大阪のドヤ街を中心とした脚本から、ドヤ街独特な体臭が常に画面いっぱいに漂ってなければならないと考えた工藤は、東京のセントラルアーツがオールロケで実績を上げつつあったこともあり[4]、東映京都撮影所(以下、京撮)活性化も踏まえ、京撮でもオールロケで映画を作るようにしないといけない、とオールロケを東映に提案、ベースをほぼ大阪に置き、オールロケで撮影を敢行した[3][4][11]。また、カメラの仙元誠三を始め、セントラルアーツの仕事をしていた東京のスタッフを招いた[4][12]。
撮影に入る前に工藤とスタッフは、イメージするロケ場所を探すため、3ヶ月の間ロケハンを行った[4]。絶好のロケ場所を見逃してはならないと車を使わず、国鉄、私鉄、地下鉄、バスを乗り継ぎ、地図と磁石を頼りに大阪中を歩き回った[4]。大阪の主舞台となる恵子(いしだあゆみ)が住むボロアパートもその成果で、イメージ通りのアパートを探し当てた[3]。ここは大阪十三の神崎川の縁に建っていた空家を借り切って撮影している[3]。
「映像の刺客」とも称される工藤監督は全編オールロケという悪条件の中、随所に光と影の演出テクニックを披露している[3]。恵子のアパートの部屋は狭く照明器具が持ち込めず、外にイントレ(櫓)を組み、ミラーやレフで外光を室内に送り込む手法がとられた[3]。またこのアパートで撮影中、偶然対岸の伊丹空港近くの町工場が火事を起こし、ドラム缶がボンボン爆発し、黒煙を上げて燃え始めた[13]。工藤は即座にシナリオを書き換え、燃え上がる工場をバックに恵子と阪上(泉谷しげる)の芝居を撮り上げた[3]。映画のために火事を演出したら、当時の撮影事情では膨大な経費が掛かったものと見られ、ハプニングでも取り入れる工藤流のダイナミックな映像作りが垣間見られる[3]。後半、シャブで頭がおかしくなった阪上が恵子の子・稔(川上恭尚)を連れて大阪中を逃げ回りながら、無差別に市民を射殺するシーンでは、入り組んだガード下に外からレフで光を取って撮影した[3]。
同時期に相米慎二が別の仕事のロケハンで近くにいて深夜に来訪し、工藤の演出をずっと見ていたという[6]。 降りしきる雨の夜、いしだを抱き立ち尽くす緒形の姿は、映画のキービジュアルとなり、ポスター(撮影朝倉俊博
「撮り足し」
一方で、一連の復讐劇はシーン100?123としてシナリオ準備稿の段階から存在しており、執筆した神波自身「バランスの悪い構成」と2011年のイベントで述懐している[15]。
また、カーチェイスについてもクランクイン(3月7日)より前の2月18日に和泉聖治監督『オン・ザ・ロード』の参考試写が行われており、その縁で「スリーチェイス」の福田伸、竹内雅敏が「野獣刑事」本編のスタントも担当することとなった[16]。大阪梅田ほか繁華街での暴走カーチェイスは、許可が降りるはずはないため、無許可によるゲリラ撮影。
泉谷が立てこもるのは千里の新興住宅地[13]とも楠葉住宅地[16]とも言われている。 ほとんどのロケが大阪で行われたが、国鉄跡地は京都で、他に梅小路などの撮影が京都で行われた[4][3]。あいりん地区が主舞台ではあるが[5][17]、盗み撮りであってもここにカメラを持ち込むことは難しく[2]、当地でのシーンはあまりない[2]。 緒形扮する大滝と蟹江敬三扮するヤクザたちが乱闘する酒場は京都市右京区にあり、キャメラの仙元誠三の生家近くで、酒場の前が仙元の兄や親戚が勤め、仙元自身も就職予定だった三興線材工業(現・サンコール)で、撮影当日は「誠三がキャメラマンになって映画撮っとるらしいぞ」と仙元の親戚や近所の人たちがズラーッと並んだという[13]。 『野獣刑事』は当初、仮タイトルで、変更されると予想されたが変更されず、正式タイトルになった[5]。
ロケ地
封切り