酒井鎬次
[Wikipedia|▼Menu]
昭和18年(1943年)11月に召集を受けて参謀本部付となり、戦争指導についての歴史的検討に携わるが、近衛文麿を中心とする東條内閣倒閣工作への関与が問題視され、同19年(1944年)7月、召集解除となった。彼自身は皇道派ではなかったが、柳川平助と親しく、東條に代わり皇道派将官の起用を画策する近衛に陸軍内部の情報を提供し、その相談相手となっていた。

戦争理論、戦史研究の権威として知られ、立命館大学で国防学を講義している。彼の翻訳した「戦ふクレマンソー内閣」は第一次大戦でのフランス宰相クレマンソーの果断な戦争指導を描いたものだが、戦局を傾けた東條内閣へのアンチテーゼとして要路に配布されていた。
著書

『現代戦争論(政治全書1)
』 日本評論社、1942年。

『現代用兵論(政治全書2)』 日本評論社、1943年。

『戦争類型史論』 改造社、1943年。

『戦争指導の実際』 改造社、1943年。

『戦ふクレマンソー内閣』翻訳、モルダック著、大阪新聞社、1944年。

『連合軍反撃せよ―クレマンソー勝利への記録』翻訳、モルダック著、芙蓉書房、1974年(前著の再刻版)。

参考文献

秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。

福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。

外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。

典拠管理データベース
全般

VIAF

国立図書館

日本


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:9873 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef