ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の金印勅書は、9世紀末から10世紀末にかけての皇帝レオーン6世時代に制定された「クリュソブーロス・ロゴス」という勅令の様式である。
この勅令は、皇帝が貴族や修道院へ免税などの特権を下賜する際に発布されたもので、皇帝が法律を発布する際に使用された正式な勅書「エーディクトン」という書式に近似しており、
父と子と聖霊の御名において ニケフォロス・ボタネイアテス、キリストに忠実なる皇帝にしてローマ人の支配者…
といった呼びかけと発布した皇帝の称号にはじまる荘重な前文から始まっていた。
11世紀にアレクシオス1世コムネノスがヴェネツィア共和国に与えたものは当時の国際関係に大きく影響した。
ビザンツ帝国は、勅令のほか徴税のための土地台帳などの行政文書を多数作成していたが、戦乱などでほとんど失われてしまった。現在ビザンツ帝国の勅書で残っているのは、特権を下賜された修道院などが保存していた、このような金印勅書のみである[2]。 ハンガリー王国ではハンガリー王アンドラーシュ2世が貴族たちの要求で金印勅書(アラニュ・ブラ)を発布した[3]。金印勅書によって廷臣と大貴族の権利が拡張され、教会の利益が制限された[3]。この金印勅書は、しばしばイングランド王国で制定されたマグナ・カルタのハンガリー版と例えられるが、歴代ハンガリー王はこの勅書を遵守することはなかった[4][5]。
ハンガリー王国における金印勅書
出典[脚注の使い方]^ a b c 佐藤・池上(1997)pp.326-327
^ 井上(1982)
^ a b エルヴィン 著、田代文雄 鹿島正裕 訳『ハンガリー史 1 増補版』恒文社、85頁頁。
^ 『南塚信吾』河出書房新社。
^ 井上浩一、栗生沢猛夫『ビザンツとスラヴ』中央公論社。
参考文献
神聖ローマ帝国関連
佐藤彰一・池上俊一『世界の歴史10 西ヨーロッパ世界の形成』中央公論社、1997年5月。ISBN 4-12-403410-5
ピーター H. ウィルスン『ヨーロッパ史入門 神聖ローマ帝国 1495-1806』(山本文彦訳)岩波書店、2005年2月。ISBN 4-00-027097-4
ビザンツ帝国関連
井上浩一『ビザンツ帝国』岩波書店<世界歴史叢書>、1982年3月。ISBN 4-00-004555-5
関連項目
オーストリア大公
アンドラーシュ2世
外部リンク
⇒1356年の金印勅書 (ドイツ語)
『金印勅書
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