進め!電波少年
[Wikipedia|▼Menu]
土屋曰く、ビデオカメラの進化、小型化により、少人数でもそれなりの画質を提供できるようになったとのことである。
アポなしロケ
当初は「アポなしロケ」という、松本や松村、ゲストが事前許可(アポイント)を取らず多くの著名人に様々な依頼を敢行するという企画を中心に行われた。そのスリリングさから人気を博したが、たびたび「無礼だ」などと抗議の的となるお騒がせ番組でもあった。海外ロケでは、ホテルを予約せずに安い金額でホテル探しをするのが定番であった。アポなし企画は政治家をネタにすることも多かったため、松本と松村の2人は永田町周辺ではブラックリストに載っていたとされている。南アフリカ共和国でのロケでは実際に当時の大統領ネルソン・マンデラと対面し、わざわざ日本から来た松村に驚くどころか感心していた。他にもアポなしでマフィアのボスに会いに行ったり、暴力団事務所に行ったり、夜のスラム街に行ったりと、生命に関わる危険なロケも多かったが(松村は拳銃で脅されたことすらある)、それが視聴者の興味をそそり高視聴率を記録した。またアポ無し取材で原水爆禁止日本協議会(原水協)に「核廃絶推進番組」のお墨付きをもらったこともある。一方で、本番組が世間で徐々に有名になると、次第にアポなしロケで突撃しても相手から歓迎されるようになり、土屋はこの企画の限界を感じた[4]。ほどなくして「アポなしロケ」に変わる新企画を考えた結果、下記の通り海外を貧乏旅行する「ヒッチハイク企画」を思いついた[4]
ヒッチハイク企画
1996年4月に始まった猿岩石の「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」によって番組は空前の人気を博し、社会現象とまでなった。この企画を機に、以降無名のタレントを使ってまさに体を張った体験取材企画が中心となった。その結果、前出のアポなし取材は1997年以降ほとんど行われなくなり、立場の薄れた松村も後述の理由から降板を余儀なくされた。
出演者
司会

松本明子

松村邦洋

ナレーター

木村匡也

西本聖(1994年11月20日放送分での「西本投手にナレーターになってほしい!」というコーナーのあと、当日放送分の番組後半のみナレーターを担当)

その他の主な企画出演タレント

ふかわりょう

ドロンズ

ビビる

千原兄弟

山田花子

アニマル梯団

雨上がり決死隊

爆笑問題

浅草キッド

ハウス加賀谷

つぶやきシロー

代表的なアポ無し企画
憧れの227cmの岡山さんに会いたい!
第1回目の企画。松本が会いたい人は、「
羽田のモノレールで見かけた大きい人」ということでスタッフが調査したところ、住友金属工業に勤めている岡山恭崇さんということが判明した。会社に取材申請を入れたが、案の定拒否。しかし、土屋の「いっちゃえ」という独断でロケ敢行。4時間待った後、会社前で帰宅途中の岡山さんを発見。「ファンなんです」「日本一のタカイタカイをして下さい」とお願いし、見事してもらうことに成功。松本は岡山さんにお礼を言いながら見送り感涙し、この様子に土屋が「これだ!」とひらめき、「アポなしで突撃する」というのが番組のコンセプトになった[7]。この辺りについて、最初からアポなしを趣旨としていたわけではなかったが、「事前に打ち合わせをしていなかったことが逆に感動を呼んだ」ことに土屋が気付いたからだと、後年『人生が変わる1分間の深イイ話』で明かされた。
森英恵にスタッフジャンパーを作ってもらいたい
番組開始から3か月ほど経ち軌道に乗りだした頃、松本と土屋が食事をしている時に松本が、「番組のスタジャン欲しいですね」といったところ土屋が「よし、森英恵に頼もう!」と発案し、松本は「エーッ!」と仰天したという。土屋は「絶対無理だろう」と内心確信しており、そのまま後日松本によりこのロケが実行された。ところが森は「いいじゃないの。やりましょう」と逆に面白がり、本当にスタッフジャンパーを作ってくれた。土屋はまさかの快諾に一番驚き、「これが最初の大物ロケの成功だった」と後に語っている。
入れ墨バンドに「バウバウ」って刺青を入れてほしい!
ライブ突入シリーズロケでの第1弾。盛り上がるパンクバンドのライブ会場に松村とスタッフが突入。松村は舞台に上がり入れ墨をお願いしようとするが、会場スタッフに取り押さえられ、舞台下に引きずり下ろされて、警備員や観客にもみくちゃにされる。スタッフが必死に謝ってロケは終了した。松村は舞台下に下ろされた直後、乱入行為に怒った観客から「なんだテメーッ!」と蹴られた。蹴られて痛かったが短時間の突撃ロケだったため、この時の映像では松村の“今日はこれで帰れる”とホッとした顔が映った[4]。突入から退散まで3分程度の非常に短いロケであったため、画面右上に秒数を表示させたうえノーカットで放送した。これ以降、ライブ突入はシリーズ化したが、各所で警戒されることが多くなり突入が難しくなっていった。
有名人の豪邸のトイレでウンコがしたい!シリーズ
1996年2月25日に初放送。松村がロケ弁を食べ、その後下剤を服用し便意を催したら有名人にトイレの利用を交渉。ロケ途中で失敗(脱糞)してしまうことの方が多かったが、峰竜太海老名美どり夫妻宅では成功している。土屋は当時(1996年)、アポ無しロケに限界を感じて始めていたが、このVTRに久々に手ごたえを感じたという。よって、撮りだめをして小出し小出しで世間の目を電波少年に引きつけておいて、猿岩石の企画をスタートさせる目論見だった。PART7までシリーズ化され、2010年に発売されたDVDにも特典映像等で収録されている。
村山富市の長い眉毛を切ってあげたい!
村山の眉毛を切ろうと、松村がハサミ持参で社会党本部に乗り込んだ。突然の申し出に最初は難色を示すが、松村の必死の願いに最終的には笑顔で対応。見事成功し[7]、数本の眉毛にハサミを入れるも切り落とした眉毛をなくしてしまう。
次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:248 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef