子供の頃は古谷徹をはじめ、水島裕、小山茉美らが家に遊びに来たりしていた[3]。子供の頃は家庭内では「アニメ禁止」であったといい、あまりアニメを観てなかった[13]というが、それでも数少ないアニメ視聴時間中には父・昭生と親しい声優達を何度も目にする機会があったため、テレビでアニメを見ていても声を聞いて「ああ古谷徹さんだ!」、「古川登志夫さんだ!」など中の人が頭に浮かび、役者達に意識がいっていたかもしれないという[19]。一度、父・昭生に「『Dr.スランプ アラレちゃん』が好きだ」と話したところ、後に則巻千兵衛役の内海賢二が「おお! 健児かあ、元気かあ」と電話してきてくれたことがあった[19]。その時は、千兵衛と話しているが、それとは違うそのキャラクターの先にいる「人間」を感じていた[19]。「そこでアニメはこんなに温かい人達がやっているんだ」と感銘を受けた[19]。役者としての内海を強く感じ、ドキドキしており、職業としての声優は他の人物より早く認識していたと語る[19]。
当初は舞台、映画などに出演する役者志望だった[19]。元々出たがりの恥ずかしがり屋であり、人見知りはするが、物心ついた頃から目立ちたがり屋だったところもあったという[18][20]。「人前に出ることを面白い」と思ったきっかけは、小学1年生の時に学芸会でしていた舞台『ブレーメンの音楽隊』[20]。野島は「主人公よりもいろいろと自由に演じられる」と思い、盗賊役に立候補をしていたが、体が小さかったという[20]。立った時に小柄な野島が舞台を走り回って台詞に対する客席の反応、生で返ってくる感覚が新鮮であり、それが快感になって、「舞台を楽しい」、「これは楽しいぞ」と考えていたという[18][20]。その後は心の中で「いつか人前に立つ仕事をしたい」と思い続けていたという[20]。子供の頃から、自分で作品を書いて両親の前で発表したり、紙芝居を作って演じたり、ビデオで人形を撮影してアフレコしていた映像を見せたり、脚本を書いて近所の子供を集めた芝居をしていたりしていた[8][18][19]。そのため「子役をやりたい」と父親に話したことはあったが、母親の方が芸能活動に反対していた[8]。
小学校時代、兄・裕史が学校を中退する決断をしており、当時は「そんなの、ありなのか?」というショックな出来事だったこともあったが、「これでいいのかもしれない。周りに合わせる必要もなくなるんだ。」、「自分に合わない」と判断して小学校を中退[4][18]。学校を中退する決断は色々な意味で「たいへんな道」だったといい、両親にはめちゃくちゃ怒られていた[18]。野島家は兄弟3人[1]共、育った環境のせいなのか、元々DNDに備わった部分なのかはわからないが、少しアグレッシブな人生を歩いてきたという[18]。母は学校に行かない健児ら兄弟を積極的に色々な場所に連れて行ったといい、美術館にもずいぶん連れて行ってもらっていた[18]。