『CSI:科学捜査班』に偶々、ディレクターの粋なはからいで、裕史と健児と健児の妻を一緒に呼んでくれたことがあった[13]。4人で同じスタジオに入り、仕事をして、皆は平気にしていたが、内心一番ドキドキしていたのは昭生ではないかと語っている[13]。 1980年時点では自分が出演した作品は極力見るようにしているが、毎晩のように外で飲むため、ほとんど見れないという[2]。水・金はレギュラーをしていることから見られなかった[2]。テレビの仕事していることから、「子供にあまりよくない」ということでテレビはあまりつけなかった[2]。また子供たちは「アニメ禁止」であり[41]、仮にアニメを見る場合でも「これとこれ」と決めていたが、『無敵超人ザンボット3』、『科学冒険隊タンサー5』など、昭生自身が出演しているものだけは見せていたという[2]。 『合身戦隊メカンダーロボ』のオーディションのスタジオで偶々神谷明、曽我部和恭に隣り合わせ、「この三人がレギュラーに決まったらいいね。」と話し会って帰ったところ、期待通りに3人が合格し、レギュラーとして出演[4]。その後は意気投合し、飲みに行ってはともに語り合い、旅に出かけてはともに歌い合う仲となっていった[4]。神谷明や曽我部和恭や伊武雅刀らと東京都新宿区四谷三丁目あたりでよく飲みに行ったスナックで曽我部がギターを披露し、あまりに上手だったためにバンドを結成する気になり、古川登志夫、古谷徹を迎え、スラップスティックを結成[13][14]。1回目の練習では真夏のため、全員汗だくになったという[13]。アテレコとは違う世界を触れたことで、このバンド時代を「凄く楽しかった、いい経験ができた」と振り返っている[13]。すでにバンドとしての活動は終了しているが、2007年2月に元メンバーの曽我部・鈴置洋孝両名の追悼コンサートを行っている[22][42]。 仲のいい声優については、誰とも親しいため「あえてこの人」というのはないが、スラップスティックのメンバーはもちろん、強いて言えば森功至、石丸博也を挙げている[2]。森とは俳協時代から、長く付き合っているという[2]。 役者になっていなかったら、「地味な研究の物理学者」になっていたという[3]。2つの大学に合格をしていたが、経済的理由で進学を断念したという[3]。 安元洋貴は野島のことを「恩師」と語り[43]、初仕事の時には野島から稽古をつけてもらっていたという[44]。 趣味・特技はギター、スケート、卓球[15]、草野球、将棋[2]、カメラ[3]。所持資格は普通自動車免許[7]。 好きな言葉は「己心厳[注 2]」、「自分に厳しく 人に優しく」[13]。 役名のうち、太字はメインキャラクター。
その他エピソード
出演
テレビアニメ
1964年
ビッグX
1967年
レインボー戦隊ロビン(ミケロン)
1968年
巨人の星(1968年 - 1969年、伴大造の運転手[要出典])
1969年
アタックNo.1(三村秀三)
1970年
赤き血のイレブン(屋島才三)
あしたのジョー
ばくはつ五郎
1971年
アパッチ野球軍(ダニ[45])
さるとびエッちゃん(1971年 - 1972年、大平[要出典])
1972年
アストロガンガー(ブラスター99 / アスファルター、大山次郎)
デビルマン(ドランゴ[46])
1974年
柔道讃歌
てんとう虫の歌
破裏拳ポリマー
荒野の少年イサム
1975年
ドン・チャック物語
1976年
ドカベン(大道寺、晴彦)
母をたずねて三千里(ロッキー)
1977年
あらいぐまラスカル(カール・マーティ)
合身戦隊メカンダーロボ(敷島竜介)
新・巨人の星(田淵幸一)
無敵超人ザンボット3(1977年 - 1978年、神一太郎[47]、ズブター[要出典])
1978年
家なき子(フォートン)
一球さん(岩風監督[48])
宝島(1978年 - 1979年、グレー[49])
無敵鋼人ダイターン3(ナレーター)
1979年
科学冒険隊タンサー5(1979年 - 1980年、赤井大地〈ダイチ〉[50])
銀河鉄道999(青年、ナヴァアロ)
未来ロボ ダルタニアス(ラムス)
1980年