金振杓
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韓国政治家金 振杓(キム・ジンピョ)???

生年月日 (1947-05-04) 1947年5月4日(77歳)
出生地 南朝鮮 黄海道延白郡
出身校ソウル大学校法科大学法学科
現職国会議員
所属政党(開かれたウリ党→)
大統合民主新党→)
民主党→)
(民主統合党→)
民主党→)
(新政治民主連合→)
共に民主党→)
無所属(国会議長就任により)
サイン
公式サイト ⇒jinpyo.or.net
国会議長
在任期間2022年7月4日 - 現職
国会議員
選挙区(京畿道水原市霊通区→)
(京畿道水原市丁→)
京畿道水原市戊
当選回数5回
在任期間2004年 - 2014年
2016年 - 現職
財政経済部長官
内閣高建第1次内閣
在任期間2003年2月27日 - 2004年2月10日
大統領盧武鉉
教育人的資源部長官
内閣李海?内閣
在任期間2005年1月28日 - 2006年7月20日
大統領盧武鉉
在任期間2011年5月13日 - 2011年12月15日
その他の職歴
民主党院内代表
2011年12月16日 - 2012年5月
民主統合党院内代表
( - )
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金 振杓(キム・ジンピョ、1947年5月4日 - )は、韓国における官僚出身の政治家である。第17・18・19・20・21代国会議員で、第21代国会後半国会議長。2011年12月に発足した民主統合党の院内代表を務めた[1]

本貫は金寧金氏。キリスト教徒[2]
人物

黄海道延白郡生まれ、4歳の時に朝鮮戦争が勃発したため、父親と共に京畿道水原市に避難に行き、母親とは離散家族となった[3]。景福高校、ソウル大学校法学部を経て、第13回行政考試で合格、大田地方国税庁を皮切りに一貫して財務官僚としての道を歩んだ[2]。官僚時代に金泳三政府が極秘裏に推進していた金融実名制政策の実務作業を担当し、政界の関心を集めた。その後、金大中政権の副首相として、政権初期の無分別なクレジットカード発給政策で発生したいわゆる「カードの乱」を収拾した功績があるという点が評価されている[3][4]。金大中と盧武鉉政権では財政経済部次官や青瓦台(大統領府)政策企画首席秘書官、国務総理室国務調整室長、副総理などの要職を歴任した[2]

2004年4月に行われた第17代総選挙においてウリ党から立候補して初当選、政界入りした。第17代国会では、財政経済委員会や国防委員会の委員、租税研究会の会長などを務めた。第18代総選挙では民主党から立候補して再選、国会教育科学技術委員会の委員、党最高委員を務めた後、2011年5月13日に行われた院内代表選挙で当選、新たな院内代表となった[5]。11月22日に与党ハンナラ党米韓自由貿易協定(以下、米韓FTA)批准案を強行採決したことに野党側が反発して空転状態が続く国会の状態を解決するため、12月8日の与野党院内代表者会議で党側と相談しないまま、12日からの国会正常化に合意したことに他の野党が強く反発、民主党内からも金院内代表への批判が相次いだため、翌9日に辞意を表明した[6]。しかし、同月16日に結成された民主統合党では当然職の最高委員として院内代表を兼務することになった[7]。2012年4月に行われる第19代総選挙の候補者を決める公薦審査過程では米韓FTA再協議を主張する党との立場の違いから落薦危機に直面したが、最終的に公薦され京畿地域の民主党候補者の中では最高得票率となる61.02%で3選を決めた[8]

2014年5月、同年6月に行われる第6回全国地方選の一つとして行われた京畿道知事選挙における新政治民主連合候補に選出[9]されたが、セヌリ党の道知事候補である南景弼に僅かに及ばず敗北した[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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