金日成
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注釈[ソースを編集]^ 1980年の第6回党大会で選出。
^ 北朝鮮の公式文献では両親の信仰については特に触れられていないが、康敦Uが使徒「ペテロ」の名に因み女性の名としては珍しい「盤石」という名を娘に付けた逸話は良く知られている。
^ 長らく北朝鮮の公式プロパガンダでは金日成が指揮した部隊は「朝鮮人民革命軍」であったとされ、東北人民革命軍、東北抗日聯軍という名称や中国共産党の指導には言及されていなかった。但し1958年に書かれた李羅英「朝鮮民族解放闘争史」では金日成が中国共産党に入党したことを仄めかしている。金日成は最晩年に執筆した回顧録『世紀とともに』(未完)において、中国共産党指導下の東北抗日聯軍に在籍していたことを率直に吐露している。またそこでは、李立三の下で極左路線に流れた中国指導部との間に路線上、民族上の葛藤があったことも記している。
^ 1933年から「反民生団闘争」が始まったことによって400名余の朝鮮人が粛清され、抗日闘争の継続に大きな障害をもたらしたとされている。
^ 但し、北朝鮮の公式文献では40年代に金日成らがソ連領内に退却していたことについて触れておらず、金日成の息子である金正日も、ハバロフスク近郊のヴャツコエウラジオストク近郊のオケアンスカヤではなく白頭山で生まれたことになっている。
^ 次男シューラは1947年に事故死している。
^ 参考として朝鮮労働党初代政治委員の名簿を以下に掲げる。金日成以外の政治委員が排除されていったことが見てとれるだろう。

金日成(政治委員 満洲派

朴憲永(政治委員 南労党派) - 処刑

許哥而(政治委員 ソ連派) - 変死

金?奉(政治委員 延安派) - 獄死

李承Y(政治委員 南労党派) - 処刑

金三龍(政治委員 南労党派) - 処刑

朴一禹(政治委員 延安派) - 追放

金策(政治委員 満洲派) - 変死したとも、朝鮮戦争で戦死したとも言われる

許憲(政治委員 南労党派) - 事故死

崔昌益(組織委員 延安派) - 獄死

^ 他国における同様の地位としては、中華民国による孫文の“中国国民党総理”と蒋介石の“中国国民党永久総裁”がある。国民党の党首は「主席」
^ 後に朴金普A朴達らが恵山事件により逮捕され、彼らから金日成は普天堡襲撃当時36歳の人物だと言う供述が引き出された。しかし、満洲国の朝鮮人治安関係者は金日成は事件当時27歳平壌近郊の平安南道大同郡古平面南里出身の人物で、既に日満側に帰順していた金英柱の実兄であるといった情報を集め、金日成の祖母や金英柱を連れて来て投降を呼びかけている。その後の朝鮮総督府の記録でも、「金日成の身許に付ては種々の説があるが本名金成柱当二十九年平安南道大同郡古坪面(原文ママ)南里の出身」(思想彙報20号(1939年9月))と記されている。こうした事情から、普天堡襲撃を行った東北抗日聯軍第六師長と、後に北朝鮮政府首班として登場した金日成とは別人ではないかと疑う意見が出た。李命英は聴き取り調査などに基づいて金日成複数説を提起した。しかし、抗日運動家に関する記述に齟齬があるのは珍しいことではなく、結局は朝鮮総督府がその他の情報・供述を排して「本名金成柱当二十九年」としていることなど、李命英の日本に保存されていた資料の読み落としが指摘され、両者は同一人物で間違いないという反論(和田春樹など)がなされている。

出典[ソースを編集]^ a b 李相哲 (2015年1月27日). “【秘録金正日(9)】死亡当夜、平壌から3機のヘリ 看取ったのは「経験不足」の医師、記録が隠した“不都合な真実””. 産経新聞 (産経新聞社). https://www.sankei.com/article/20150127-I4ONGYGTGJPA3OLUW5XRLQBENQ/ 2016年9月25日閲覧。 
^ “日本大百科全書(ニッポニカ)「金日成(きんにっせい)」”. 2022年7月1日閲覧。
^ “【秘録金正日(17)】先祖の出自は韓国南部…創り出された「白頭山出生」神話、金日成は「ここだ」と決めつけ(3/6ページ)”. 産経ニュース. 2022年11月2日閲覧。
^ “??? ?? ?? ???・・・??? ?? ? ????” (朝鮮語). 中央日報. 2022年11月2日閲覧。
^ 許東粲 「金日成評伝 新装版―虚構と実像」亜紀書房、1992年、7-19頁。335-342頁には、朝鮮占領ソ連軍所属の高麗人、鄭律の証言が載っているが、それによれば、解放後の北朝鮮に帰国当初には、金日成は金成柱と名乗っていたという。
^ “在日韓国・朝鮮人の表記と読みはどうなっているのか”. 日本放送協会. 2022年8月30日閲覧。
^ 許東粲 『金日成評伝 新装版―虚構と実像』亜紀書房、1992年、63-81頁。和田春樹『金日成と満州抗日戦争』平凡社、1992年、30-32頁。
^“金総書記訪問の中国・吉林省は「幼い頃の思い出の地」”. 東亜日報. (2010年9月24日). ⇒http://japanese.donga.com/List/3/all/27/312896/1 2017年10月5日閲覧。 
^ 『世紀とともに』第3章
^ 和田春樹『金日成と満州抗日戦争』平凡社、1992年、70-71頁
^ a b 水野直樹・和田春樹『朝鮮近現代史における金日成』神戸学生青年センター出版部、1996年、24-26頁
^ 呂明輝『金日成与張蔚華:跨越国界的生死情義』世界知識出版社、2002年、150頁 ISBN 9787501217106
^ ??? ????? ??, ??? ?? - YouTube - KBS???? ??(2020年3月24日)(韓国語)
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^ 徐大粛『金日成』林茂訳、御茶の水書房、1992年、42-48頁。金日成部隊に関する朝鮮半島内の報道は、おおむねその蛮行、略奪を非難する内容で、襲われる満洲の朝鮮人農民の苦しみに同情を寄せたものが多かった。
^ 佐々木春隆『朝鮮戦争前史としての韓国独立運動の研究』国書刊行会、昭和60年、p.809-810
^ 佐々木春隆『朝鮮戦争前史としての韓国独立運動の研究』国書刊行会、昭和60年、p.779-780
^ 佐々木春隆『朝鮮戦争前史としての韓国独立運動の研究』国書刊行会、昭和60年、800-802頁。金日成部隊は、1940年3月11日には安図県大馬鹿溝森林警察隊を襲撃。死傷者各2名の損害を与え、金品2万3千円を略奪。苦力およそ140名を拉致。2日後、拉致者のうち25名(日本人1名、朝鮮族13名、満洲人9名、白系ロシア人2名)を釈放。残りの拉致人質70名あまりを伴って逃走を続けたため、満洲警察・前田隊の追うところとなった。
^ 徐大粛『金日成』林茂訳、御茶の水書房、1992年、47-53頁。金日成部隊の兵力補充は、中国人苦力および朝鮮人農民を徴用し、村や町を襲撃するたびに人質にとった若者に訓練を施しては兵士に仕立てた。また食料の調達でもっとも一般的なのは、人質をとって富裕な朝鮮人に金を強要する方法だった。求めに応じない場合には、人質の耳を切り落とすと脅し、それでも応じない場合には首をはねるといって人々を恐怖に陥れた。
^ 和田春樹『金日成と満州抗日戦争』、平凡社、1992年、272-273頁。金賛汀『パルチザン挽歌』、御茶の水書房、1992年、189-190頁。佐々木春隆『朝鮮戦争前史としての韓国独立運動の研究』国書刊行会、昭和60年、800-802頁。前田隊140名のうち日本側資料で戦死者数58名、戦傷者27名、行方不明9名。北朝鮮側資料では戦死者数120名とされている。
^ 和田春樹『北朝鮮 遊撃隊国家の現在』岩波書店、1998年、41頁。前田隊の隊員もほとんどが朝鮮人であり、死亡者も多くがそうだった。
^日本の論点2004』文藝春秋、2003年11月10日、89頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4165030300
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