角川は脚本の鎌田敏夫に「『南総里見八犬伝』をベースに『レイダース』があり『スター・ウォーズ』があり『フラッシュ・ゴードン』や『アメリカン・グラフィティ』があってほしい」と希望を出し[8][10]、それらの映画を鎌田に観てもらった[9]。角川は脚本の段階でヒロインは薬師丸のイメージしかなく[9]、構造的には、静姫はレイア姫で、親兵衛はルーク[9]。それを汲み入れた脚本第一稿は『魔界転生』と『伊賀忍法帖』を合わせたような話で[8]、脚本第二稿から加わった深作がそれらのモチーフを全て削除し『魔界転生』に近いどろどろした世界に変えた[9][10]。角川は薬師丸と真田のアイドル映画、その時代の最高の人気を二分するアイドルが演じてこそ『里見八犬伝』という基本的な考えをもっていたためこれを拒絶[9]、第三稿が作られたがさほど変わらず。角川は一旦映画を中止すると告げ、深作を外した。「あんたが入ると駄目だ。退いてくれ」と告げた角川に、深作は「角川さん、僕を信用しないんだ?」と食い下がったが、「信用なんかするわけないじゃないか」と角川は取り合わず、第五稿以降は、鎌田一人で作られ[17]、これを角川が気に入り[8]、ゴーサインを出した[10]。脚本クレジットは鎌田と深作の共同になっている。
ちなみに『スター・ウォーズ』へのオマージュとして、親兵衛(ルーク)が静姫(レイア姫)を抱えてワイヤーで移動するシーンがある。 1983年2月1日の『探偵物語』製作発表会見の日に[18]、角川が薬師丸に「『里見八犬伝』をやりたくなけば延期していいからお前が判断しろ」と言ったら、薬師丸が「今年中に十代でやりたい」というので、会見後に薬師丸を深作に会わせた[9]。脚本は薬師丸がヒロインイメージであったが、そのころ原田知世の人気が上がっており、薬師丸が断ったら原田の主役でやるつもりだった[9]。 当初、深作は真田以外にJACを起用することは考えていなかったが、脚本を忠実に再現できるアクションをこなせる俳優を考えたときにやはり千葉のところでやるしかないとの結論に至り、最終的に八犬士の半数がJACメンバーとなった[19]。 撮影の仙元誠三は、1983年2月から準備に入って、その年12月まで撮影したと話している[20]。北野武監督との名コンビでも知られる柳島克己キャメラマンも、本作品でノンクレジットながら、仙元に「ひと月でいいから手伝ってくれ」と言われ京都に行き、撮影は延々終わらず[21]、一度別の冬ものの映画を撮りに東京に戻り、再び京都に行き、本作品を公開直前の12月まで撮影したと話している[21]。当時小学5年生だった深作健太が撮影を見学していたという[21]。また1992年の『いつかギラギラする日』もノンクレジットながら撮影応援をして[21]、2000年の『バトル・ロワイアル』でようやく深作から「ルーズな画がいい」と褒められオファーを受け、同作の撮影を担当した[21]。 主たる撮影は1983年7月から9月までの3ヶ月間[22][23]。
キャスティング
撮影