][21][22][23]。現地教育当局の記録には、金正恩は1985年10月1日生まれで父親はパク・ヨンスという北朝鮮大使館員だと記載されている[24]。その後、3人の両親役は叔母に当たる高容淑とその夫である李剛が担っていたことが判明した[24]。高容淑と李剛は1998年に、子供たちを連れてベルリンからアメリカ合衆国亡命した[24]。当時、アメリカ政府は金正恩が誰であるかすら知らなかったという[24]。インターナショナル・スクールには数か月しか在籍せず、隣接する公立小学校ドイツ語を学んだ[1]。当時も数学教師として在籍していた公立中のペーター・ブリ校長らの証言によると、金正恩は自宅から300メートルほどの学校まで一人で歩いて通っていた[24]。在籍していた学校については諸説あり、リーベフェルト(ドイツ語版)市の公立学校で金正恩と知り合いであったと主張する人物の情報もある[25]1998年9月、ベルンの自宅近くの公立中学校に編入[1]。スイス滞在中は北朝鮮の在スイス大使が目付け役として身辺の管理を行っていたほか、親戚の寄り合いがインターラーケンレマン湖の別邸で行われることもあった[26]。金正恩は普段からブランドものの高価なスニーカをはいていた[24]。自宅は3階建ての低層マンションで、一階から三階まで階段の両脇にある6部屋すべてを自由に使っており、サウナも備えられていた[24]2000年8月、夏期休暇が終わると公立中学校を退学して帰国した。留学の経験から母国語朝鮮語のほかに英語中国語ロシア語ドイツ語フランス語[27] など数ヶ国語を話せるとする報道もある[28][29]日本語についても漢字の書き取りなどをしていたとされ[30]、来日経験もある[31][32][33]。日本については国力差を認識する発言を残している[34]
帰国後

2000年以降の動向はスイス時代と共に北朝鮮政府内の秘密事項として公にはされず部分的にしか報道されていない。明確なのは、父と同じく、北朝鮮内における最高の教育機関である金日成総合大学に在学していたことと、軍の教育機関である金日成軍事総合大学(党内の養成機関である金正日政治軍事大学とは異なる)で訓練を受けていたことである[35]。金日成総合大学では情報工学を学び、金日成軍事総合大学では砲兵指揮を専攻したとされている[36]

北朝鮮では最高指導者の地位が金日成から金正日に世襲された為、日本韓国などのメディアでは高齢である金正日が自身の子息を対象にした後継者選択を想定する傾向にあり、その中で日韓のメディアにおいては後継者候補として三男である金正恩の名前も挙げられることがあった。ただし当初は長男の金正男、あるいは軍部の支持を受けていた次男の金正哲の指名が予想される傾向があり、必ずしも最有力と見なされていた訳ではなかった。しかし2009年1月15日、「金正日が金正恩を後継者として指名した」と韓国の聯合ニュースが報道するなど[37][38]、次第に金正恩後継者説が濃厚になっていった。さらに同年2月15日の聯合ニュースの報道によれば、金正日の健康が悪化した際に義弟の張成沢が金正日に金正恩を後継者にするよう働きかけたという[39]

2009年6月2日、韓国の東亜日報は、同年5月25日核実験後に、金正恩が後継者に選ばれたことを在外公館に通知した事実が確認されたと報じた[40]。また金正恩が「国防委員長代行[注 3]」という職位に就いているという複数の証言もあったが[41]、これは現在に至るまで公式には確認されていない。2010年2月17日、韓国の自由北朝鮮放送が、北朝鮮当局が全国の「ジョンウン」を名乗る人物に対し改名を命令したと報道した[42]
後継者指名

2010年9月27日、金正日は金正恩ら6人を10月10日付けで朝鮮人民軍の大将に昇進させる朝鮮人民軍最高司令官命令を発した[43]。そして9月28日に開催された朝鮮労働党代表者会において、金正恩は党中央委員に選出され、同日に開かれた党中央委員会総会で党中央軍事委員会副委員長に選出された[44]。これらの動きにより金正日の後継者としての地位が確定したとみなされている[45]

同年10月5日、金正恩は金正日の朝鮮人民軍第851軍部隊合同訓練視察に同行した。金正日の現地視察に金正恩が同行したことが公式に報道されたのはこれが初めてである[1]10月8日、金正日が新設された国立演劇劇場と芸術家の住宅に現地指導に赴いた際にも同行した[1]10月9日、来賓の中国共産党政治局常務委員中央政法委員会書記の周永康[46] とともに平壌で開催された朝鮮労働党創建65周年慶祝中央報告大会に金正日と並んで出席し、マスゲームと芸術公演「アリラン」を鑑賞し[1]、翌日に挙行された朝鮮労働党創建65周年慶祝閲兵式でも金正日、周永康とともに軍事パレードを観閲した[47]10月25日中国人民志願軍参戦60周年記念行事[48] のために訪朝した中国共産党中央軍事委員会副主席郭伯雄ら中国高位軍事代表団と金正日の会談に同席している[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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