遷都
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アメリカ合衆国における、フィラデルフィアから計画都市ワシントンD.C.への遷都。ブラジル(ブラジル連邦共和国)における、リオデジャネイロから計画都市ブラジリアへの遷都。

諸事情によって都の機能が低下したことによる遷都もある。
実例 :日本における、長岡京から平安京への遷都(cf. #怨霊に潰された都)。

前政権の業績を、廃都という形で強く否定する、あるいは、歴史から抹消しようと図る。実例 :アメンホテプ4世没後のエジプト新王国における、アケトアテン(アマルナ)の廃都とメン・ネフェル(メンフィス)への遷都。董卓没後の後漢における、長安から洛陽への還都

戦局の変化が著しい場合や、亡命政権内戦の敗北を認めようとしない場合、臨時首都あるいは軍都のような体裁をとり、正式な首都移転を行わない場合がある。実例 :中華民国(現在の台湾)における、臨時首都である台北と、現在も正式な首都とされる南京

複都制の採用や廃止に伴う部分的首都機能移転。実例 :1153年セルジューク朝における複都制の廃止と、それに伴うハマダーンへの首都機能の集約。

還都の一覧
本節における記載上の規則
※各国の記載位置は建国年を基準にしている
[注釈 2]。ただし例外として、日本記紀に著された神話的な紀元前660年ではなく、実在が確かめられている雄略天皇の即位年(456年)とする。※ローマ帝国のように、国によっては前身となった国家の首都も記載するが、その場合は、隅付き括弧【 】と矢印 → 、および、直前もしくは直後の1角空けによって明示する。※現存する国家は現在使われている国旗を表示する。※20世紀以降に行われた遷都や首都機能移転は、移転先の都市名を太字で強調する。※時期を示す表現として「(人物名)即位期」などとあるが、これは「その人物の即位時、もしくは、さほど間を空けないその後のいつか」という含意がある。※首都は常に途切れなく存在するわけではなく、いったん滅亡した国家や首都を失った国家が数カ月後・数年後に復興するなど、首都の存在が中断している場合もある(実例:5年間滅亡状態にあった漢王朝。年が変わるまで滅亡していた晋王朝。翌年の6月まで滅亡状態にあった宋王朝)。つまり、「A市(1000-1100年) → B市(1101-1200年)」などというケースもあるので、遷都された時期に途切れがなくても「A市(1000-1100年) → B市( -1200年)」などと省略はせず、「A市(1000-1100年) → B市(1100-1200年)」と表記している。※同等の首都が同時に複数存在する時代がある場合、その状態にあった期間を「A市・B市両都(1000?1100年)」という形で表す(実例:セルジューク朝ポーランド・リトアニア共和国)。

エジプト新王国 :時期不詳ながら、メン・ネフェル(メンフィス)からネウト(テーベ)へ還都。

アッシリア紀元前1365年中アッシリア王国初代国王アッシュール・ウバリト1世シュバト・エンリル(現・テル・レイラン)からアッシュールへ還都する。

漢王朝22年10月、を倒した更始帝による長安から洛陽への還都。

24年2月、更始帝による洛陽から長安への還都。25年6月、争覇戦を勝ち抜いた光武帝による長安から洛陽への還都。

189年もしくは190年董卓による洛陽から長安への還都。


孫呉王朝265年建業から武昌へ還都。

266年には武昌から建業へ還都。


日本#5世紀から):斉明天皇元年(655年)冬、難波京難波長柄豊碕宮)から飛鳥川原宮)へ遷都。

斉明天皇2年(656年)、飛鳥川原宮から岡本宮(後飛鳥岡本宮)へ遷都。

斉明天皇7年(661年)、後飛鳥岡本宮)から朝倉橘広庭宮へ遷都。

天智天皇6年(667年)、朝倉橘広庭宮から近江大津宮へ遷都。

天武天皇元年(672年)、近江宮から飛鳥浄御原宮へ遷都。

持統天皇8年(694年)、飛鳥浄御原宮から藤原宮へ遷都。

和銅3年(710年)、藤原京から平城京へ遷都。

天平12年(740年)、平城京から恭仁京へ遷都。
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