※[9]「FRIDAY (雑誌)#歴代編集長」も参照
氏名在任期間備考
大久保房男1959年3月 - 1961年7月文芸雑誌『群像』編集長と兼任。後に作家となる。
松井勲1961年7月 - 1964年9月
椎橋久1964年9月 - 1965年2月
牧野武朗1965年2月 - 1967年8月漫画雑誌『週刊少年マガジン』の初代編集長。後に独立してマイヘルス社、マキノ出版、わかさ出版
文芸雑誌「群像」編集長の経験を持ち、連載小説には石坂洋次郎、川口松太郎、柴田錬三郎、吉行淳之介を起用。創刊時には皇太子の結婚ということもあり就任からしばらくは皇室記事を掲載した。 金と女と出世というサラリーマンの3大欲望とも実益路線とも言われる路線を推進させ、以後の「週刊現代」を初めとするサラリーマン向け週刊誌の基本コンセプトを確立する。「今週の株情報」はヒット企画になり、推奨する銘柄はゲンダイ銘柄とも呼ばれた。1965年には30万部で赤字だった週刊現代を、1966年には65万部に伸ばし、やがて発行部数の首位を「週刊新潮」から奪取した。 牧野の路線を徹底させて、週刊誌トップの座を安定させるが、ワンマンとも評されて編集部内をまとめきれずに辞職。また、猥褻として警視庁からマークされていた梶山季之の連載小説『ああ蒸発』が会社の上層部によって一方的に打ち切りを余儀なくされた。 講談社を退職した荒木は、小学館に移籍して本誌と同路線の『週刊ポスト』を創刊させる。「ポスト」に読者を奪われた「週刊現代」はトップから転落し、それに代わり荒木の「週刊ポスト」がトップの座に就く。 毎日新聞社から独立し『TOKYO OBSERVER』を発刊していたジャーナリスト大森実を起用。創価学会の池田大作、日本共産党の不破哲三らへの直撃インタビューが話題を呼んだ。最高発行部数は130万部で、「週刊ポスト」から首位の座を奪取。以後も100万部を維持する。ロングインタビュー路線ではこの他にもフィリピンで小野田寛郎少尉を発見した青年へのインタビュー記事が注目された。 1974年(昭和49年)、金大中拉致事件をめぐって韓国政府および当時の大統領朴正煕を批判するキャンペーンを繰り広げる。これに韓国政府が激怒し在東京韓国大使館経由で抗議を受け、川鍋は社長代行服部敏幸 ヘアヌードを積極的に掲載した。オウム真理教事件や阪神・淡路大震災などの大事件が相次いだこともあり、実売で50万部に落ち込み、週刊誌6位に低迷していた発行部数を1995年には平均発行部数が73万部(実売部数も70万部台に乗せた [11])。さらに1996年新年号では150万部を発行して、瞬間的には「週刊ポスト」を追い越すまで持ち直す。 政治的には、「週刊ポスト」の親小沢一郎路線に対して、小沢批判の記事を前面に押し出した。この結果、小沢の記者会見からは「週刊現代」が締め出され、講談社で出していた小沢の『日本改造計画』の英訳版の話もなくなる。「週刊現代」が代表したヘアヌード路線は部数に貢献したものの、新聞や宗教団体などから批判を受け、航空会社の機内誌から外される事態にも至った。 1996年新年号にオウム真理教の教祖だった松本智津夫の自白調書を掲載。これまで自白もなく調書も存在しないとしてきた検察と警察の発表を覆す内容となるものであった。これに対して松本智津夫は秘密漏洩罪で告訴し、東京地方検察庁は松本の前担当弁護士横山昭二の事務所を捜索した。さらに講談社へ家宅捜索が行なわれる直前で松本が告訴を取り下げた。親告罪であるため、この件に関する捜査は終了した。新聞やテレビが「週刊現代」に批判的だった一方で、本田靖春などのジャーナリストやミニコミ誌はこれを検察の情報操作と言論の自由に対する威嚇とみなした。詳細は「横山昭二#不祥事」および「秘密を侵す罪#秘密漏示罪」を参照「麻原彰晃#罪状認否」および「オウム真理教事件#オウム裁判」も参照 1997年9月に掲載した早稲田大学が凋落したとの記事に対して、早稲田大学側は記者会見を開いて告訴すると発表。当時の総長である奥島孝康は「文藝春秋」の1998年1月号に反論記事を掲載した。 1999年9月25日号に、現東京都議会議員龍円愛梨(当時は全国朝日放送アナウンサー)が学生時代に風俗店で働いていたとする記事を掲載。龍円個人とテレ朝に名誉毀損で提訴され、2001年9月、東京地方裁判所は770万円の支払いと謝罪広告の掲載を命じた。この記事の情報源は、ライブドア送金指示メール事件で堀江貴文が送ったとされた電子メールを捏造した西澤孝だった。 ジャーナリストの岩瀬達哉による年金未納問題追及キャンペーンを行う。その後、国会などで年金問題が扱われる契機となる。さらに政府の年金CMに出演していた江角マキコの年金未納問題をスクープ。
牧野武朗編集長時代
荒木博編集長時代
川鍋孝文編集長時代
元木昌彦編集長時代
鈴木哲編集長時代
鈴木章一編集長時代
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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