金剛峯寺
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注釈^ 本尊名称については本記事の#壇上伽藍の節を参照。
^ 前日の25日に大正天皇が崩御し改元が行われたため、この日は大正15年ではなく昭和元年である。
^ 名称や建築年に諸説あるが、現地で配布している総本山金剛峯寺伽藍御供所が発行するパンフレットの内容に合わせて、この項では表記する。
^ 右手が清浄とされ、中央に位置する金堂の本尊に右肩を向け右回り(時計回り)で巡る。
^ この6体の仏像については写真が残されており、作風から見て、空海の時代からあまり隔たらない9世紀頃に作られた密教像として、極めて貴重なものであった。
^ 左手は衣を握り、右手は触地印になっている。
^ 重要文化財の平安初期の作で高野山に現存する最古の仏像の本尊は霊宝館に移され当堂には新造された像が安置されている。
^ 当日夕方整理券を配り法要の終わった夜7時過ぎから内拝できる。本尊も開帳されるが燈明の灯りだけで暗くてほとんど見えない。
^ 東大寺・知恩院・方広寺の鐘に次いで日本で4番目に大きい。
^ 例えば重要文化財の経蔵の文化財指定名称は「奥院経蔵」である。
^ ここに参拝に来た回数を数える数取地蔵、この坂で転ぶと三年以内に死んでしまう覚鑁坂、耳を当てると地獄の釜の音の聞こえる禅尼上智碑などの七不思議の逸話がある。<
^ 両界曼荼羅図の復元版「想定色平成再生版」が2015年7月3日に凸版印刷より金剛峯寺に奉納された[189]
^ 胎内仏は2005年追加指定[194]
^ 2012年重要文化財指定[195]、2017年に宝篋印陀羅尼(執金剛神像内納入)7通と宝篋印陀羅尼(深沙大将像内納入)一括を追加指定[196]
^ 文化庁サイトの「国指定文化財等データベース」には附指定の「宝篋印陀羅尼」の記載なし。
^ 「附」は2015年追加指定[204]

出典^ 世界遺産登録推進三県協議会、2005、『世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道』、世界遺産登録推進三県協議会(和歌山県・奈良県・三重県)、pp.39,75
^ “ ⇒日本各地の大師信仰”. 高野山真言宗 総本山金剛峯寺. 2020年12月14日閲覧。
^ 高野山の秘密 2015, p. 57.
^ 高野山の秘密 2015, p. 37.
^ a b 高野山の秘密 2015, p. 40.
^ “ ⇒女人堂/名所一覧”. 高野真言宗 総本山金剛峯寺. 2020年12月13日閲覧。
^ a b 歩いて旅する 2015, p. 135.
^ a b 明治5年「法令全集」, 第98号。NDLJP:787952/7,NDLJP:787952/97
^ “ ⇒高野山文化財年表 明治時代”. (公財)高野山文化財年表保存会 高野山霊宝館. 2020年12月13日閲覧。
^ 高野山を歩く 2009, p. 100.
^ a b c d e 高野山の秘密 2015, p. 118.
^ a b c 空海高野山 2013, p. 128.
^ 空海高野山 2013, p. 129.
^ a b c 高野山の秘密 2015, p. 120.
^ 空海高野山 2013, p. 130.

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