1914年にはじまった第一次世界大戦により、各国政府とも金本位制を中断し、管理通貨制度に移行した。これは、戦争によって増大した対外支払のために金貨の政府への集中が必要となり、金の輸出を禁止、通貨の金兌換を停止せざるをえなくなったからである。また戦局の進展により、世界最大の為替決済市場であったロンドンのシティが戦災に遭い活動を停止したこと、各国間での為替手形の輸送が途絶したことなども影響した。例えば日本は、1913年12月末の時点で日銀正貨準備は1億3千万円、在外正貨2億4,600万円であり、在外正貨はすべてロンドンにあり、外貨決済の8?9割を同地で行っていたが、大戦勃発後の1914年の8月に手形輸送が途絶した(当時はシベリア鉄道で輸送していた)。詳細は「日本の金貨#金貨の流通状況」を参照 その後1919年にアメリカ合衆国が金本位制に復帰したのを皮切りに、各国も次々と復帰したが、1929年の世界大恐慌により再び機能しなくなり、1931年9月のイギリスを契機として1937年6月のフランスを最後にすべての国が金本位制を離脱した。このことについてアメリカ連邦準備制度理事会(FRB)議長を経験したベン・バーナンキは、「金本位制から早く離脱した国ほど経済パフォーマンスが良いことの証明だ」と述べた[12]。 日本では、一次大戦後に金本位制復帰の機会をうかがうも、関東大震災などの影響で時期を逸し、1930年(昭和5年)に濱口雄幸内閣が「金輸出解禁」を実施したが、多額の貿易赤字に伴い多量の金流出が起り、翌年犬養毅内閣が金輸出を再禁止した[13]。詳細は「金解禁#ドル買事件と金解禁の挫折」および「日本の金貨#金本位制の停止」を参照 第二次世界大戦後、米ドル金為替本位制を中心としたIMFによる体制、所謂「ブレトン・ウッズ体制」が創設された。他国経済が戦災で疲弊する中、アメリカは世界一の金保有量を誇っていたので、各国は1オンス=35ドルの平価で金と結びつけられた米ドルとの固定為替相場制を介し、間接的に金と結びつく形での金本位制となったのである。詳細は「ブレトン・ウッズ協定#展開」および「ニクソン・ショック#ショックの要因と推移」を参照 しかし、1971年8月15日のいわゆるニクソン・ショック以降は、金と米ドルの兌換が停止される。同年12月にスミソニアン協定で1オンス=38ドルとドルの平価を切り下げつつも、金本位制の性格を維持しようとしていたが、各国の通貨も1973年までに変動為替相場制に移行する形で、先進国の通貨は金本位制が有名無実化する形で離脱することになった。同年に1オンス=42ドル22セントと再び平価を切り下げとなり、1976年1月にキングストンで開催されたIMF暫定委員会では、変動相場制と米ドルの金本位制廃止が確認され、1978年4月に協定発効に伴って先進国の通貨における金本位制は完全に終焉した[15]。「ブレトン・ウッズ協定#結末」および「変動相場制#解説」も参照 日本の本位金貨(旧1,2,5,10,20円、新5,10,20円)も、太平洋戦争後は形式化していたが、依然として現行貨幣であった。1987年(昭和62年)制定、1988年(昭和63年)4月1日施行の「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」により、同年3月31日限りで漸く通用停止になり、名実ともに管理通貨制度へ移行した[16]。詳細は「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律#概要」および「日本の金貨#新貨条例による旧金貨」を参照
第一次大戦後の金本位制への復帰と大恐慌による離脱
ブレトン・ウッズ体制の創設
ニクソンショック
文献情報
上川孝夫, 「国際金本位制に関する覚書」 横浜国立大学経済学部紀要論文 『エコノミア』 57巻 1号, pp.75-93, 2006年5月[注釈 4]
判澤純太, 「日華事変をめぐる日本金融の「広義国防化」変換過程と、「華北『分治』工作」の「高度国防」化