酒井若菜
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2016年2月25日発売の対談・エッセイ本『酒井若菜と8人の男たち』の中で、膠原病の闘病中であることを明らかにした[13]

2024年4月、所属するA-teamが芸能関係業務の休業を発表[14]したことを受け、同事務所を退所したことを自身のInstagramで報告した[15]
執筆活動

2008年6月20日に小説『こぼれる』を発売し作家としてデビュー、22日に握手会が開催された。これはブログ本を出版する話が転じて執筆を始めたものである。小説『こぼれる』の装画は実姉が描いている[16]

2012年5月12日にエッセイ『心がおぼつかない夜に』を発売した。公式ブログで「眠れない夜、悲しい夜、寂しい夜、不安な夜。とにかく夜に読む専用の本。」と綴っている[17]。帯文は水道橋博士が人生のスローガンのお裾分けとして書いている。

2013年1月25日より、BOOKSTAND(ブックスタンド)配信の有料メールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』にて、コラム「酒井若菜の『くよくよしたって始まる!』」を[注 5]連載。脱退後数年経ち、2018年11月、水道橋が療養に入った際は「リニューアルするまで2月までの期間限定ではありますが」と、期間限定で編集長代理を務めた[18]

2016年2月25日には芸能界で親交のある男性8人[注 6]との対談をまとめたエッセイ集『酒井若菜と8人の男たち』を発売した[13]
人物

3歳年上の姉がいる
[1]

2016年に文章を書くことについて「自分の中で欠落している部分を補う絆創膏のようなもの。書くことによってバランスを取っているのだと思う」と語り、「執筆活動との相乗効果で女優業が伸びていってくれれば」と、女優業との両立を目指す姿勢を述べている[19]

2017年の『朝日新聞』にて「(自分の人生の大きなテーマの一つとして、)『美しく生きたい』と、常々思っています」と述べた上で、「女優である自分が自分の私生活をさらすこと、考えを書き記すことという行為を貫くことで初めて『美しい』が生まれるのだと信じ、邁進したいと思います。そうすれば、背筋が一本ピンと通った自分の『歴史』を、私はこれからもずっと面白がって生きていけるような気がするのです」と述べている[20]

女優業と文筆業を並行して活動を続けることには不安もあったというが、知人から「文章を演じる、という概念もある」「女優だからこそ、波瀾万丈な私生活を晒してゆけばいい」とアドバイスを受け、(活動に対する)迷いを絶つことができたという[20]

読書が趣味で、“世の中で一番好きな本”として、太田光の『パラレルな世紀への跳躍』を挙げている。司馬遼太郎の書籍により歴史(特に江戸時代、幕末)への興味を強く持つようになったという(後述を併せて参照)。司馬の書籍の中では板垣退助が好きで、物語の中での脇役としての地位が自分と重なるところがあると発言している。結婚相手としては安定感のある千葉重太郎を挙げている。

2017年の記事にて、好きな書物の一つとして、橘曙覧の歌集『独楽吟』(どくらくぎん)を挙げている[21]。この書物に興味を持ったきっかけとして、正岡子規が「源実朝以後、歌人の名に値するものは橘曙覧ただ一人」と評したことを挙げているが、現代語訳されたものを読んでみて、「なんとほのぼのとした歌集なんだ!」と衝撃を受けて、そして「こんなにもほのぼのとしたものを称賛する感性って素敵」と、正岡も好きになったという[21]

本人曰く、小説でも歴史上の人物でも、「私が興味を惹かれるのは、いつだって『寄り添う』人間の側」であると述べている。その例として、ゴッホを想うテオリンカーンを想うメアリーなどを挙げている[22]

2009年11月23日の公式ブログにて、売れるきっかけとなり、長年にわたり自身を評価し続けてきたテリー伊藤への感謝[23]を記載した。

2013年1月1日の公式ブログにて、「文章に起こすという行為そのものが圧倒的な敬意」[24]と、水道橋博士への感謝を小娘物語(前編・後編)で綴っている。

2014年4月27日の公式ブログにて、舞台復帰作となった「イケナイコトカイ?」と、出演者および鈴木おさむへの感謝を、くよくよしたって始まる!(前編・後編)で記載している。自身はテリー伊藤、水道橋博士、鈴木おさむを描いた三部作[25]と綴っている。

2015年5月11日の公式ブログにて、「TwitterInstagramをやめました」と発表。更新終了の理由を「私にはポップすぎた」として両アカウントを閉鎖、発信の場をメルマガとブログに整理するとしている[26][27]。その後2018年9月8日よりTwitterのみを再開した[28]

文才にも長けており、連載中の『水道橋博士のメルマ旬報』にて、水道橋博士が書いた「博士による著者紹介」[29]の中で「大女優のキャリアを刻みながらも文章家であることを知ったのはつい最近の事。テリー伊藤さんを描いたBLOGの一文に心打たれた」と、高い評価を得ている。

これまでに数回、闘病生活を余儀なくされている。19歳の時に膠原病を発病、このときは生活に大きな支障はなかったが、(先述のように)2005年に体調を崩して、約1年間の休業を余儀なくされた。この時のことを本人は後年、「夢の描きかた、希望の抱え方がさっぱりわからなくなり(、大きな挫折感を味わった)」と述べている[22]。この闘病生活の過程で、友人の薦めで司馬遼太郎竜馬がゆく』を読み、これがきっかけで、歴史に興味を持ち、また文筆業に取り組むようになったという[22]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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