1996年、『ガメラ 大怪獣空中決戦』で第38回ブルーリボン賞監督賞および映画芸術誌邦画ベスト10で第1位、『ガメラ2 レギオン襲来』で第17回日本SF大賞を受賞。
2022年、『信虎』がマドリード国際映画祭2022で「外国語映画部門 最優秀監督」を受賞[10]。 両親は日本共産党の党員で、雑誌『今日のソ連邦』を購読していた[11]。父の金子徳好は、「アメリカはベトナムから手を引け」などの反戦ゼッケンを8年もの間、胸に付けて通勤し続けた。母の金子静枝は切絵作家、弟の金子二郎は脚本家である。脚本家の金子鈴幸
人物
小学生のころから石森章太郎の『マンガ家入門』を手本にマンガを描き始め、中学3年生のときには 『COM』にも投稿。高校に入学した1971年より8ミリ映画による自主映画の製作を始め、映画青年となる。
小学生のころは自作の怪獣事典を作るほどの怪獣少年であった[12][13]。小学校時代の学芸会では、同級生であった野田秀樹とダンボールなどで作った怪獣を演じたという[14][1]。小学1年生の時に観た『キングコング対ゴジラ』では、ゴジラが引き分けることに納得がいかず、ゴジラが勝つ漫画を自作した[13]。
映画を撮り始めたころには怪獣のことは忘れて『仁義なき戦い』に傾倒しており、自身も社会問題を題材にすることを目指していたが、デビュー後に世界に通用するエンターテイメントは何か考えたところ、ハリウッドに対抗できる題材は怪獣映画だと思い至った[1]。自身のデビュー当時は怪獣映画をやりたいと言っても笑い話にしかならなかったが、後年にハリウッドでモンスター・ヴァースが制作された際には、当時の考えは間違いではなかったと思えるようになったという[1]。
幼少期、最初に鑑賞した映画『モスラ』は、両親とともに観た幸福な体験として記憶されているという[15][16]。後年、『ゴジラvsモスラ』の制作発表当時の特報に監督名が記載されていなかったことから、東宝プロデューサーの富山省吾へ監督への起用を要望する年賀状を送っていた[出典 3]。これは実現に至らなかったが、地上のゴジラを空中からモスラが攻撃するとの構想は、後に手がけた『ガメラ 大怪獣空中決戦』でのガメラとギャオスの戦いに継承された[4][15]。また、『ガメラ』への起用時には、『vsモスラ』の件を知っていた大映プロデューサーの鈴木良紀から「ゴジラの仇をガメラで討ちましょう」と言われたという[16][2]。その後、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』でモスラを登場させているが、当初の企画におけるバランの代わりであったため、モスラを爆散させたことや小美人を出せなかったことなどが心残りであったと述べている[15]。なお、ゴジラシリーズの中で好きな怪獣としてメカキングギドラを挙げている[6]。 映画スタッフ編成では、いわゆる「○○組」といった形ではなく、作品ごとにチームを組むスタイルのため、固定スタッフは多くないが、撮影監督の高間賢治とは10作品以上で、作曲家の大谷幸とも8作品で組んでいる。 少女アイドル好きで知られ、アイドル映画で起用されることも多いが、自身の企画においても若手女優のキャスティングに偏重している。 ロマンポルノ時代には山本奈津子・イヴ・水島裕子・かとうみゆき、一般映画では深津絵里・小沢なつき・中山美穂・宮沢りえ・斉藤由貴・織田裕二・佐伯日菜子、最近作でも優香・上戸彩・藤原竜也らを起用しており、その演出手腕にも定評がある[出典 4]。 オタク歴を公言している世代としては映画監督デビュー第1号である[注釈 1]。それもロマンポルノという特殊な分野においてアニメパロディを織り込んで注目を集め[注釈 2]、その後も『ゴジラvsモスラ』の監督立候補など、怪獣映画を作ることに関心を寄せ、『ウルトラQ』映画化の頓挫を経験した後、『ガメラ 大怪獣空中決戦』の成功で怪獣映画というジャンルに新風を吹き込んだ[16]。自らの嗜好と趣味を絶え間なくアピールし続けることにより、撮りたい映画を撮れる環境を作り上げていった努力の軌跡である。 怪獣映画の2大シリーズであるゴジラとガメラを両方とも撮った経験を持つ、最初の監督でもある。さらに、テレビドラマにおいては『ウルトラマンマックス』も演出しており、その劇中でソフトビニール人形を使った子供の遊びとして「ゴジラ対ガメラ」を意図的に構成してみせた[14]。このシーンは金子が直接東宝プロデューサーの富山省吾や角川映画に許可を得ており、権利関係から再放送やソフト化の際にはカットされている[14]。 物語を観客に信じさせるための強固な理屈作りを重視しており、原作ものでも原作にない設定を加えている[1]。怪獣映画では、観客は2体以上の怪獣を観たいと分析しているが、2体以上では理屈付けが難しく、ガメラやゴジラでは対戦相手に古代からの因縁を設けている[1]。 『ガメラ』の撮影では、自衛隊の全面協力を受けたことが『朝日新聞』と『読売新聞』に興味本位で取り上げられ、『しんぶん赤旗』同紙日曜版には自衛隊を賛美するものと同作の完成前から批判する読者投稿が掲載された[22]。しかし、自身は「日本の自衛のためには憲法九条の二項の戦力の保持は改正して軍隊として認めるべきだが、集団的自衛権を否定して軍事同盟も破棄すべき」とする持論を挙げており[23]、自衛隊のメディア戦略なども理解している。そして、映画の完成前から批判意見を載せた『しんぶん赤旗』に反論する自らの意見を掲載させている[24]。ただし、『ガメラ』の監督作品全3作とも戦闘機が撃墜されるシーンが自衛隊から協力をもらうために不採用となった件に関しては、後年の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(以下『GMK』)で実在しない防衛軍を設定し、その戦闘機が住宅地へ墜落して火災が発生するシーンを映像化してみせた[25]。
作風および評価など