郁文館中学校・高等学校
[Wikipedia|▼Menu]
1951年(昭和26年)1月 - 学校教育法改正により、新制の中学校・高等学校へ改組。

1956年(昭和31年)11月 - 南館落成。

1958年(昭和33年)11月 - 東館落成。

1964年(昭和39年)11月 - 奈良原山荘落成。

1980年(昭和55年)7月 - 第1回海外研修実施(カリフォルニア大学バークレー校)。

1992年(平成4年)10月22日 - 奈良原研修センター完成、1995年までホテルとしても使われた[3]

2006年(平成18年)4月 - 法人名が「郁文館夢学園」となる。郁文館国際高等学校が郁文館グローバル高等学校と改称。生徒が運営する校内放送機関として「IBS」が創設される。

2008年(平成20年)9月 - 新校舎で授業開始(2学期開始)

2010年(平成22年)4月 - 新校舎完成。共学校となる。

交通

東大前駅徒歩5分[4]

根津駅千駄木駅白山駅徒歩10分

文化祭

郁秋祭と呼称。主に9月下旬に開催。

部活動のひとつであるTEAM DRAW DREAMS、通称TEAM DD(チームディーディー)によって企画・運営・撮影・放映されている。

毎年、郁文通りと呼ばれる校門から続く道には、TEAM DDによって作られた長いカーペットと、郁文生の中で最も夢に向かって努力した者に贈られる賞 “Most Valuable Dreamer”(略してMVD)を受賞した歴代生徒の似顔絵によって出迎えられる。

地下体育館では、中学校音楽祭、STEP KING BATTLE(ダンスバトル)、ガチ☆スター天国(バンドバトル)、各部活動パフォーマンス(書道部、ダンス部、チアリーディング部)が行われる。

姉妹校

郁文館グローバル高等学校 - 同一敷地内。

バングラデシュに、姉妹校ナラヤンクル ドリーム モデル スクール アンド カレッジを創立
共学化について

創立より120年間男子校であったが、創立121年目となる2010年4月より共学化。共学化に伴い、制服も新しいデザインのものに変更された。いわゆる「男女別学」ではなく、男子、女子が同じ教室で学ぶ共学校である。
指導方針

郁文館は問題を起こした生徒に対して、その度合い、回数に応じて、1 - 200枚の反省文を書かせることを要求している。度合い、回数にもよるが、反省文を書き終えるまでは授業に出席することができない指導方針を取っている。

[5]
著名な出身者

阿以田治修洋画家

石原純(物理学者)

今西龍(東洋史学者)

潮惠之助内務次官内務大臣文部大臣

大久保雅史プロボクサー、第38代東洋太平洋フライ級王者。日比谷高校定時制へ転校)

押川清(明治時代の早大野球部選手、野球殿堂 / 郁文館時代は早大野球部初代主将となる大橋武太郎捕手とバッテリーを組んでいた。押川自身は同大学3代主将。)

河合栄治郎東大自由主義知識人府立三中へ転校)

河端伸一郎インタースペース創業者・社長)

栗田貫一お笑いタレント

Keita★No.1AV監督SODクリエイト所属)

柴田常恵考古学者

関口メンディー(日本のダンサーGENERATIONSEXILEのメンバー)

杉浦茂漫画家

副島千八農林大臣商工省商務局長。佐賀中学から転校)

土山剛弘日本野球機構審判員)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:31 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef