野沢那智
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特技は歌舞伎の声色[11]
主な吹き替え担当俳優
アラン・ドロン

1969年頃、アラン・ドロンの吹き替えを初めて担当。数人いるドロン担当声優のひとりとなる。『日曜洋画劇場』で主にドロンを担当していた堀勝之祐などと比べ、ドロン担当として野沢は比較的後発の存在だったが、やがて1970年代後半頃から、ほぼ全局で野沢がドロンの吹替を担当するようになり、茶の間にも「アラン・ドロンの吹替といえば野沢那智」のイメージが浸透していった。野沢に先んじてドロンを多く吹き替えた堀も野沢が担当した作品を観た際には「僕は彼の演技にのれないことが多々あったが、野沢さんの場合はぴったり合っている」と評している[32]

ドロンを担当するようになった経緯ついて、野沢本人は後に「『太陽がいっぱい』で堀勝之祐がドロン、自身がモーリス・ロネを吹き替え放送したところ、しばらくして春日正伸の提案で配役を逆にして録り直し放送した。これで初めてドロンを吹き替え、その後多く吹き替えるようになった」と述べている[33]。ただし、野沢がロネを吹き替えた音源はなく、とり・みきの調査では野沢が初めてドロンを担当したのが『黒いチューリップ』となっているため、真相は不明である。

野沢がドロン担当声優として有名なため、演劇・映画の関係者や評論家、役者たちのコラムや寄稿において「アラン・ドロンから連絡を貰った」「稽古場でアラン・ドロンがソバを食べていた」など、冗談でアラン・ドロン扱いされることも多い。東映制作の特撮テレビドラマ作品『仮面ライダークウガ』(2000年)の第37話では劇中で「アラン・ドロンの声をやっていた人物」として野沢の名前が登場する。また、野沢はドロンがダリダとデュエットし、ヒットしたシングル『あまい囁き(Parole Parole)』の日本語版にも参加している。過去には戸田奈津子の仲介でドロン本人と対面したことがあったものの「もう少し上手な人に吹き替えてもらいたい」と言われ、当初はお墨付きには至らなかったものの、80年代に執り行われたドロンと会食ができるフランスパリの観光ツアーでは野沢がドロンと同行しており、その後の両者の関係は良好であったという[34]

アラン・ドロン自身の声は、野沢が演じるものより低い声である。ディレクターも交えて(冗談まじりに)ドロンに似せた低音で演じてみた時、その声で日本語を話すと重くなりすぎ、泥臭く聞こえてドロンの外見のイメージと合わないことがわかった。そこで「ドロンの顔つきや体つきからイメージされる、甘さのある柔らかい雰囲気で」との方向性で声のトーンを決めていったという。「アラン・ドロン自身のような低音でフランス語を話してると響きが良いんですけど、その声で日本語を話すと聞こえ方が違う」と、日本語とフランス語の聴感の違いも感じさせる回答を野沢は述べている。また、ドロンの顔と体のイメージから、演技としても大芝居を避けて「さらりと、さざ波のような感じで声を出そう」という演技方針を固めていったが、「さざ波って言ってもねえ…それが…難しいんですよ」と実感を込め、二枚目を吹き替える難しさを振り返っていた[21]

野沢は「二枚目という端正な魅力を生かすには、汚い日本語では絶対に成立しない。正確にいうと、アラン・ドロンを演じているわけじゃない。彼が映画の中で役を通して表現したかったことを、日本語で表現している」とインタビューで話している[21]

役作りについては「3日前からドロンになれてないと収録できない」と話しており、ドロンが演じた多くの役のような孤独で人間関係には器用でない役を吹き替える際は、当日できるだけ収録本番まで人に会わないように現場に入り、挨拶もほとんどしないという。いわば担当する人物の人間関係そのままに振る舞うという行動で「孤独な役をやるんなら、世間話してると物語に入れないんです」と話している。野沢によると、オードリー・ヘプバーンの吹替で知られる池田昌子も同様の役作りをしており、特に野沢と池田が会話の少ない役で共演する時は、本番以外ではほとんど会話しないという[21]

野沢にとっては、収録の際のマイクに対する立ち方も役作りのひとつになっており、ドロンの吹替の時は大抵左端のマイクを使い、隣の相手役にも敢えて向き合わずに収録するという。その位置は「人と関わらない立ち位置」だといい、「いわば壁を作ってる感じで…相手役の台詞は聞きますが、相手役は見ないし、体も寄せてません。見ながらやると関わってしまうので…」という状態で演技することが多い。作品映像を見ながら演技する吹替現場において孤独な役を吹き替える際には「その位置だと、映像がいちばん遠くなるので合理的じゃないです。でも、そういう他人と関わらない位置でやらないと、やり辛い」とし[21]、ドロンを吹き替える上での野沢流の“作法”を明かしている[35]

ドロン若き日の代表作『太陽がいっぱい』について、野沢は作品自体、またドロンの演技も高く評価している。この作品はテレビ放映の機会も多く、テレビ放映のために現在まで少なくとも6種の吹替が製作され、そのうち野沢は3度ドロンを担当している。2008年にこの映画のスペシャル・エディションDVDが製作され、「野沢ドロン」の吹替収録が決定、野沢は収録の候補になった1972年放映版と1984年放映版を久々に見直した。1972年版について野沢は「出だしのころの台詞なんて、気恥ずかしい出来です」と当時30代だった自分の演技の未熟さを振り返ったが、「『一攫千金を狙う貧乏な青年』の雰囲気は、下手なりに出ていたのかなあ」と懸命でもあったと評し、72年版で共演のモーリス・ロネを担当した堀勝之祐の芝居の見事さや、「サスペンスの雰囲気も出ていて、作品全体としては72年版の方が出来が良い」と最終的に72年版のDVDへの収録に同意したという[21](見直してみて、野沢自身、自分の演技としては84年版での演技のほうが納得できる部分もあると振り返っており、野沢没後の2017年12月に発売となった4Kリストアブルーレイ・同DVD版には72年版と84年版の両吹替が収録されている)。

2007年、テレビ東京にて『太陽がいっぱい』を「野沢ドロン」で新規収録する企画が決まり、局側から打診を受けた野沢は「(オリジナルの製作当時20代だった)あの頃のドロンに見合った声と気持ちで演じるのはもう無理」と70歳を翌年に控えた自分の年齢などから断ったが、「今電話でお聞きしてる声なら大丈夫、気持ちもやってみたらきっといけます、また新しくこの作品を作りましょう」と局側から口説かれ、収録に応じたと2008年6月のインタビューで語った[21]。インタビュー当時野沢は自身3度めの『太陽がいっぱい』の仕上がりをまだ見ておらず「見るのが怖い」と明かしていたが、映画は08年7月に放映されている。

幼い頃父を亡くしたという経験がドロンと野沢には共通しており、野沢が生い立ちに言及した際は「共通点があるから、彼の作品を理解しやすいのかもしれない」と振り返っていた[21]

ドロンが日本で本国フランス以上ともいえる人気を博した理由についても野沢なりの分析を述べている。「(ドロンの映画には)泣かせ方というのか、物語に日本的情緒があって、彼は“信義や友情を大事にする熱い男”という役をずっと演じていた」と、当時の日本人に訴えかける男性像だったことを人気の要因として挙げた。また「彼の顔立ちも、本当に外国人という感じじゃなくて、日本人にもいそうな顔立ちだった」ことも観客には親近感があったのでは、と述べている[21]。加えて1980年代のインタビューでは、「最近はアラン・ドロンが映画を撮っても、日本の劇場ではやらないです。お客が入らないらしくてね、今のお客さんとちょっとズレちゃった」とドロンの人気の衰えについても言及し、長く担当してきたドロンへの愛着を感じさせる回答を残している[33]

以上のように苦労もありながらも、ドロンの作品に多く共感できることや、約35年にもわたって関わり続けてきたことなどから「どれだけの人数を吹き替えてきたかわからないけど、アラン・ドロンが一番やりやすいです」と野沢は答えていた[21]

担当したドロン作品の中では、冒険活劇としての面白さから『黒いチューリップ』、『アラン・ドロンのゾロ』の2作、また作品の出来栄えに感銘を受けたとして『地下室のメロディ』を挙げ、また「演じていて面白かった」と『ブーメランのように』を、更に『高校教師』も印象に残る作品として選んでいる[21]

ドロンでの実績もあり、ロバート・レッドフォードなど、他にも多くの二枚目俳優を担当したが、約30年担当したレッドフォードについても「顔がきれいで印象を壊しちゃいけないから、タッチの強い台詞が言えない。いちばん難しい」と語っていた[31]。マイクの位置について、野沢はレッドフォードを吹き替える際「(マイクが4本あったら)一番右のマイクに行き、共演者の皆が見える所で演じると、フランクな気持ちになって、楽になってやりやすい」としており、レッドフォードの役柄に応じ、ドロンを担当する際とはまた異なった工夫をして臨んでいた[36]
アル・パチーノ

ドロンと並んで、アル・パチーノの吹替も日本人に一番馴染み深いフィックスとしてファンから高い支持を得ている野沢の持ち役の一つである[37]。野沢は長年、各年代のパチーノの代表作をほぼすべて手がけた[38]。パチーノの演技力について野沢は「僕が考える演技の枠を越えてます」と語って感嘆していた[21]

パチーノの出世作・代表作となった『ゴッドファーザーシリーズ』でのマイケル・コルレオーネ役は「段々とマフィアに染まっていくアル・パチーノの野沢の声の芝居が凄い」「インパクトが強く、後に字幕版で見た時よりも吹き替え版の方が良かったと思えるほどハイクオリティ」として高く評価されたことで[39]、以降は3部作すべてを担当。3作目では長いブランクを経たことで、初回放送局が日本テレビ(『水曜ロードショー』)からフジテレビ(『ゴールデン洋画劇場』)へと変わっても野沢が続投した[37]上、第3作のソフト版でも担当した[注 3]

同シリーズにおいて、野沢は全作に渡ってパチーノを演じている唯一の人物であるが、1・2作目の市販ソフトに関してはそれまで山路和弘[注 4](DVD版)や森川智之(Blu-ray版)など野沢版とは異なるキャストによる新録版のみの収録に留まっており配役が統一されず、3作目を除くと野沢版のソフトでの鑑賞が不可能となっていた。


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