野島昭生
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長男の裕史が20歳の時に就職した際、昭生は「農業に飽きたから東京に戻る」と言い出した[25]。その後は東京と九州を行ったり来たりしながら声優の仕事を続けていた[26]

九州のローカル局アナウンサーの講師をしていた時期もある[26]
人物
特色・役柄

声種バリトン[2]。ちょっと高めだが、温かい声が魅力的[27]

アニメ、外画を中心に、ナレーションでも活躍している[6]。特に外国映画の吹き替えが多く、セリフも難しく収録も大変だが、外国映画が一番好きだという[28]。1981年時点では声優、テレビドラマ、芝居、最終的に「どれをやりたい」とジャンルを絞るつもりはないようだが、しいていえば「全部やりたい」という[3]。「1本1本、懸命にすればそれが身についてくる」といい、最初に花沢徳衛に「毎日が勉強だ」と言われたという[3]。声の仕事の一番の魅力についてはアテレコに限れば、「役にいかになりすまして、自分が日本語版で、その役にプラスアルファをしていくか。さらにおもしろいものをつくっていくか」というところをいつも心掛けているという[13]。アフレコ開始当初の時代は全て生放送であり、それが一番嫌だったが、しばらく経って録音になった[13]

次男の健児によれば、昭生は三枚目役が多く[29]、ヒーロー作品に出演する際、戦隊ものにおけるポジションでいえばイエローやグリーンの役柄が多かったとのこと[30]。昭生は「グリーンやイエローは楽しいんだよ」と健児に語っていたが、当時の健児はそれについて理解できなかった[30]。後年健児が昭生と同じく声優業を開始した際に、「イエローやグリーンは『自由にやってください』という役が多く、脇役こそ役者の力が試されるテクニカルな仕事」であると再認識し、昭生の語っていた役柄のやりがいや楽しさを感じるようになったという[30]

『ローハイド』出演時は最初から30分通しで収録していたが、最後にトチると最初からやり直しになるため、皆必死だったという[13]。当時の昭生は高校時代から出演していたが、その頃は20代の小林修永井一郎山田康雄市川治藤岡琢也らも同じ『ローハイド』のレギュラーだった[4][14]。その後、小林、山田、市川、藤岡と次々に世を去り、2013年当時に永井に会ったところ「野島くん、『ローハイド』に出ていた声優で、今生きてるのは君と僕だけだよ」と言われたが[14]、その永井も2014年に死去[31]している。

ナレーションとアテレコの違いについては「作品の内容がどういうものなのか、どういうターゲットなのか、何を言わんとしているのかをまず把握することを考えると、同じですね・・・。」という[13]。ナレーションの場合は、「作品をつくった人の、こういう作品にしたいという気持ちがきちんと伝わってくる」、アテレコの場合は、映画製作した監督、アテレコの監督がおり、「ミステリーだ、ラブだとか、いろんなテーマがあって、それぞれ理解しなければならない」と話している[13]

セリフを言う時に大切にしているのは、「その役の人物がどういう気持ちで喋っているのか?」とのこと[13]。「そのセリフを言っている自分の心は、何を感じて何をどう思いそのセリフを言っているか?」とのことで、感じていることを一番大切にするが、それを表現するのはもっと難しいという[13]

声の仕事で印象的だったのは映画『エリックの青春』で、それを見て感銘を受けた人物から、「自分は本当は死のうと思ってたけど、これを見て、やっぱり生きることの大切さがわかった」と切々とした手紙をくれた[13]。その時、「ああ、こういう仕事をやっていて、人助けじゃないんだけど、そう感じてくれている人がいるんだな」と嬉しかったという[13]

ナイトライダー』ではナイト2000の人工知能K.I.T.T.の役作りにはずいぶん悩み、ディレクターとも2人で話し合ったが、パイロット版の製作は難航し、およそ1か月をかけた3度目の収録でようやく完成した。現在の喋り方になるまでは、原語に近いフレンドリーな口調や、逆に徹底的に無機質な演技も試したというが、最終的には「マイケルを兄と慕う弟(兄弟愛)」「奔放な兄を窘める慎重派の弟」をイメージした上で、少しコンピュータっぽく、かつ大人っぽくした感じにすることで決まったという[13]。ブルーレイBOXに同封のブックレットにあるインタビューによると、K.I.T.T.の声は機械でエフェクトを掛けないといけないため、主演で相棒のマイケル・ナイト役の声優ささきいさおとは別録りで収録せねばならず、「彼の収録を見てから演技に入り、覚えている内に一気に録り終えた」とのこと。ブルーレイBOXのための追加収録でも、当時の雰囲気を再現するために別録りとした。それだけにマイケルとK.I.T.T.の掛け合いは、一番苦労していた。現在でもK.I.T.T.は野島の代表作として挙げられ、野島自身も「自分の仕事の中で三本の指に入る」と語っている。テレビ放送時の全74話のエピソード中、最も印象に残っているのはシーズン3第13話「ナイト2000魔の毒液に溶ける!決死の再生!立ち直れキット!!?(原題:JUNK YARD DOG)」と述べている[32]。2012年にはフジテレビのみ放映された『ナイトライダーNEXT』での新型K.I.T.T.〈ナイト3000〉の役も担当している。なお原語版ではナイト2000(ウィリアム・ダニエルズ)とナイト3000(ヴァル・キルマー)は各々異なる人物が演じている。
家族との関係

妻との結婚は、出会いから2年か3年して劇団を退団した時であったことからお金もなく、結婚式もできなかった[2]。その時に「一緒に住んじゃおう」というため、籍だけ入れておいていた[2]。しかし「子供が生まれる」というため、「式の写真がないとまずいんじゃないか」ということで、向こうと野島の親戚の20人ぐらいで、父の墓の前で仏前結婚をすることになった[2]。ちょうど住職も若く、「初めてだから練習のためにやろう」ということになった[2]。野島の結婚式の仲人は、花沢徳衛だった[3]。その後、曽我部和恭の結婚式を見た際には「こんな多くのみんなに祝福されていいいな」と思ったという[2]

息子たちとの共演の機会も何度かあり、実際に親子役で共演することが多い。裕史が主演の『スケアクロウマン』ではゲストとしてシュタインの現在の声を演じ、その過去の声を健児が担当したことで親子三人での共演が実現した。『スケートリーディング☆スターズ』でも息子たちが演じる双子の兄弟の父親役を演じ、親子三人での共演を果たしている。

健児によると、昭生との共演の機会に「芝居のアプローチが僕とは全然違うんだな」と感じていた[33]。昭生はたとえノイズ等でリテイクが出たとしても、全く同じクオリティで常に120点出すという芝居のアプローチをしていた[33]。健児は昭生の芝居のアプローチは絶対真似できないことであり、「すごいな」と思った[33]。健児は小さい時から昭生の仕事を見てきたが、そういうことは共演してはじめてわかったという[33]

職業としての声優は時間が決まってないため、幼少期の健児は昭生が仕事に行くたびに「今日は、何時に帰ってくるの?」と聞いていた[30]。健児が「今日は遅くなるから、先に寝ちゃってるよ」と言うと、昭生は「今日は早いから、おみやげ買って帰るよ」と答えたりして、昭生が帰ってくるのを楽しみにしていた[30]。昭生はイベント、吹き替えの仕事が行われることが多い日曜日になるべく休み、健児たちを遊びに連れていったという[30]。1981年時点では「必ずおフクロのところに遊びに行く」のが一家のルールであった[3]

健児は物心つく前から昭生の声をテレビで見聞きし、ポスターに昭生の姿が写ってる情景を見て育ったため、役者というのが身近な仕事の一つという意識があったという[34]。健児が学校で人形劇などの教育放送を見て、テレビから流れる声が昭生の声だった時には、誇らしい気分であったという[35]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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