鄭克ソウ
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その後、鄭克?は、北京に赴き、漢軍正紅旗に組み入れられ、海澄公[1]に封じられた。康熙46年(1707年)、鄭克?は病没した。爵位を継ぐ者はいなかった。

鄭克?は、馮錫範の娘を娶り、鄭安福をもうけた。弟は鄭克挙である。鄭克?の死後,その母の黄氏は、清朝に鄭家の財産を戻すことを要求したが,受け入れられなかった。

台湾の著名な詩人である鄭愁予は、鄭克?の子孫である。
『鹿鼎記』の中の鄭克?

鄭克?はまた、金庸武侠小説である『鹿鼎記』の中にも出てくる。小説の中では、鄭克?の年齢は10歳多くされている。また、李自成陳円円の娘の阿珂と相思相愛とされている。後に、阿珂は韋小宝と結婚することになり、鄭克?とは別れた。『鹿鼎記』の中では、かなりの悪役にされている。
脚注[脚注の使い方]^ 『清史稿』では、「漢軍公」とあるが、「諸臣封爵世表」では「海澄公」としてあり、これが正しい。

参考文献

清史稿』卷二百二十四 - 列傳十一

奈良修一 『鄭成功―南海を支配した一族』山川出版社「世界史リブレット人」、2016年 ISBN 978-4634350427

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