運命の力
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初演の延期は歓迎されざる出来事であったが、その延期により結果的にオーケストレーションの十分な検討時間が得られたことはむしろ幸運だったかもしれない。なお問題のソプラノ・パートはカロリーヌ・ドゥヴリ・バルボ(Caroline Barbot)に差し替えられた。
初演サンクトペテルブルクでの初演時に配布された、イタリア語/ロシア語のリブレット表紙

1862年11月10日(当時のロシアで用いられていたユリウス暦では10月29日)にマリインスキー劇場で行われた初演は、必ずしも文句なしの成功とはいえないものだった。もちろんヴェルディは何回ものカーテンコールを受け、また聖スタニスラス勲章(Орденъ Св. Станислава)を授与されたりもしたのだが、これははるばるイタリアから訪問してくれた偉大なる作曲家に対する儀礼的なものであった可能性がある。サンクトペテルブルクで発行されていたフランス語紙“Journal de St Petersburg”は手放しの賛辞を寄せていた一方、ロシア語紙主要3紙はそこまで好意的ではなかった。各紙がまず不満を表明したのは、その上演時間の長さであった。またクライマックスにおける主人公ドン・アルヴァーロの反宗教的言辞に対する嫌悪感も影響していたと考えられる。

さらに第3夜目には、ロシア国民楽派の若手作曲家による上演反対のデモンストレーションが舞台上で行われる事態にまで発展した。しかしこれは『運命の力』初演がロシア楽壇に与えた衝撃が大きかったことの裏返しでもあり、例えばモデスト・ムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』(作曲年代1868年 - 1869年)に、『運命の力』の重厚なオーケストレーションの影響をみてとる分析もある。

オペラは1863年2月にはローマで『ドン・アルヴァーロ』の題でイタリア初演がなされ、また相前後して、初演のロシアからイタリアへの帰路立ち寄ったヴェルディの周到な指導の下、マドリードで原作者リバス公も観客に招いて上演された。マドリードでこの作品はより冷ややかな評で迎えられ、リバス公自身も出来栄えに関し、好意的な反応を示さなかったといわれる。不評の一因は独唱者陣にあったようで、ヴェルディ自身はその書簡で、レオノーラ役とアルヴァーロ役は合格点、あとは駄目だった、と書き記している(なおこの時、アルヴァーロのパートの一部は全音下げられている。「タンベルリックのように歌うことは誰もできないから」というのがヴェルディによる修正の理由であった)。

これら小修正を経た版によって、1865年にはニューヨーク1867年にはロンドンでの初演も行われた。
改訂作業

演奏技術上の小修正は別にしても、ヴェルディ自身も大改訂の必要性、特に主人公3人が終幕で相次いで死ぬという陰惨な結末の緩和については早くから認めていた。カトリック教会の影響の強いイタリアフランスでは、主人公が修道院長に「馬鹿野郎」と叫んで自殺する、というのはかなりの問題であり、現にイタリアでこの作品はあまり演奏されないものとなりつつあった。確認される限りでも1863年には早くも改訂の可能性についてリコルディ社と話し合っている。

ヴェルディはまずピアーヴェに相談し、また一時は原作者リバス公の意見まで求めようとしたが、リバス公は1865年に亡くなり、ピアーヴェは1867年に脳卒中の発作を起こした(彼は残り8年の生涯を半身不随状態で過ごし、ヴェルディは彼とその家族のために経済援助を行った)こともあり、またヴェルディ自身、パリ・オペラ座委嘱の次作『ドン・カルロ』に忙殺されたこともあって、作業は進捗しなかった。

1868年8月になって、お蔵入り寸前の同作の改訂を積極的に再開したのはティート・リコルディであった。彼の狙いは単に作品の改善に留まらず、改訂新版を1869年のカーニヴァル・シーズンにイタリア・オペラの総本山スカラ座で行うことで、疎遠になっていたヴェルディとスカラ座との関係改善を図る、という一石二鳥のものだった。ヴェルディの新作がスカラ座で初演されたのは20年以上も昔、1845年の『ジョヴァンナ・ダルコ』(Giovanna d'Arco )以来絶えてなかったのだった(理由は金銭的なものばかりでなく、1845年当時のスカラ座支配人メレッリ(Bartolomeo Merelli)の愛人ジュゼッピーナ・ストレッポーニをヴェルディが奪った、という感情面でのもつれも多分にあった)。

改訂に沿った台本の準備のため、病臥中のピアーヴェに替わって、リコルディ社はアントニオ・ギスランツォーニに台本の改訂を依頼する。1824年ルッカの生まれで、一時はバリトン歌手として活躍したこともあるギスランツォーニは、この頃はリコルディ社の音楽雑誌「ガゼッタ・ムジカーレ・ディ・ミラノ」の編集者であった。彼はピアーヴェと同様にヴェルディの意向に忠実な作家として仕え、やがて『アイーダ』の台本を著すことにもなる。

ヴェルディはギスランツォーニの助けを得て、クライマックスを「平安に神の御許に赴くレオノーラ、酷い運命を嘆きつつも彼女の魂の平安を祈るアルヴァーロ、その両者を見守る慈しみ深い修道院長」の美しい3重唱によってピアニッシモで終わるように書き改め、また原典版は短い前奏曲で開始される形であったが、新たに全ドラマを音楽的に俯瞰する有名な序曲を作曲している。その他、場面順序の入れ替えも見られる。

当時のイタリアで最も高名なオペラ指揮者であったアンジェロ・マリアーニの指揮、その婚約者であったドイツ出身のソプラノ、テレーザ・シュトルツ(英語版)のレオノーラ役で1869年2月27日にスカラ座で行われた改訂版初演は初めて大成功となり、以後この改訂版の形でレパートリーに定着していくこととなる。なお、この上演準備中にシュトルツとヴェルディが愛人関係となり、以後マリアーニはヴェルディと決別し、イタリアにおけるワーグナー紹介を精力的に行うに至ったのは有名な事実である。
編成
主な登場人物

カラトラーヴァ侯爵(
バリトン

ドンナ・レオノーラ(ソプラノ):侯爵の娘。 

ドン・カルロ・ディ・ヴァルガス(バリトン):侯爵の息子、レオノーラの兄。 

ドン・アルヴァーロ(テノール):騎士。レオノーラとは相思相愛の仲。スペイン人のペルー総督とインカ帝国末裔の王女との間に生まれたという複雑な出自をもつ。

プレツィオジッラ(メゾソプラノ):ジプシーの若く美しい娘。

グァルディアーノ神父(バス):修道院長。なお「グァルディアーノ」は人名でなく、Padre Guardianoで修道院長の意。

フラ・メリトーネ(バリトン):下働きの修道士。

合唱

楽器編成

フルート1(ピッコロ2持ち替え)、ピッコロ1(フルート2持ち替え)、クラリネット2、オーボエ2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チンバッソティンパニ(4個)、中太鼓大太鼓シンバルハープ2、オルガン、弦5部。バンダ:舞台裏:トランペット2、中太鼓4;舞台上:中太鼓、小太鼓2
演奏時間

約2時間50分:改訂版(各25分、50分、55分、40分)、原典版は約2時間40分(各20分、50分、60分、30分)
舞台構成

全4幕

序曲

第1幕 カラトラーヴァ侯爵の居城

第2幕 

第1場 オルナチュエロス村の宿屋

第2場 同村の山中にあるデッリ・アンジェリ修道院


第3幕 

第1場 イタリア、ローマ近郊
ヴェッレトリの野戦場

第2場 宿営地


第4幕

第1場 修道院の中庭

第2場 洞穴の前


あらすじ

時と場所:18世紀半ば。スペインセビーリャおよびオーストリア継承戦争の戦場となっているイタリア
第1幕

レオノーラとドン・アルヴァーロは相思相愛の仲であるが、アルヴァーロがインディオの血を引いていることを理由に父カラトラーヴァ侯爵は結婚に反対しており、レオノーラは家族愛と恋愛の板ばさみの悲嘆に暮れている。居城に忍び込んだアルヴァーロは駆落ちを提案、レオノーラが決心を固めたその刹那、侯爵が2人を発見する。アルヴァーロは抵抗の意思のないことを示すため所持していた短銃を捨てるが、それは暴発し侯爵に致命傷を与える。侯爵は娘を呪いつつ死に、レオノーラとアルヴァーロは過酷な運命を嘆く。
第2幕

第1幕から18か月後。
第1場

村の宿屋で人々が食事をとっている。カラトラーヴァ侯爵の息子ドン・カルロは学生に変装し仇敵を追ってこの村までやってきた。ジプシー女プレツィオジッラは男たちに「イタリアでの戦争に参加して軍功を立てろ」と説いて回っている。カルロは「自分はドン・カルロの友人で、一緒に侯爵殺しのアルヴァーロを探していた。カルロ君は新大陸まで彼を追って行った」と自分の身の上話(もちろん作り話だが)を一同に聞かせる。実はレオノーラも男性に変装して当地に宿泊していたのだが、カルロの姿を認め、その話を聞くと慌てて逃亡する。
第2場

深夜、修道院の中庭。男装したままのレオノーラがやってくる。カルロの話から、アルヴァーロは自分を捨ててアメリカへ帰ったと思い込んだ彼女は絶望の余りこの修道院を訪ねてきたのだった。彼女はドアを叩き、出てきたメリトーネ修道士にグァルディアーノ神父に会わせてくれるよう依頼する。レオノーラはグァルディアーノ神父に自分の素性を明かし、この修道院の山裾の洞穴で、世を捨てた男性修道士として余生を過ごさせて欲しい、と懇願する。神父はその願いを聞き、修道士たちを招集、以後、この悩める者の住む洞穴に近寄る者は天罰が下るであろう、と厳かに宣言、レオノーラは一同と共に神に祈りを捧げる。
第3幕

第2幕から数年後。
第1場

イタリア戦線の野戦場。アルヴァーロはレオノーラが亡くなったと思い込んでいる。彼はスペイン人と高貴なインカ人の末裔という自分の出自を悲しみ、かつてセビリアでレオノーラと過ごした楽しい日々を追憶する。そこへドン・カルロが軍陣での賭博遊びのトラブルから追われて登場、アルヴァーロはカルロの命を救ってやる。2人は互いに偽名での自己紹介をし、戦場で知り合ったのも何かの縁、今後は生死を共にしよう、と義兄弟の契りを結ぶ。戦闘が再開され、2人は前線へと急ぐ。

アルヴァーロ率いるスペイン軍は首尾よくドイツ軍を撃破したが、アルヴァーロは負傷し担架で運ばれてくる。カルロは戦友を案じ傍にいる。カルロはアルヴァーロを勇気付けようと「この軍功で貴方はカラトラーヴァ勲章を受章できるだろう」と言うが、アルヴァーロが「カラトラーヴァ」という名に過剰に反応するのを訝しく思う。死期が近いと考えたアルヴァーロは小箱と鍵をカルロに示し、「この箱には決して明かしてはならない秘密が入っている。自分が死んだら箱を開けずにそのまま燃やしてほしい」と遺言し、野戦病院へ連れて行かれる。カルロは、「カラトラーヴァ」に対する過剰反応、「絶対の秘密」という小箱などからアルヴァーロの正体をいよいよ怪しむが、義兄弟の誓いを立てた以上約束は守らねばならない、と苦しい心情を歌う。


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