酉の市
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花園神社(東京都新宿区) ※合祀された大鳥神社の祭りであり、関東三大酉の市のひとつ

大國魂神社(東京都府中市) ※境内末社の大鷲神社の祭りであり、関東三大酉の市のひとつ

練馬大鳥神社(東京都練馬区) ※毎年11月の酉の日に酉の市をとり行い、数万人の人が訪れ賑わいを見せる。

鷲宮神社埼玉県久喜市) ※大酉祭の元祖とされ、小規模ながら熊手市も行われる

熊野神社(群馬県前橋市) ※前橋の四大まつりのひとつ、前橋大酉祭が行われる

金刀比羅大鷲神社神奈川県横浜市) ※酉の市は横浜市の無形民俗文化財

なお大鳥信仰の総本社とされる大鳥大社(大阪府堺市西区)では、11月酉の日に「酉の日祭」[5]の祭礼はあるものの、関東地方のような熊手市や夜の屋台は無い。
由来

酉の市の由来は、神道仏教の双方から、それぞれ異なる解説がされる。

神道の解説では、大酉祭の日に立った市を、酉の市の起源とする。大鳥神社(鷲神社)の祭神である日本武尊が、東征の戦勝祈願を鷲宮神社で行い、祝勝を花畑の大鷲神社の地で行った。これにちなみ、日本武尊が亡くなった日とされる11月の酉の日(鷲宮神社では12月の初酉の日)には大酉祭が行われる。また、浅草・鷲神社の社伝では、日本武尊が鷲神社に戦勝のお礼参りをしたのが11月の酉の日であり、その際、社前の松に武具の熊手を立て掛けたことから、大酉祭を行い、熊手を縁起物とするとしている。

仏教(浅草酉の寺・長國寺)の解説では、鷲妙見大菩薩の開帳日に立った市を酉の市の起源とする。1265年文永2年)11月の酉の日、日蓮宗の宗祖・日蓮が、上総国鷲巣(現・千葉県茂原市)の小早川家(現・大本山鷲山寺)に滞在の折、国家平穏を祈ったところ、明星(金星)が明るく輝きだし、鷲妙見大菩薩が鷲の背に乗り現れ出た。これにちなみ、浅草の長國寺では、創建以来、11月の酉の日に鷲山寺から鷲妙見大菩薩の出開帳が行われた。その後1771年(明和8年)長國寺に鷲妙見大菩薩(鷲大明神)が勧請され、11月の酉の日に開帳されるようになった。

実際の祭りは、花又の鷲大明神の近在農民による収穫祭が発端といわれる。鷲大明神は鶏大明神とも呼ばれ当時氏子は鶏肉を食べる事を忌み、社家は鶏卵さえ食べない。近郷農民は生きた鶏を奉納し祭が終わると浅草寺観音堂前に放ったのである。このように鶏を神とも祀った社は、綾瀬川に面しているため水運による人、物の集合に好適であった。そのため酉の日に立つ市には江戸市中からの参詣者も次第に多くなり、そこでは社前で辻賭博が盛大に開帳されたが安永年間に出された禁止令により賑わいは衰微する。

かわって、酉の市の盛況ぶりは浅草の鷲大明神へと移り、最も賑わう酉の市として現在に至るのである。また浅草鷲大明神の東隣に新吉原が控えていたことも浅草酉の市が盛況を誇る大きな要因であった。時代が下るにつれ江戸の各地で酉の市が開かれるようになり、今では関東の多くの寺社で開催されるようになった。

このように酉の市とは、秋の収穫物や実用の農具が並んだ近郊農村の農業市が江戸市中へと移行するに従い、招福の吉兆を満載した飾り熊手などを市の縁起物とする都市型の祭へと変遷してきたのである。
習俗大鷲神社の酉の市。神社が熊手を頒布している。
熊手守りと縁起熊手

「酉の市」の立つ日には、おかめや招福の縁起物を飾った「縁起熊手」を売る露店が立ち並ぶ。また、市を開催する寺社からは小さな竹熊手に稲穂や札をつけた「熊手守り」が授与され、福を「掃き込む、かきこむ」との洒落にことよせ「かっこめ」と呼ばれている。元々は鷲神社周辺の農民のために縁日の境内で熊手やなどの農具を販売していたのが、次第におかめなどの縁起物がオマケとして農具につけられるようになり、それが今日の装飾熊手の由来となっている[6]

酉の市の縁起物は、江戸時代より熊手の他に「頭の芋(とうのいも)」(唐の芋)や粟でつくった「黄金餅(こがねもち)」があった。頭の芋は頭(かしら)になって出世する、芋は子芋を数多く付ける事から子宝に恵まれるとされ、黄金餅は金持ちになれるといわれた。しかし幕末頃から売られるようになった「切り山椒」が黄金餅に変わって市の縁起物となり今日にいたっている。本格的な寒さを迎えるこの時期、これを食べれば風邪を引かないといわれる[7]

縁起物の代表である熊手は、が獲物をわしづかみすることになぞらえ、その爪を模したともいわれ、福徳をかき集める、鷲づかむという意味が込められている。熊手は熊手商と買った(勝った)、まけた(負けた)と気っ風の良いやり取りを楽しんで買うものとされ、商談が成立すると威勢よく手締めが打たれる(商品額をまけさせて、その差し引いた分を店側に「ご祝儀」として渡すことを「な買い方」とする人もおり、手締めはこの「ご祝儀」を店側が受け取った場合に行われる場合が多い。つまり、この方法でいくと結局は定額を支払っているわけだが、ご祝儀については明確に決まっているわけではなく、差し引き分以上の場合もあれば、小銭程度であったりと買い手側の意思に依存している)。熊手は大小様々なものが売られており、主に売り手の思惑により年々大きくしてゆくものともされている。
三の酉

「酉の日」は、毎日に十干十二支を当てて定める日付け法で、「酉」に当たる日のこと。これは、12日おきに巡ってくる。ひと月は30日なので、日の巡り合わせにより、11月の酉の日は2回の年と3回の年がある[8]。初酉を「一の酉」、次を「二の酉」、3番目を「三の酉」と言う。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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