酒匂_(軽巡洋艦)
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^ a b 梅野和夫#阿賀野型の航空兵装
^ a b #達昭和19年4月(1)p.8『達第百二號 佐世保海軍工廠ニ於テ建造中ノ軍艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十九年四月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎 軍艦 酒匂(サカハ)』
^ #聯合艦隊軍艦銘銘伝p.131。
^ a b c #終戦と帝国艦艇79頁
^ #S1711佐鎮日誌(1)p.23『十一月二十一日第三百七十六號艦、第三百七十七號艦及第一三五號艦起工』
^ #内令昭和19年4月(1)p.1『内令第五百二十二号 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年四月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦、巡洋艦二等阿賀野型ノ項中「矢矧」ノ下ニ「、酒匂」ヲ加フ』
^ #内令昭和19年4月(1)p.13『内令第五百三十三号 軍艦 酒匂 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル 昭和十九年四月九日 海軍大臣嶋田繁太郎』
^ 「昭和19年8月28日(月)海軍公報第4783号 p.34」 アジア歴史資料センター Ref.C12070496300 『○事務開始(略)酒匂艤装員事務所ヲ八月二十一日佐世保海軍工廠内ニ設置シ事務ヲ開始セリ』
^ 「昭和19年11月22日(水)海軍公報第4859号 p.13」 アジア歴史資料センター Ref.C12070497900 『○事務所撤去 軍艦酒匂艤装員事務所ハ十一月十日之ヲ撤去セリ|第六十七號海防艦艤装員事務所ハ十一月十二日之ヲ撤去セリ|第二百二十六號驅潜艇事務所ハ十一月十四日之ヲ撤去セリ|第四十九號海防艦艤装員事務所ハ十一月十六日之ヲ撤去セリ』
^ a b c 「昭和19年11月14日(発令11月10日付)海軍辞令公報(甲)第1643号 p.49」 アジア歴史資料センター Ref.C13072101900 
^ #S1906十一水戦(4)pp.60-61『酒匂(宛略)機密第三〇一二〇〇番電 一.本日一〇〇〇引渡ヲ受ク/二.五日佐世保出撃内海西部ニ於テ羅針儀公試測定儀試験轉輪羅針儀加速度誤差試験ノ上八日呉回航ノ予定』
^ #S1906十一水戦(4)p.61『総長|戰編着艦|十一月三十日 一.酒匂ヲGFニ附属/二.椿ヲ11sdニ編入』
^ #S1906十一水戦(4)p.47『(四)麾下艦艦船部隊ノ行動』
^ #軽巡二十五隻245頁
^ #S1906十一水戦(5)p.5『四.麾下艦船竝ニ訓練部隊一時加入艦船ノ行動』
^ #S1906十一水戦(5)pp.22-23『一一(天候略)一三三〇将旗ヲ酒匂ニ移揚ス』
^ a b c d 軽巡洋艦『阿賀野・能代・矢矧・酒匂』行動年表、105ページ
^ #S1906十一水戦(6)p.3『(イ)第一訓練部隊トシテ内海西部ニ在リテ新造駆逐艦及大修理艦艇ノ急速戰力練成ニ任ズル外一部艦艇海上護衛作戰ニ協力』
^ #S1906十一水戦(5)pp.53-54『一四(天候略)響、第一訓練部隊編入』-『二五(天候略)響7dgニ編入』
^ #内令昭和20年1月(3)p.46『内令第六七號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和二十年一月二十五日|第七驅逐隊ノ項中「潮、」ノ下ニ「響、」ヲ加フ』
^ a b #S1906十一水戦(7)p.38
^ #S1906十一水戦(7)p.53『(司令官)11S(宛略)機密第二七一三三番電 酒匂二十六日〇九〇〇北九州水道通過時觸底右舷外軸推進器翼先端部湾曲セリ戰斗航海ニ差支ヘナシ』
^ #S1906十一水戦(7)p.38
^ a b 舞鶴空襲
^ a b #S1906十一水戦(7)p.54
^ #S1906十一水戦(8)p.5
^ #S1906十一水戦(8)p.34『一五|将旗ヲ徹ス』
^ 「昭和20年7月25日(発令7月15日付)海軍辞令公報(甲)第1867号 p.9」 アジア歴史資料センター Ref.C13072106400 
^ 「昭和20年7月25日(水)海軍公報第5079号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C12070505800 『横須賀鎮守府豫備艦 軍艦 酒匂 右特殊警備艦ト定ム』
^ #舞廠造機部の昭和史369頁『麾下の艦艇とともに舞鶴へきて、平から佐波賀へ続く海岸の入り組んだところにひっそりと係留された。』
^ 宮津空襲「酒匂でも対空砲火を船から取り外し、陸上部に対空砲火を移設して、船をカモフラージュし港湾の防衛 に当たっていました。私の恩師が配属されていた25mm.三連装高角機銃も舞鶴空襲時には、陸上部に移設されていました。」
^ #舞廠造機部の昭和史370頁『「酒匂」はやがてすべての砲座を下ろし、海岸に固定して網をかぶせ、木の枝葉などで擬装した。』『「酒匂」と同じように甲板上にカモフラージュの樹木を植えた。』
^ a b #軽巡二十五隻246頁
^ #日本巡洋艦物語333頁『舞鶴港外の島かげに疎開したが、幸運にもまったく無キズで終戦を迎えた。』
^ #写真太平洋戦争10巻135頁『最終的には舞鶴港外の島影に偽装繋留され、無傷で終戦を迎えた。』
^ #艦長たちの軍艦史176頁『6月25日、七尾湾に待避して終戦をむかえた。』
^ #S1906十一水戦(8) p5,p27
^硝煙の海『その際、佐波賀の岸に船形の枯れ木の小山を目撃し、双眼鏡で確認したら軍艦のようであった。われわれは命からがら帰還したのに、敵と対戦せず隠れていることに不信を抱かざる得なかった。数日後、該軍艦が舞鶴に入港してきたので「酒匂」と確認。
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