進水式
[Wikipedia|▼Menu]
手違いや事故により主賓や現場責任者が支綱を切断するまえに船台から滑り出してしまう事もあり、ドイツ海軍のポケット戦艦「ドイッチュラント[47]、イギリス海軍の空母フォーミダブル」などの事例がある[48]。「フォーミダブル」の事故では船台の破片が見物席に飛び散り[49]、死傷者が出た[注釈 17]

現代では大型船は安全性が高いドック進水が一般的である[51][注釈 18]。日本海軍においてドック進水を最初に実施したのは、呉海軍工廠で建造された戦艦扶桑」であった[注釈 19]。ドックに注水して新造船を浮かせ、扉船 (Dock Gate) を開放し、タグボートをつかって洋上に引き出す[注釈 3]

キリスト教圏では聖職者による聖別も同時に行われることが多い。

日本における進水式では、まず命名式が行われた後、支綱切断の儀式を行う[53]明治時代日本海軍フランス人イギリス人などお雇い外国人より指導を受けており、進水式典もヨーロッパの影響を受けた[注釈 20]。支綱切断の時に使われるハンマー小刀はさみの場合もある)はその艦船ごとに新しく作られる。戦後日本においてはの斧が使われ、特に刃の左側に3本、右側に4本の溝が彫られているものがよく見られるが、これは日本独自のものである[54][55]。日本で初めて斧が使われたのは1891年(明治24年)3月24日、フランス技師ルイ=エミール・ベルタンの設計および指導下で横須賀造船所で建造された松島型海防艦橋立[注釈 21]の進水式であったが(明治天皇臨席)[57]、その後数十年は当時西洋で一般的だったのみによる支綱切断と併用された[58]

銀の斧は古くから悪魔を振り払うといわれている縁起物で、1907年(明治40年)10月24日佐世保海軍工廠における防護巡洋艦利根」の進水式で最初に用いられた。この「利根」の進水式は、大正天皇皇太子昭和天皇)や有栖川宮威仁親王東郷平八郎大将が出席するなど、盛大な儀式であった[59]。当時工廠の造船部長であった小山吉郎が、日本の軍艦の進水式なのだから西洋式の槌とのみではなく、日本古来の長柄武器である「まさかり」様の器具を支綱切断に用いるべきとして、新たな斧を発案したのがはじまりである[58]。また鑿では支綱を一度で切断できない事例もあり、刃が広い斧が普及したという理由もあった[注釈 20]。なおの斧を使用した事例もあった[18]

この時の進水斧では[58]、左側に彫られた3本の溝はアマテラス(中央)・イザナギイザナミ、右側に彫られた4本の溝は八幡神春日神豊受大神猿田彦を示すとされていた[60]。現在では、左側の3本の溝は三貴子(みはしらのうずのみこ:アマテラスツクヨミスサノオ)、右側の4本の溝は四天王を表すと考えられている[61][36]

この支綱はくす玉シャンパンなどに繋がれており、切断と連動してシャンパンなどが船体に叩きつけられる[40]。それと同時に船名を覆っていた幕が外れ、くす玉が割られ、くす玉本体とその周辺から大量の紙テープ紙吹雪風船などが舞う中、進水台を滑り(またはドックに注水し)進水となる[61][注釈 22]。くす玉には[63][注釈 6]、「新船の誕生と、その前途の多幸を祝福するもの」という意味が込められている[64]。日本海軍において進水式の方法が概ね確立したのはスループ武蔵」(横須賀造船所)で、 1886年(明治19年)3月30日の進水式には皇后陛下が出席している[65][66]。進水と共にくす玉が割れると、ハトや五色の紙が散らされた。

海上自衛隊では、命名式を行った後、続けて造船会社による進水式を行うため『命名・進水式』と称している[67]

神道式で進水式を斎行する時の一例として、まず手水修祓、降神、献饌、祝詞奏上を行ってから、神職が米や塩や酒や切麻などで船を清める。次に神職は命名書を船主に進め、船主は舳にて命名書を読む。次に玉串拝礼、撤饌、昇神を行い、神職は忌斧を船主に渡す[68]
出典
^ イギリス海軍の戦艦「ロドニー」(1925年12月17日)と戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」(1939年5月4日)はメアリー王女(プリンセス・ロイヤル)によって進水し、王女は「すてきな名付け子を二人も持てた」と喜んでいたという[2]
^ 一、十月十五日海軍省ハ去ル十九年三月發布セシ新造艦船命名式第一條ヲ次ノ如ク改正セリ[3] 第一條 新造ノ艦船進水ノ準備整フトキハ更ニ其名號ヲ確定シ左ノ如キ命名書ヲ作ル 〔 命名書 本艦(船)何年何月何月構造ヲ始メ今船體成ルヲ告ク依テ何何ト命名シ進水ス 年 月 日 〕
一、十月五日本日新造軍艦高雄號ノ命名式ヲ執行ス 皇后陛下ニハ當日午前七時三十分宮城御出アラセラレ新橋停車場ヨリ汽車ニ召シ横濱ニ箸御横濱ヨリ御乗船午前十一時半當軍港ニ御箸艦アラセラレ本所官廰前ヨリ御上陸官廰ニ御休憩アラセラル此ノ間鎭守府司令長官以下奏任官以上ハ拝謁ヲ賜ヒ鎭守府司令長官ハ新艦構造ノ明細表寫眞圖面等ヲ奉呈シ台覽ニ供ス午後零時三十分鎭守府司令長官以下命名式準備成レル旨奏上シ西郷海軍大臣中牟田鎭守府司令長官遠武造船所長御先導式場ニ臨御皇族大臣以下一同座席ニ就ク此時 皇后陛下命名書ヲ海軍大臣ニ下シ玉ヒ大臣之ヲ朗讀シ本艦ヲ高雄艦ト命名セリ茲ニ於テ造船所長ハ進水台ノ錘紐ヲ切斷シ艦體忽チ船臺ヲ滑走シテ水上ニ進行シ茲ニ式終リ 陛下ニハ午後二時三十分ヲ以テ御出發還御アラセラレタリ(高雄要目略、明治21年10月15日進水)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:71 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef