専修学校においては、体育系の学科やクラブなどが置かれない限り運動施設を設けないことが多く[注 3]、運動会を開催する場合は地元の体育施設などを借りる場合が多い。ただし行事としての開催義務はないため[注 4]、学校によっては運動会自体が開催されないこともある。地域で行われる市民参加型の大運動会(2006年) 職場(会社など)や地域(市区町村)などで行われることもあるが、近年は開催を取り止めたり、あるいはその規模を縮小する流れも見られる。それは職場での運動会については企業の経営状況が良好でないこと、地域での運動会については過疎やつながりの希薄化などの影響で中止される場合もある。また、「運動競技に伴う災害の業務上外の認定について」(平12.5.8 基発366号)に運動競技会に関する解釈例規がある。 運動会の起源はヨーロッパにあるとされるが、欧米では体育およびスポーツの文化により、一方では特定種目の競技会やそれを複合させたスポーツ競技会、一方で子供による伝統的な遊戯まつりやピクニック会などへとつながって今日に至っている[3]。そのため、日本の運動会のように参加者が一定のプログラムについて順次全体としてまとまりながら競技・演技を行う形式の体育的行事は「近代日本独特の体育的行事」といわれる[3]。日本に見られる行事形式の体育的催しは日本の他に台湾、朝鮮半島など日本統治時代から盛んになり存続している。しかし、韓国においては近年、いわゆる「日帝残滓」として、運動会を廃止する動きがある。駆け足での集合や隊列を組んだ行進、点呼や声の同期、バンカラ風の応援、軍歌「歩兵の本領」の替え歌による応援など戦時下当時の名残が定着している。 海外で[16]の運動会の始まりは、19世紀の中頃でオックスフォード大学にて行われたものとされる。 運動会が日本で行われだしたのは明治時代である。当初、運動会は「競闘遊戯会」「体操会」「体育大会」などと呼ばれていた[17]。 日本で最初に行われた運動会は定説によれば1874年3月21日、東京海軍兵学寮(後の海軍兵学校)で行われた競闘遊戯会であるとされる[18][17](イギリス人英語教師フレデリック・ウィリアム・ストレンジの指導によって行われたとされ、ストレンジは後に異動先の東京大学予備門でも運動会を開催している[要出典])。ただし、1868年に幕府の横須賀製鉄所において技術者・職工らによって行われたものが最初であるとする説もある[19]。 1878年5月25日には札幌農学校で「力芸会」が開催された[20][17]。
企業運動会・地域運動会
歴史慶應義塾運動会(1905年秋期)浜松高等女学校運動会(1910年)国士舘大運動会(1940年10月)