金井克子
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帰国後、「次の曲を最後にしよう」と決意して臨んだのが『他人の関係』だったが、大ヒットしてようやく人気歌手の仲間入りを果たした[4]。歌番組に引っ張りだことなったが、当時は「ダンサーとして飛躍したい」との思いが強かったという[8]
その他

1970年代半ば、西野バレエ団に学生アルバイトとして雇われた浅香光代の息子が、金井のマネージャーのような仕事を担当した[注釈 5]。彼は一生懸命仕事をこなし、金井が西野バレエ団から新しい事務所に移る時も色々と段取りを組んでくれたという[8]

36歳の頃、大阪で歯医者をする親族から「知人の歯医者で変わった男がいるんだけど一度彼と食事してみない?」と勧められた[8]。当初、お互いに結婚願望はなかった[8]が、何度か食事をして「この人なら大事にしてくれそう」と思ったことから結婚を決めた[4]。結婚式は、パキスタンで挙げた[注釈 6]。本人は主に東京での仕事が多いことから、結婚後は夫がいる大阪で時々主婦業をするという別居婚状態となった[8]

プールや海などの水が苦手である。これは、子供の頃に住んでいた社宅のプールに2番目の兄に冗談半分で落とされ、溺れそうになったことが原因[4]

1993年頃にレイノー症候群[注釈 7]を患い、手術した[9]。また、腰部脊柱管狭窄症の手術も経験している[9]

現在(2023年)は、筋力維持などのためにエアロビクスヒップホップのレッスンを受けている[9]
ディスコグラフィー
シングル

「」内は作品タイトルで、発売順時系列で列挙。なお、/の左側がA面、右側がB面を示す。次は発売年月日、()内はレコード番号。

オリコン発足後についてはシングル週間チャート最高位をその右側に付記。
「ハップスバーグ・セレナーデ/涙の白鳥」1962.8(SA-967) デビュー・シングル(コロムビアから)。A面はシェファード・シスターズをカバーした(ベニ・シスターズ
との競作)。

「バケイション/涙のハート(The Biggest Sin of All)」1962.11(SA-1012) A面はコニー・フランシスのカバー(コニー・フランシス(日本語盤)、青山ミチ伊東ゆかり弘田三枝子、安村昌子との競作)。

「夜のデイト/遠い空の星」1963.2(SA-1075) A面は森山加代子との競作。

「恋はボサノバ/いちごの片想い」1963.5(SAS-38)A面は梓みちよとの競作。B面はナンシー・シナトラのカバー(梓みちよ、中尾ミエ、ベニ・シスターズとの競作)。

「恋のお月さま/タムレ第1番」1963.9(SAS-95) B面は小野ヒロ子との競作。

「沈んでしまいたい/ユーカリの湖」1963.11(SAS-136) 

「見つめないで/星の降るよな夜でした」1964.9(SAS-308) 

「ふたりで来る街/青い湖」1965.3(SAS-429)

「ドレミファ音頭」1965.4.(SAS-500)※B面北原謙二/アントニオ・コガ/谷由美子との共演名義。なお、A面は村田英雄/都はるみ/大下八郎「昭和音頭」。

「ノーチェ デ・東京/一日だけのプリンセス」1965.5(SAS-511) A面は第7回日本レコード大賞編曲賞(山屋清)受賞。

「キエン・セラ/チャ・チャ・チャ フラメンコ」1965.7(JPS-10) アントニオ・コガとの共演名義。

「恋のGTタイプ/いつまでも恋を」1965.9(SAS-553)

「踊るクンビア娘/赤いスカートのクンビア」1965.10(JPS-20) 

「アデュー東京/好きになってもいゝの」1966.3(JPS-37) 

「ボンソワール東京/忘れられたハイヒール」1966.9(JPS-53) 

「青いドレス/呼べばよかった」1967.3(SAS-878) 

「シエンプレ・アモール/東京フラメンコ」1967.5(SAS-886) 

「小っちゃな恋の歌/ミニ・ミニ・ガール」1967.8(P-2) 

「いつもほがらかに/エルは恋人」1967.12(SAS-992) 

「恋人たちはいつも/ふたりの虹」1968.3(P-12) 

「サマー・ラヴ/愛の花咲くとき」1968.6(P-19) 

「恋のうちあけ/憎いあなた」1968.8.1#89(P-28) 

「恋の神話/白いギター」1969.2.1(P-51) 

「それでも地球は回っている/海辺の出来事」1969.9.1#89 (SONA-86057)CBSソニー移籍第1弾シングル。

「誰もそれを知らない/あれからのこと」1970.3.1(SONA-86095)

「お別れにキスはしないで/予感」1970.10.21#82 (SONA-86154)

「今、恋が終る/恋は女のさだめ」1971.3.1 (SONA-86173)

「女王蜂/嘘は大好き」1971.8.21 (SONA-86197)

「恋人たちの橋/別れの朝」1972.2.21 (SOLA-4)A面は第13回チリ国際ソングフェスティバル入賞曲

「エロスの朝/また逢う日がこわい」1972.7.21(SOLA-36)B面は第2回ヴェネズエラ国際音楽祭入賞曲

他人の関係/蜜の誘惑」1973.3.21#7 (SOLB-12)

「人間模様(にんげんもよう)/粋に愛して」1973.9.1#52 (SOLB-65)

「波止場エレジー/あなたしだい」1974.2.21#65 (SOLB-100)

「まがり角の女/ああ無情」1974.6.21 (SOLB-150)

「三角関係/朝陽のように」1975.12.21 (SOLB-201)

「いくつのときかしら/おんなの勘」1975.6.21 (SOLB-282)

「ちいさな罪/花びらの化石」1976.3.1 (SOLB-386)

「遥かなる愛/愛の語らい」1976.9.21(06SH-57)

「ツートン カラー/きげんふきげん」1977.6.21(06SH-169)

「イエスタデイ・イエスタデイ/ひとりごと」1977.10.1 (06SH-219)A面はジェーン・バーキンをカバー。

「ドリン・ドリン・ドリン/堕ちてゆく先」1979.7.1 (06SH-556)A・B面ともイタリアの女性エンターテイナー、ラファエラ・カッラ(Raffaella Carra)をカバー。原題は、Drin Drin/Povero Amore。

「愛さまざま/波止場エレジー」1982.8.21 (07SH-1196)現時点のラスト・シングル。A面はテレビドラマ「赤い関係」主題歌。B面は1974年2月21日発売(A面)のものと同音源。



コンパクト (4曲入りEP)


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