誕生日が11日であることから、十と一を合わせて「士」(士=武士の通称。また、別称である侍を指す場合もあり、この場合には士(さむらい)と呼ばせる)で、父親が勇敢な武士になるよう望み、両方を合わせると武士となるため、「武」と名付けた[11][12]。台北市内の、日本人などの外国人の多く住む高級住宅街天母で育った。中学までは台北日本人学校に通い、高校からは台北アメリカンスクール
(中国語版)に通う[7]。高校時代にスカウトされCMに出演し芸能界デビュー[7][8]。卒業後は歌手としてスタートした。台湾でのアイドル時代は、ジミー・リン、アレック・スー、ニッキー・ウーと並んで台湾四小天王と呼ばれていた。日本語・北京語・広東語・台湾語・英語が堪能で[8]、主に日本・中国・香港・台湾の東アジア地域で、映画・ドラマ・CM出演など幅広く活躍している。高校時代にスカウトされ、清涼飲料水のCMに出演し芸能界デビュー。映画への初出演は、チン・シウトン監督の『ワンダー・ガールズ 東方三侠2』で、新興宗教の教祖役で出番から15分足らずで生首になるという役だった。
香港に仕事で訪れた際、ホテルのロビーで偶然に居合わせた映画監督のウォン・カーウァイに見初められ、香港映画『恋する惑星』(1994年)に出演。その後も同監督作品をはじめ香港映画への出演で頭角を表し、国際的に活躍する俳優となる。1990年代後半からは、日本のドラマやCMにも出演し、顔を知られるようになる。日本の芸能界デビューは『聖夜の奇跡』(1995年)で、台湾からの留学生役として出演した[7]。『神様、もう少しだけ』(1998年)が大ヒットしたことにより、日本で爆発的な知名度を得ることになった[8]。日本では、アミューズに所属していた[13]。現在は、香港・中国・台湾・日本など各地で放映される映画やテレビ番組、CMで、それぞれの国の言語を操って出演する姿を見ることが出来る。
活躍の場はアジア地域に留まらず、1998年にアジア人として初めてプラダのワールドキャラクターになった。これはミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada
)が、『天使の涙』での金城を見て気に入ったためとのことである。2004年に出演したチャン・イーモウ監督作品『LOVERS』は、アメリカのゴールデングローブ賞・外国語映画賞にノミネートされた。2008年6月20日、サッカー選手のカカやデビッド・ベッカムに続いて、アジア人としては初のエンポリオ・アルマーニの広告塔に起用された。同ブランドは起用理由について、「彼はアジアの著名スターとしてアジアだけでなく欧米でも名が通っており人気がある。軽やかな印象は非常に近代的で洗練されていると同時に、天性の魅力を持っている。彼の人柄と美貌は完璧にエンポリオ・アルマーニに調和するため、彼はエンポリオ・アルマーニコレクションには最高の男であり、また理想的な広告塔だ」とコメントし、金城を絶賛している。契約料は約1億1000万円と言われており、中華圏市場に注力している同ブランドでは、中国だけで2008年中に13店舗の出店を計画している[14][15][16]。
2008年10月30日、台湾のアカデミー賞といわれる第45回金馬奨で優れた台湾映画人におくられる「年度台湾傑出電影工作者」部門にノミネートされたが、エントリーの手続き中に失格となり7時間後に受賞資格を剥奪された。日本人の父と台湾人の母の間に生まれたが、日本国籍を持っていることが理由になった[17][18]。これにより、『海角七号 君想う、国境の南』の監督魏徳聖と、照明デザイナーの李龍禹が同賞の候補として残り、魏徳聖が受賞した。
2018年6月25日、アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーは金城ら928人を新たな会員候補として選定、本人が受諾すれば、アカデミー賞に投票権を持つことになる[19]。 この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2022年8月)
人物.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}
自らのアイデンティティについて「父からお前は日本人だと言い聞かせられながら育ったので、小さい頃は日本人だと思っていたんです。でも、最近は自分でもよくわからない。今のところは意味があると思えないから、深く考えるつもりはありません」と語っている[20]。
日本語・北京語・広東語・台湾語・英語が堪能であるが、目を閉じて眠りにつくとき、普段は日本語で夢を見るという[21]。
デビュー当初は歌手として活動しており、ウォン・カーウァイに見初められ、『恋する惑星』(1994年)に出演したが、ウォン・カーウァイが歌手から俳優に転身するきっかけをつくってくれたと語っている[21]。
自らを「友人や家族と出かけ、酒を飲み、映画を見て、本を読むのが好きな普通の男」と語っており、哲学、中国古典文学、日本の漫画[21]、ゲーム好きであり、『鬼武者』シリーズの主人公、明智左馬介役(CGモデルと声優)として自ら出演、制作にも参与した。
子供の頃から志村けんを尊敬しており[22]、日本アジア航空の台湾キャンペーン広告で共演を果たした[23]。
子供の頃に日本の歌を聴いていたため、自分が生まれる前の古い曲も知っている。
インリンとは幼馴染で、台北市内の同じマンションに住んでおり、小さい頃からドッジボールなどをして遊んでいた[24]。