結局、新進党は野党第1党として政権交代に失敗し、前述の衆院選の投票日から14ヶ月と11日後の1997年12月31日をもって政党助成法に基き、複数の政党に分党した。 新進党分党で結成された新党平和・(参議院議員と都道府県議と自治体議員で構成される)公明・(新進党結党以前は公明党に属していた)小沢自由党からの離党者で再結成され、1999年10月から新進党時代の同僚である小沢自由党?保守(新)党と共に自民党と連立政権を組み、更に選挙協力を進めた。 2000年衆院選では重複立候補者が7人いた。南関東ブロックの上田勇(神奈川6区)・富田茂之(千葉2区)の2人の「名簿」順位が同じ3位、東京ブロックの山口那津男(東京17区)・遠藤乙彦(東京4区)・大野由利子(東京20区)の3人の「名簿」順位が同じ3位、2つ比例ブロックに5人の重複立候補者を存在させ、彼らをお互いに同一順位としていた(他に四国ブロック2位で高知1区の石田祝稔、北関東ブロック3位で埼玉6区の若松謙維)。しかし、その重複立候補者7名全員が小選挙区敗北し比例代表で復活当選した者は上田・若松の2人のみだった。 その後、2003年衆院選以降は重複立候補を行なっておらず、小選挙区か比例代表かどちらか一方の立候補となっている。その後、2021年衆院選では中国ブロックから広島3区へ転入した斉藤鉄夫について、例外的な対応として一時は中国ブロックとの重複立候補が検討されたが、最終的には小選挙区のみの立候補となり、当選している[5]。 1996年に結成された民主党では、1996年・2000年・2003年には重複候補者を比例名簿において可能な限り同一順位とし、重複立候補者の間で名簿順位に差をつけることを過去には数例認めたが2005年の衆院選から全廃した。ただし、2014年の衆院選では一部で復活している。 過去には「名簿」上位の重複立候補者が若干存在したが(2000年衆院選は新進党時代の小選挙区から国替えした後藤斎と新進党時代は比例単独候補で本来希望した小選挙区の隣の区から立候補を余儀なくされた城島正光の2人、城島と同じ東京で旧民主党時代は比例単独候補の藤田幸久・石毛^子、旧民主党時代の選挙区とは違う選挙区で立候補した長妻昭、1996年の衆院選でさきがけ現職として落選した選挙区から隣の区に国替えした宇佐美登は上位優遇されなかった。 2003年衆院選は直前に民由合併で自由党が合流した関係で国替えを余儀なくされた樋高剛・都築譲、1996年旧民主党候補として立候補した選挙区から国替えする伊藤忠治・鉢呂吉雄、1996年新進党候補として立候補した選挙区から国替えする三井辨雄・長浜博行・玉置一弥の7人)、2005年以降は一切認めないようになった。また、比例単独上位も原則としては認めない方針になっており、2005年の総選挙において比例単独上位候補がいたのは北海道ブロック(逢坂誠二)[注 7]と南関東ブロック(長浜博行)の2人のみであった(なお、長浜は在職途中に第21回参議院議員通常選挙に立候補し衆議院議員を自動退職(失職)した。逢坂は次回の2009年の総選挙に重複立候補し小選挙区で当選している)。 2009年の総選挙では民主旋風を受けて、選挙戦の優勢の見通しから小選挙区候補が大量に当選し比例区候補が不足することが予想されたため、比例単独候補の擁立を進めた。例として東北ブロックでは小選挙区重複候補者を全員1位(前出の小沢一郎を除き)で民主党の小選挙区候補は全て重複立候補とし、その下位に7人を登載した。結果、東北では7名当選となり、比例復活3人を差し引きした単独候補4名が当選した。 2012年の総選挙では民主党への大逆風により、小選挙区候補が大量に落選し閣僚や党幹部も比例復活が出来ない事態に陥った。また政党の乱立により票が割れ北海道ブロックと東北ブロック以外では得票率が3位になった。 2014年の総選挙では新党大地から移籍した鈴木貴子を北海道ブロックで、区割りが大幅に変更になった佐賀2区から立候補した大串博志を九州ブロックでそれぞれ名簿1位に優遇した。また、静岡5区の細野豪志は唯一重複立候補せずに小選挙区のみで立候補した(当選)。 現職の民主党代表で重複立候補した者は1996年の東京18区の菅直人(当時は共同代表[注 8])、2000年の北海道9区の鳩山由紀夫、2012年の千葉4区の野田佳彦、2014年の東京1区の海江田万里の4人である。菅は1996年・2000年・2003年・2009年・2012年・2014年で重複立候補し、2005年のみ単独立候補をして、2012年と2014年を除き小選挙区当選をしている(2012年・2014年共に比例復活)。鳩山は1996年・2000年・2003年・2005年は重複立候補、2009年は単独立候補をして、全て小選挙区選をしている。野田は前出の新進党現職として迎えた1996年で小選挙区単独立候補で落選、民主党入党以後は重複立候補をして2000年・2003年・2005年・2009年・2012年・2014年と6回連続小選挙区勝利している。海江田は1996年から2014年まで全ての衆院選で重複立候補をしており、2000年・2003年・2009年に小選挙区で当選、1996年・2012年に復活当選しているが、2005年及び現役の党首として立候補した2014年は比例復活もできずに落選した。
公明党
民主党