奈良時代の彫刻を代表する作例の一つ。天平期の天部像は大陸から伝えられた様式的なものであったが、奈良時代になって様々な姿や形を表現した写実的な彫刻が作られるようになり、日本独自な作風が完成した。本像はその中でも初期のものである。
全高173.9cmの塑造[注 1]で、革の鎧を着用して右手に金剛杵を構えた立像である。目を見開き、口を大きく開けて怒号しており、目には暗緑色の石をはめ込んで生気を持たせている他、浮き出した血管や筋肉の表現が奈良彫刻の写実性を表している。像全体としては、上半身と下半身のバランスが悪くやや安定感を欠くが、静的な天平期の天部像に対して動的で生き生きとした作風の傑作といえる。
日本霊異記によれば、東大寺が建立される以前のその地にいた金鷲行者(こんじゅぎょうじゃ、こんすぎょうじゃ)[注 2]の念持仏であったとされるが、製作者・製作年代はわかっていない。しかし長年にわたって秘仏として厨子に納められてきたため、製作当初の彩色がよく残っており、朱と緑を中心として全身が鮮やかに彩られていた事がわかる。これはこの像のみの特色ではなく、当時の天部や仏像の大部分は華やかに彩色されており、年月がたつと共に剥落したものである。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 塑像とも。木を芯にして粘土で造形した彫刻。木彫よりも製作に際しての自由度が大きい反面、もろく壊れやすいのが欠点。奈良時代に写実的な彫刻が隆盛すると多くの作品が作られたが、平安時代以降にはほとんど見られなくなった。
^ 伝未詳。東大寺建立の先駆けとなった良弁が金鐘行者と呼ばれており、彼は幼少期に鷲にさらわれて、後の東大寺創建の地に来たという伝説があるので、それを基にした架空の人物か。別伝によれば、良弁自身が執金剛神像を崇拝しており、聖武天皇がその徳を讃えて東大寺を建立したという。
出典^ 平川彰『佛教漢梵大辭典』霊友会、2003年、p.296、ISBN 4-266-00042-1
^ 前田たつひこ「ガンダーラのヴァジラパーニをめぐる一考察」(『象徴図像研究―動物と象徴』2006/03 ISBN 9784862090072)[要ページ番号]
^ ⇒日本財団図書館- シルクロード地域各国観光情報収集調査 中国(河西回廊)編[要ページ番号]:例として、1970年代にアフガニスタンのハッダ遺跡より出土した「ヘラクレスやアプロディーテー等を脇侍とする仏陀像」を挙げている。猶、この像は1979年にソ連軍の侵攻により破壊され、現存しない。
関連項目
金剛力士
仏の一覧