部首
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部首の数も非常に多く、「一」から「十」までの数字、「甲」から「癸」までの十干、「子」から「亥」までの十二支がすべて部首になっており、その中には部首字を意符とする漢字がなく部首字そのものしか属していない部首も多い。ちなみに数字・十干・十二支のうち『康熙字典』や現代の漢和辞典で部首とされているものは「一」「二」「八」「十」「乙」「己」「辛」「子」「辰」「酉」のみである。部首の配列法は意味の関連と字形の関連によっているが、数の冒頭である「一」で始まり、十二支の末尾である「亥」で終わるもので、陰陽五行の理念の影響を強く受けている。そのため、部首分類を利用して目当ての字を探し出すことは極めて困難であった。

以後、『説文解字』に倣って、部首によって漢字を分類した書物(これを字書と呼ぶ)がいくつか作られた。『玉篇』(542部首)、『類篇』(540部首)などの字書は、親字が楷書体となり、字解の内容も漢字の成り立ちでなく字義を中心としたものに変わっている。しかし、取り上げられている部首は『類篇』では『説文解字』と全く同じであり、『玉篇』でも違いはわずかである。そのため、検索については『説文解字』と同じ欠点を持っていた。

中国では、長い間、検索の利便性の点から、漢字を部首別に並べた字書の配列よりも、漢字を韻目順に並べた韻書の配列の方が多く利用されてきた。部首分類の祖である『説文解字』も、南宋の時代に部首を韻目順に並べ替えた『説文解字五音韻譜』が出るとたいへん広く使われ、一時は『説文解字』というとこの本のことを指すほどであった。『佩文韻府』(はいぶんいんぷ)や『隷辨』(れいべん)などが韻目順であるのは、検索にもっとも便利であるからである。

その後、の僧侶行均の『龍龕手鑑』(242部首)、の韓孝彦・韓道昭の『五音篇海』(444部首)など、部首の数をしぼって索引の便を図った字書が出た。特に『五音篇海』は同一部首に属する漢字の画数順配列を(部分的にではあるが)採用している。しかし、これらの字書では、まだ部首自体の配列順に画数順は採られておらず、『龍龕手鑑』では部首を四声の順に配列し、『五音篇海』では五音三十六字母の順、すなわち部首字の子音順に配列する方式が採られていた。
『字彙』による部首分類

現在の主流である、画数順に214部首を並べる形は、万暦43年(1615年)、梅膺祚によって編纂された『字彙』によって初めて行われた。『字彙』は部首の配列順及びその部首に属する漢字の配列順をすべて画数順とした画期的な字書である。それ以前の字書に多く見られた所属文字の極めて少ない部首を大胆に統合したこともあって、本書の出現によって字書による漢字の検索は以前に比べて極めて容易になった。

『字彙』による所属文字の少ない部首の統合の実例を挙げる。『説文解字』では「男部」に「男、甥、舅」の3字が属するが、『字彙』では「男部」は廃止され、「男」は「田部」に、「甥」は「生部」に、「舅」は「臼部」に移っている。「甥」も「舅」も形声文字であり「生」「臼」はその音符、「男」は意符にあたる。形声文字の部首は、その意符の部分とする、という原則よりも、所属文字わずか3字の「男部」を廃止し、結果として検索をより容易にしている。

『説文解字』では象形文字は部首になるべきものであるが、その象形文字を意符として作られた漢字が存在しない場合や極めて少数である場合には、部首を立てても検索をいたずらに困難にするだけである。そのため、『字彙』では象形文字は、「甲」「申」「由」がいずれも「田部」に属するように、字義と無関係な部首に移しているものが多い。また、『字彙』の部首の中には、字源ではなく字形によって分類することによって検索に役立つことだけを目的に立てられたものも一部含まれている。例えば「亠部」の部首字の「亠」は漢字としては本来存在せず、検索の便宜上作り出されたものであり、「冂部」「干部」「爻部」なども部首字自体は象形文字だが、部首としては意符というよりも字形分類のために立てられている。

以上のように、『説文解字』の部首が漢字を意味により分類し体系づけることを目的としているのに対し、『字彙』の部首は漢字を検索するための形態による分類の道具、という面が強い。しかし、全体的には意味によって漢字を分類するという要素も残している。
『康熙字典』による部首分類

康熙字典』の部首の配列順は『字彙』におおむね従っている。違いは2か所のみであり、1つは『字彙』が5画部首の冒頭を「玉玄瓜」の順としているのを、『康熙字典』が康熙帝の御名「玄」を5画部首の冒頭にするために「玄玉瓜」の順に改めているところと、もう1つは4画で气部と氏部の配列を入れ替えているところである。それぞれの漢字の部首の決め方は、『字彙』がどちらかというと字形に傾いているのを、『康熙字典』はやや字義優先に修正している。

なお、これらの214部の分類で、同画数の部首の配列順序には、全体を貫く原則は存在しない。しかし、2画では「人」「儿」「入」「八」部が、3画では「土」「士」部が、4画では「日」「曰」部が並んでいるように類似の部首を並べる配慮がされているほか、4画で「牙」「牛」「犬」部が並んでいるように意味の類似した部首をまとめようとしていることも窺える。
伝統的な部首分類と漢和辞典の改良

昭和の始めまで、日本の漢和辞典は、意味による部首分類である康熙字典の分類を踏襲するのが普通であったため、部首を引くのは必ずしも容易ではなかった。たとえば、「忄」(りっしんべん)の字を引くには「心」部を見なければならず、「承」の字は「手」部を見る必要があった。これらは、字の成り立ちに由来していることが多い。また、1946年(昭和21年)の当用漢字表、1949年(昭和24年)の当用漢字字体表による新字体への変更により、旧字体との乖離への対応も必要となった。
字形主義と字義主義

『康煕字典』の部首の選択は字義主義(形声文字の意符を部首に選ぶ)と字形主義の折衷的な方式であり、何を部首として引いたらよいのかわからないことが少なくない。

長沢規矩也は、字の見た目から引けるように工夫をした『新撰漢和辞典』を1937年(昭和12年)に三省堂から刊行した。これは字形主義の代表である。この方式は戦後の『三省堂漢和辞典』(1971年初版)にも引き継がれた。三省堂の部首は以下のような原理に従っているという[1]

意味を考慮せず、できるだけ偏や冠で引けるようにする

多くの漢字の上半分・左半分に共通してある形で、従来の部首にないものについて、部首を新設する

人偏(?)や立刀(?)・立心偏(?)などは独立した部首として立てる

匚部匸部土部士部などは統合する

逆になるべく字義主義を取ろうとしたのが角川『新字源』で、凡例で「検索に著しいさまたげがないかぎり、合理的な部首に移した」と言っているのは[2]、これを指す。『新字源』と『康煕字典』で部首の変更があったものを例示すると、以下のようになる。

字康煕字典新字源
修人部8画彡部7画
外夕部2画卜部3画
如女部3画口部3画
巡巛部4画?部3画
知矢部3画口部5画
舒舌部6画亅部11画
飲食部4画欠部8画

同一部首の変形の扱い

伝統的には、たとえば「心」の部には、「忘」の字など、「心」の形を保ったものの他に、「快」の字のように、で「忄」の形のもの、また「慕」の字など、で「㣺」の形のものを収める。艸部の「?」、?部の「?」、邑部の「?」(おおざと)、阜部の「?」(こざとへん)などのように、その部首に所属する漢字のほぼ全てが変形となっているものもある。

このような分類では、知識がないと部首を用いて漢字を検索できない。今日の漢和辞典では、「忄」を部首としたり、部首の索引で「忄」から「心」部に誘導するなど、何らかの工夫がされていることも多い。なお、部首索引での「忄」から「心」部への誘導は『字彙』ですでに行われている。

このような変形は幾つかあるが、「衣」部である「衤」は、「ころもへん」と呼ばれるなど、名称にも変形前の痕跡をとどめるものが多い。

歴史的には、初めて漢字を部首によって分類した『説文解字』では、親字が篆書体であったため、「心」も「忄」も同形であった。「心」と「忄」の字形の違いは、篆書体から隷書体に書体が変化した(これを「隷変」と呼ぶ)ときに生まれたものである。

楷書を使用するようになった現在でも、多くの字書では、部首が変形したものを本来の部首に所属させている。そのため、「胴」「胸」など「月(にくづき)」が付く字が、4画の「月部」でなく6画の「肉部」に属するなどの一見不自然な状態が生じている。これを回避するために、同じ字形に見えるものは分けない字書もある。逆に台湾活字フォントでは、字形のほうを変化させて部首の違いが容易に分かるようにしている。

中国では、部首としての変形後の字形を「附形部首」と呼んでいる。
新字体の扱い

現在の日本では、当用漢字常用漢字人名用漢字新字体によって大幅に字形が変わった漢字がある。それらの漢字の中には、従来の部首を全く含んでいないために検索に適さなくなったものが存在する。例えば旧字体が「萬」(艸部)であった漢字は新字体では「万」となり、「聲」(耳部)は「声」、「圓」(囗部)は「円」となった。

これらの漢字については、各漢和辞典により配置の方針が異なる。

旧字体の部首・画数の位置に新字体をそのまま配置する。(万=艸部9画、声=耳部11画、円=囗部10画)

新字体に適した部首・画数の位置に配置を変更する。(万=一部2画、声=士部4画、円=冂部2画)

2015年現在発売されている漢和辞典で言えば後者が主流であるが、『新字源』のように前者を採用しているものも存在する。また、『新選漢和辞典』のように改訂によって前者から後者に方針を変更したものもある。

新字体の部首は『康熙字典』のような統一的な基準がないため、各漢和辞典によって部首が異なることもある。例えば「巨」(旧字体は「巨」=工部)の部首は『漢字源』では二部、『漢辞海』ではh部、『新漢語林』『漢字典』では匚部、日本漢字能力検定協会では工部のままと様々である。
従来の部首を含んでいない新字体.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  は、『康熙字典』に同様の字体が表れるもの。その字体の『康熙字典』での部首は太字。新部首は*で示す。

 
旧字
(正字)従来の
部首
新字体
(俗字)新字体の
部首の例備考
0001醫164酉部医023匸部匸部を匚部と統合している辞書の場合は匚部
0002爲087爪部為086火部
0003營086火部営215*ツ部口部
0004圓031囗部円013冂部


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