都市計画
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第二帝政期のフランスで、セーヌ県知事オスマンが、密集したパリ市街の改造を行った(1853年 - 1870年)。幅の広い道路を造り、道路沿いの建物を統一的なデザインに誘導し、ルーヴル宮殿新館、オペラ座など記念的な建造物を建設した。

オスマンのパリ改造はバロック都市計画の流れを汲むもので、各国にも大きな影響を与えた(ベルリン改造計画(1862年)、日本の官庁集中計画など)。実際の改造過程ではロスチャイルドなどが水道や住宅意匠を手がけていた。
ウィーンの都市改造

19世紀半ばのウィーンでは、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の構想による大規模な都市改造が行われた。市を囲む城壁を撤去した跡が環状道路(リングシュトラーセ)となり、沿道には帝国議会、市庁舎、劇場、美術館、博物館などの壮麗な建物が並んだ。1873年には万国博覧会が開催された。
植民地の都市

カサブランカ(モロッコ)の新市街地はヨーロッパが植民地に築いたバロック都市の一つである。
近代都市計画の発展

産業革命以降、農村から都市部への人口流動が加速し、都市の環境が悪化した。高い人口密度、住居と工場の混在、スラムの拡大など、様々な問題が発生した。近代都市の形成、すなわち近代的な都市計画制度はこうした事態を背景に生まれてきた。産業革命が最も早く起こったイギリスでは、1845年エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』に悲惨な生活ぶりが報告されている。1848年に公衆衛生法が制定され、この法律の発展に従い、建築や都市施設に対する基準が定められるようになった。

良好な居住環境を実現するため、エベネザー・ハワード田園都市構想を提唱した。また、近代建築運動の中では都市への関心も高く、ル・コルビュジエによる高層建築主体の「輝く都市」の提案などがあった。一方、自動車交通の増大が大きな課題になり、クラレンス・ペリーは、小学校を中心としたコミュニティを設計し、自動車交通から保護された日常生活環境を実現する近隣住区理論を提案した。20世紀中頃には、これらの機能主義的・合理主義的な都市や理想コミュニティのイメージをベースに、政府主導でニュータウン郊外住宅団地として実現する事業が各国の都市計画を主導していった。20世紀になると各国で政府によるニュータウン建設が行われるようになった背景には、19世紀半ばから良質な住宅の供給は急務となっており、住宅関連の法律整備が進んでいった。現在の都市計画制度はこの時期にできた住宅供給関連の法律や概念に由来するともいえる。
都市計画理論

これまで、望ましい都市の形態についての諸説や、望ましい都市形態の実現のための諸技術は様々に提唱されて来たが、普遍的・決定的な定説という意味での「都市計画理論」は未だ存在していない。歴史的に見ると、19世紀後半から20世紀前半にはユートピア的な都市論(田園都市輝く都市近隣住区など)が提案され、ニュータウン事業などに採り入れられた。

しかし、理想的な都市を論ずる「都市論」に基づいた都市計画は1960年代に入り疑問視され、計画手法を論ずる都市計画理論が議論されるようになる。

1960年代には、クリストファー・アレグザンダーが、数学の集合論などをもちいて、それまでの機能主義的な、あるいは近隣住区論的な都市計画理論を痛烈に批判している。アレグザンダーは都市空間の認識と集団的設計の道具としてパタン・ランゲージという手法を提案し実践した。また、機能主義的な都市計画や都市再開発事業はジェイン・ジェイコブズによっても批判された。1970年代以降、欧米では、都市計画の課題が、郊外新市街地の開発による住宅供給から、インナーシティ(都市の内部市街地)の老朽化・空洞化・スラム化、歴史的伝統的都市空間の保全再生に移ったこともあり、今日では機能主義的な都市空間の開発や全面再開発を否定し、伝統的な都市空間・都市社会の保全・改善・再生を重視する都市計画論が主流となっている。ケヴィン・リンチは、住民による集合的意識地図から人々がどのように都市を把握しているか理解するべきであると提唱した。リンチの教え子は、アドボカシープランニングの考えを取り入れながら、その後住民とともに都市を考えるデザインゲームなどの手法を開発し、今日まで実践を続けている。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}近年[いつ?]の都市計画理論は、再び理想的な都市形態を論ずることが多くなってきた。これは、持続可能な開発を目指す開発論や中心市街地活性化などに端を発している。これを実現するための主導的都市イメージとして、イギリスやアメリカのアーバンビレッジ、ヨーロッパのコンパクトシティ、アメリカのニューアーバニズムなどの動きが起こっている。三者は相違点もあるが、自動車依存型の低密度郊外住宅地開発に対するアンチテーゼとして、公共交通や自転車により自動車に頼らず生活できる比較的高密度な都市形態を提案している点などで共通している。
都市計画上の課題
都市交通JR九州 新八代駅

人の集まるところには交通が発生する。開発によって人口密度が上がると交通量が増え、既存の交通施設等ではまかないきれなくなることがある。このため、交通計画と連動しつつ、土地利用を適正に計画する必要が発生する。例えば、商業地区と高層住居地区は鉄道の駅から近いところにのみ設定し、大きな道路や公園などの施設を駅から遠くに配置する。

密度の求め方として、総床面積を地域面積で割って求める方法がある。この値が 1.5以下の場合は低密度とされ、5以上は高密度とされている。5以上の場合は鉄道が適している。居住地域の交通渋滞は、鉄道などに適さない密度が5以下で、2以上の時に多く発生している。これらの地域では、バスや、最近ではLRTが有効な解決策となるが、車と道路が既に十分に行き渡っている場合は必ずしも有効ではない。道路の拡幅は、Lewis-Mogridge Positionによると、潜在的な利用者を誘発するため、渋滞の解消には有効ではないとしている。
都市景観

都市景観は、都市の視覚的な質を問うものである。


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