野沢直子
[Wikipedia|▼Menu]
2015年、バンド ELECTRIC MACHINE GUN TITS (直訳すると、電気マシンガンおっぱい)を結成。サンフランシスコを拠点に活動開始。2016年夏には日本ツアーを行い、ギターウルフロリータ18号等と共演。2017年春には、PUFFYアメリカツアーサンフランシスコ公演のオープニングアクトを務めた。

2018年8月、吉本芸人46人による男女混成アイドルグループ・吉本坂46のメンバーに選ばれた[11](1期生の中では女性最年長[12])。以後アメリカと日本を往復しながらレコーディングやMV撮影、イベントなどに参加[12]。しかし2019年7月、アメリカでの生活と両立させることが困難であるという理由で、吉本坂46からの卒業を発表[13]
人物[ソースを編集]
生い立ち[ソースを編集]

東京都中央区日本橋人形町生まれ[14]。「日本橋という場所柄、裕福な家庭と思われがちだが住んでいたのは長屋で、中学時代までは貧乏だった」と語っている。

幼少期は、事業を起こしても仕事が続かない自由人な父の行動に家族が付き合わされるという生活だった[15]。成績は良くなかったが、仕事で一発当てることに全エネルギーを注ぐ父と、明るく大らかな母から勉強について怒られたことはなかった[15]。小学4年生の頃、父から「これからの時代は女性も手に職をつけることが大事だ」と言われた[注 3]

小学校低学年までは、家では元気なのに学校など外では大人しいという、かなり内弁慶な子だった[15]。小学3年生の終わり頃に転校した後、「お楽しみ会」で友達の母親のものまねをしてウケたことがきっかけで、学校でも元気で明るい性格に変わった[15]。さらに中学生になる頃には、生徒たちの前で漫才やコントをやるなどクラスのお調子者になった[15]。中学を卒業する頃、父の直哉が手掛ける競馬の予想ビジネス事業(当時の社名はクラブ馬主の友和競走馬)が大成功した[16][1]。ほどなくして一家は、貧乏長屋から豪勢な戸建てに引っ越した[1]

高校3年生の頃、先述の素人参加番組『ドバドバ大爆弾』に賞金欲しさに参加を決意[15]。クラスメイトの女子生徒とコンビを組んで出場し、素人なりに毒舌的な漫才を披露して賞金58万円を獲得[1]。これをきっかけに芸人になる夢を持つ[15]が、相方がスチュワーデスを目指すことになったため、コンビは解散した[1]
お笑いタレントに[ソースを編集]

高校卒業後、芸人を志して劇団テアトル・エコー[注 4]の養成所に七期生として入所[1][5]。卒業後、叔父で声優の野沢那智の紹介で吉本興業東京事務所(後の吉本興業東京本社)所長の木村政雄と出会った。木村から「キミ、顔がオモロイなぁ」と言われ、タレントとして入社することが決まった[1]

デビューから間もなくしてテレビの仕事が増えた理由について、本人は以下のように回想している。「当時(1985年頃)は体を張る女性タレントがいなかったんです。服の背中側からウナギを何十匹も入れられるとか、(悪役女子レスラーの)ダンプ松本さんに竹刀で殴られるとか(笑)。当時の私はどの番組に出演しても、だいたいそんなポジションでした。また、島田紳助さんからは当時、『(他の女性タレントと違い)丸めた台本で頭を殴られてもかわいそうに見えない』ってお褒めの言葉をいただきました(笑)」[1]

人気クイズ番組クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』にレギュラー解答者として出演した頃は、その素っ頓狂な言動と破天荒な解答で周囲を笑いの渦に引きずり込んだ。また、『夢で逢えたら』のレギュラー出演が、その後の人生を変える大きな転機となった[1]。同番組では、同年代のダウンタウンウッチャンナンチャン清水ミチコたち共演者や、番組ディレクターの星野淳一郎などスタッフのお笑いにかける情熱を肌で感じながら彼らとコントを作り上げた[1]
人気絶頂期に突然の渡米[ソースを編集]

しかし、その後『夢で逢えたら』で共演者とのお笑いにおける圧倒的な才能の差を感じた[注 5]のを機に、1991年3月に日本での芸能活動休止を宣言[1]。当時抱えていた同番組を含めた全レギュラー番組を降板して武者修行のため単身で渡米した[1]が、当時公には「アメリカ進出の夢に挑戦するため」と説明していた。しかし実際は上記の才能の差を感じて挫折し、「自分はもうダメだと思った」と苦悩した末の逃避であった事を、後に告白している。

英語は全然喋れなかったが「アメリカに行こうかな」と思い立ち、当時ドラマなどで見て何となく気になったことから、“行くならニューヨークだな”と安易に滞在地を決めた[2]。吉本興業には当時、「1年で帰ってくる」と嘘をついて渡米した[2]

ニューヨークでは、しばらくは英語の学校に通いながらコメディークラブの「オープンマイク」という飛び入り参加自由のライブなどに参加[1]。ライブではカタコトの英語で腹話術をしたり[注 6]、サルのモノマネなどのネタを披露[1]

以後オープンマイクに加え、公園でもパフォーマンスを始め、ほどなくしてそこでできた友人たちとサルの格好をしたパンクバンド「チンパンジーズ」を結成[1]。メンバーの男性と同時期に結婚し、同バンドで「CBGB」をはじめとする、マンハッタン区のイースト・ヴィレッジのライブハウスを回ったり、イギリスツアーなどを行ったあとに解散[1]。本人はその後も夫と音楽活動を継続し、子育てをしながら全米ツアーを敢行した[1]
出稼ぎタレント[ソースを編集]

先述の通り結婚後から、“出稼ぎ”と称して日本に1か月ほど滞在してタレント活動を行っている[9]。母親となってからは主に子供が夏休みに入る夏に帰国するようになり、一部媒体から「 夏の風物詩 」とも評されている[7][9]

出稼ぎ中は実家で寝泊まりしながら、吉本興業からギャラをもらって(2016年時点で月15万円[10])バラエティ番組などに出演している[7]。その際奇抜なファッションと破天荒なトークを披露している[7]が、アメリカでの生活が長くなったため、一部視聴者などから「現在(2014年)のお笑いの間(ま)やツボとズレてきている」との評価もある[9]

2013年の日本滞在時は実家が使えなかったため、友人の小川菜摘に誘われて彼女の自宅である浜田家に1か月半以上滞在し、浜田家に届く御中元を食べて生活していることを明かした[17]。また、ある年は夫のボブと一緒にバンドとして日本の番組に出演した事もあったが、演奏はガレージ・サウンドを地でいく破天荒さだった[7]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:81 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef