意志の力や祈りで運(幸運・不運)を変更できるとする主張が多い。歴史上数多くの実験が繰り返されており、またアメリカなどのカジノでは常に情報を集計している。意志の力や祈りなどで運を変更できれば良いとする気持ちは多くの人間が持っている感情であるが、そのような事が可能であるとする証拠は一切ない。また、事前に運を知ることができるとする主張も同様である。小説や漫画などの世界では、このようなことが可能であることを前提とした物語が多い。
人の人生は生まれたときから、運に支配されていると言われており生年月日、出生地、性別、血液型、容姿などは運により決定づけられるとする話が多いが、このような話には曖昧さがつきまとう。決定論的に人間の一生の運勢が出生時に決まっているのか、それとも生まれた時に大体の運勢は決まっていて細部で運勢が上下するのか、また運勢が決定されるメカニズムの問題等、多数の問題点がある。
運の流れ「ギャンブラーの誤謬」も参照
運には「流れ」があるとする主張がある。つまり、運が良くなると良い傾向が続き、運が悪くなると悪い傾向が続くとする主張である。麻雀などのギャンブルで多用される考え方である。だが、これは錯覚の一種であるとする主張もある。人間はランダムな現象からも一定の法則を錯覚により見いだしてしまう。人間の主観ではなく、冷徹な統計学処理においてはカジノでの統計でも運の流れのようなものは見いだされていない。
この運の流れを事前に知ることができるとする主張もあり、人々を惹きつけるが、このような行為が可能であるとする確証は一切無い。
ここで良く誤解されるのは運の偏りである。完全にランダムな現象でも、そこに一定の傾向を見いだすことができるのである。たとえば、1枚のコインを投げて地面に落とし、表か表かどちらが出るかを見る行為でも、双方の面が出る確率がそれぞれ0.5であっても裏、表、裏、表…
などのように表裏が均等に現れることは逆に少なく、どちらか一方に偏りが起きる。実際には裏、表、表、表、裏、裏…
などのように現れることがほとんどである。人間はこのランダムな現象の「ゆらぎ」に規則性を見いだしてしまうのである。実際にプログラマに乱数用のプログラムとして使用されているメルセンヌツイスターでプログラムを作成し、上記のコイン投げをシミュレートした例を提示してみると次のようになる。表、表、裏、裏、裏、裏、裏、表、裏、表、表、裏、表、表、表、表、裏、…
多くの人にとって上の結果は「異様に表か裏に偏っている・分布が固まっている部分がある」と感じられるのではないだろうか。実はこれは錯覚の一種であり、クラスター錯覚という。クラスター錯覚から理屈を組み立ててしまうことをテキサスの射撃手の誤謬と呼ぶ。ギャンブルなどで負けがこみ、サンクコストが発生しているさいにはこの種の誤謬に陥りやすい。 ジンクスやまじないには何らかの手段で、運あるいは運の流れを自分に有利な方向に変更できるとする行為がある。ジンクスやまじないの一部には科学的根拠があり有効性が確認されているものもあるが、運に関する事柄の多くは上記のような間違いに起因するものが多い。
ジンクス・まじない
その他
運に関連したことわざとして、「運に兵法(優れた戦術・策戦も強運者には勝らない)」がある(鈴木棠三 広田栄太郎 編 『故事ことわざ辞典』 東京堂出版 1968年 p.123)。
運に関係したビジネスには、社会通念上正当化されるものから、悪徳商法まで様々なものがある。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 「付きがある」「付きがまわってくる」などともいう。運が悪いことは「付きがない」「付きに見放される」「付いていない」などという。
^ たとえば億万長者になるために、広く人脈を築き信頼関係を持ち信頼できない人物を遠ざけ、公衆が求めていると考える事業・サービスを展開することなど
^ たとえば億万長者になるために、毎月の所得の全額を宝くじに投資する手法など
^ 戦争や天災などで、かろうじて生き残ること、または逆にたまたま天災や事件・事故現場に居合わせて命を落とすことなど
出典^ KO字源「運」
^ 村上 2002.
参考文献
ツキの法則 「賭け方」と「勝敗」の科学、谷岡一郎、PHP研究所、ISBN 978-4-569-55763-2
村上幸史「「幸運」及び「不運」の持続性を探る」『対人社会心理学研究』第3巻、大阪大学、2003年、doi:10.18910/6638
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