量子力学
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量子論の直接的なはじまりは、黒体放射分光放射輝度に関するマックス・プランクの研究に見られ、量子仮説を導入し統計力学からプランクの法則を再導出した1900年12月の論文[20]を発表している。ただし、この時点では今日知られるような形式の量子力学は得られておらず、量子力学の数学的な取り扱いが整備されるのは1925年以降のヴェルナー・ハイゼンベルク行列力学エルヴィン・シュレーディンガー波動力学の登場による[21]

20世紀初頭まで示されていた物理学の基礎は決定論で、物体の運動はある初期値に従って完全に定まると考えられていた。熱力学を力学の立場から説明する目的で、ルートヴィッヒ・ボルツマンらによって統計力学の理論も形成されていたが、その基礎は古典力学で、統計力学における確率的な事象はの統計的な性質だった。一方で、同じく20世紀の初頭に建設されていった量子力学は、次第に非決定論的な性格を帯びたものであることも示され、量子力学が真に非決定論であるか、あるいは量子力学に変わる決定論的な理論が存在し得るかなどといった議論が生じ、量子力学の理論形式の解釈をめぐり論争が展開された[22]。量子力学が形成される初期において、従来のニュートン力学相対性理論と異なり、物体が時空上に定まった軌道をとらないが、実験においてはウィルソンの霧箱などを利用することで粒子の軌跡を知ることができ、見かけ上は古典的な運動が実現されていることが指摘された[23]。この粒子の飛跡を説明する過程で、ハイゼンベルクにより不確定性原理が発見され、粒子の飛跡の問題について正当性のある物理的解釈が得られるようになった。不確定性原理によれば、物体の位置運動量の両方を定めることができず、位置を精度よく定めるほど、運動量を正確には決定できなくなる[24]。しかし、位置と運動量の不確定性の積はプランク定数程度の大きさになり、霧箱の実験においては位置と運動量を充分な精度で測定することができ、粒子が連続的に運動しているように見えることについて説明付けられている。

ハイゼンベルクによって示された不確定性関係の解釈や適用範囲についても議論が続けられている。ニールス・ボーアアルベルト・アインシュタインの討論では、ベルギーのブリュッセルにおいて1927年10月24日に開かれた第5回ソルヴェイ会議を始まりに[25]1940年代の末まで断続的に続けられた[26]。この議論の中では1935年アインシュタインらによる実在性の定義が提示され[27]、量子力学における実在性と局所性の研究が行われるきっかけとなっている。
前期量子論詳細は「前期量子論」を参照

前期量子論(ぜんきりょうしろん)とは古典力学統計力学)の時代から、ハイゼンベルク、シュレーディンガー等による本格的な量子力学の構築が始まるまでの、過渡期に現れた量子効果に関しての一連の理論をいう[21]

量子力学成立以前の物理学において、物体の運動はニュートンの運動方程式によって説明されていた。18世紀に産業革命がはじまるとニュートン力学はただちに機械工学に応用されはじめた。毛織物などの軽工業、鉱山での採掘などで用いるために蒸気機関が発明されると、熱機関の改良にともなって熱力学が発展した。やがて、ニュートン力学によって熱力学を説明する試みによって初期の統計力学が構築された。また、19世紀になって電磁気現象の理論体系が形成され、光学的現象は空間の成す電磁場の振動、すなわち電磁波によって説明されるようになった。

産業革命がやがて製鉄などの重工業に広がりをみせるとグスタフ・キルヒホフ溶鉱炉の研究から1859年黒体放射を発見した。黒体放射のスペクトルの理論的研究は、統計力学と結びつくことによって量子力学の基礎となる理論を与え、最終的にマックス・プランクによってプランク分布が発見された(エネルギー量子仮説、1900年発表)。物理的に黒体放射をプランク分布で説明するためには、黒体が電磁波を放出する(電気双極子が振動する)ときの振動子のエネルギーが離散的な値をとることを仮定とされている(量子化の概念、プランク定数の導入。詳細は黒体放射の項を参照)。

マイケル・ファラデーカール・フリードリヒ・ガウスが幾何学的考察から見出した電磁力に関する法則をジェームズ・クラーク・マクスウェル1864年マクスウェルの方程式としてまとめ、電磁波の存在を予想した。この予想に基づいて1887年ハインリヒ・ヘルツ電磁波の実証実験に成功し、無線の発明の基礎を与えた。さらに、この実験の中で後の量子力学の端緒のひとつとなった光電効果を発見した。光電効果はその後フィリップ・レーナルトらによって実験的研究が進められた。

1905年アルベルト・アインシュタインは、プランクの用いた量子化の概念を用いて、電磁波に粒子としての性質があること(光量子仮説)を発表した。1923年アーサー・コンプトンが電子によるX線の散乱においてコンプトン効果を発見したことで有力な証拠を得た(詳細は光量子仮説の項を参照)。

1924年ルイ・ド・ブロイは、アインシュタインが1905年に発表した光量子仮説に基いて、光が粒子のように振る舞うように、物質も波のように振る舞うという仮説を立て、粒子の運動量と物質波の波長を結びつけた。ド・ブロイの仮説の正当性は後に、1927年デイヴィソン=ガーマーの実験によって示された[28]。金属結晶による電子線の回折を確認する実験は、クリントン・デイヴィソンレスター・ガーマーらの他に、1927年にジョージ・パジェット・トムソンによっても行われており、デイヴィソンとパジェット・トムソンはこの功績により1937年ノーベル物理学賞を得ている。1928年には日本の菊池正士雲母の薄膜による電子線の干渉現象を観察し、電子が波動性をもっていることを示している。

原子モデルおよび元素のスペクトルについての議論も量子力学に重要な知見を与え、ファラデーが電気分解の実験によってイオンの存在を指摘し、やがて荷電粒子によって原子が構成されていることが認められるようになった。1911年アーネスト・ラザフォードは、ガイガー=マースデンの実験から得られた結果を元に、ラザフォードの原子模型として新たな原子構造のモデルを提案した[29]


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